第4話

いらないと言ったのにお茶が出てきました。

私はそれをゆっくり飲みながら、目の前にあるお菓子たちを見下ろす。センスのかけらもないお皿に、ビスケットと煎餅。お母さんの仕送りかなぁ。とぼんやり考えた。バイトしろよクズ。お母さん、息子はもうすぐ私に自分の息子を見せびらかすでしょう。私はもうすぐ貴方の息子の息子とご対面するのでしょうか?お菓子を見てぼんやりとしているフリをした。具合が悪くなった。

カズキは何の迷いもなくお菓子に手を伸ばし、少しこぼしながらボリボリと食べて私の視線に気がついた。

「なぁに、食べたいの?」

甘えた声。微笑む顔が私にとっちゃ究極に気持ち悪かった。

「別に大丈夫」

私は精一杯可愛い顔で、そちらの目を見つめそう言った。こいつは、なんてバカで勘違いでつまらなくてしょうもない。そう思いながら見つめる先の彼の瞳に写り込む私は、月の中で餅をつくうさぎのように嘘臭かった。あいつは餅なんかついちゃいない。ただのぐちゃぐちゃのシミだわ。そうやって全部の物事に対してひねくれた感情を私は抱いていた。

そういや、今思えば思春期の時なんてのは

エロいことで寂しさ埋まればそれで完璧よ。

女も。

「ただいま」

薄暗いオレンジのライトに照らされた母の姿、いやそれよりも母の頭の上の大きなリボン。もう違和感はなかった。

ただ赤いワンピースを着ていた母だが、そのワンピースがお父さんに昔買ってもらったものだと気づいた時「なるほどね」と言ってしまった。

「遅かったわね」

「ま、ちょっと」

私は何事もなくソファに腰掛けた。母は相変わらずトマトを切っていて、ボールはもう溢れている。山盛りで、業務用の何かに使うトマト達みたい。というか、トマト地獄。そんな単語あるのかどうかは、知らないけど。トマトを切り続ける音が、テンポよく響く。

「…空、今日はねぇ、」

母が口を開く。私は母の背中を見つめる。一瞬時が止まったようだった。

あまり間隔も開けず「うん」と自然に返事をした。母の背中から目が離せなかった。

「…トマト料理なんて、どうかしら」

包丁の音がストンと綺麗に途切れた。母の動きが止まった。重たくて、すべての音に濁点がついたような空気が私に襲いかかったが、平然を装った。

「お腹あんまりすいてない」

母がいつか振り向くのが怖かった。私は今、ちゃんと余裕な顔をしているのか。余裕な顔とは、こんな感じだっただろうか。ちょうどそんなことを考えている時、母が振り向く。

ライトに照らされててらてらと光る赤い口紅に鳥肌が立った。本当に自分の母親か疑うほど怖い。ご機嫌な母はまだ切ってない形のいいトマトを片手に、それをうっとりと眺めた。まるで、そのトマトに恋でもしてるかのように誘う目をしていた。

「トマト」

そう言って私に微笑み、正直気味が悪かった。

「そうね、トマトね、はいはい」

私はどんな顔をすればいいのか分からず、携帯に目をやり、聞き流してるふりをした。いつも通りって、こんな感じであってただろうか。沈黙が怖くてテレビをつけようと、リモコンに手を伸ばすと

「トマト」ともう一度母が言った。

見るつもりは無かったが、反射的にそちらを向いてしまい目がそらせなくなってしまった。母は私に甘えるような目をしてきた。見つめあって、両方そらしそうになかった。母は、ゆっくりと私のほうに近づいてきた。

鼓動が早いのが自分でもわかった。母の顔は、楽しそうでまるで子供だった。そういえば、父も少し子供っぽいところがあった。遊園地に行ったり海に行ったりすると、普段そんなことしないのに、私達と一緒になって気づいたら遊ん

「食べる?」

母の声でまた、はっとなった。私はまた都合が悪かった。

突然息を吸ってしまい、「ヒッ」と変な音が出た。咳き込んだ。母は私から目を離さない。

私はしばらくの沈黙のあと、何も迷わずに答えた。声が、震えてたかなんて、覚えてない。私は、冷静を装って「食べない」と言った。

母の顔から急に笑顔が消え、すぐに鬼のような顔になった。奇妙だった。私の腕に鳥肌がトゲトゲに逆立って、瞬きも忘れそうだった。私は余計に目が離せなくなり、今誰と話しているのかも忘れるように、また頭の中で必死に関係ないことを思い浮かべた。頭の中ではメリーゴーランドに乗った体が銀色の80歳くらいの全く知りもしない裸のおじいちゃんが頭を振り乱して踊り狂っている。指には全部にジャイアントコーン。

グチャ!!!

母は床に向かって手に持っていたトマトを思いっきり叩きつけた。汁が私にまで飛んできた。 目は私を見たままで、どんどん息が荒くなった。母の喉の奥から、ヒューヒューと音がした。歯を食いしばって、人間じゃないような顔つきだった。こんな母、知らなかった。何かが、取り憑いている。きっとそうだ。いや、母だ。いや…

「きいいぃぃいいぃ!!!!」

意味不明な奇声を上げて母は足をバタバタさせ始めた。突然また台所に走り、なにやらレジ袋からケチャップを出しで荒々しく開封し、「アレンジ」と連呼しながらトマトの山にぶっかけた。

冷静な顔をするも、足が震えて飛び跳ねてしまいそうだった。

必死に頭の中のメリーゴーランドを高速回転させていた。

もっと、もっと、もっと早く。もっと。もっと。

おい、おい早くしろ!!はやく!!!もっともっともっと!!!もっと・・・

そのうち、母はゆっくりと振り向き私に微笑み直した。昔の笑顔だった。いつもの笑顔だ。メリーゴーランドの夢は消え、窓の外の音や、自分の呼吸する音が何かの蓋を開けたように耳にどっと入り込んできた。時計さえ今まで止まっていて動き出したかのように感じた。ほっとしてしまった。母はまた、私に背中を向けトマトを切り始めた。ストンストン音がするたび安心したつもりだった。が、

「トマト。食べるでしょ?」

振り出しに戻った。私は絶対に食べるとは答えず、あとはその繰り返しだった。床で潰れるトマト達と終わりの見えない連鎖に対して何故か「食べると言ったらどうなるのだろう」までも頭が回らなかった。ピリピリとした。キリキリとした。なんて重たい空気。私らしくない。頭の中のおじいちゃんが、笑っている。大笑いしている。私を指差して、ああ、なんて屈辱でなんて恐ろしい。笑い出してしまいそうだった。

床がべちゃべちゃのぐちゃぐちゃになったところで、やっと私はまともな口が聞けるようになった。

「トマトは朝がいいって言ってたよ」

「…朝?」

「うん。」

母の表情がどんどん、泣きそうになっていく。私は微笑んだ。

「ダイエットの先生が、言ってた」

どこの先生だよ。

カンカンカンカーン!!!!と、ゴングが鳴りまして。

母がようやく寝て、私はカズキにメールを送った。

『淋しい』だとか、そんな内容だ。誰かとコミニュケーションをとりたい気分だった。要するに寝れなかった。

指先が震える。頭の中を整理する気にもなれないが、冷静なつもりでいた。誰でもいいのよ。好きなんていうのはただの、寂しがり屋の集まりで嘘っぱち。刺激しあい求め合い飽きたらおしまい後は情。

カズキからすぐに着信がきたが、とても出る気になれず。なんてコイツは間が悪いんだ、メールにしろよ。なんて八つ当たりの言葉しか思い浮かばなかった。生理が一日目。とってもデリケートなんです。

『悲しくて電話が出れない。明日、昼間ランチに行こう』そんなようなメールをもう一度カズキに送った瞬間、笑い転げてしまった。母が起きるから、声を押し殺した。悲しくて電話が出れないなんてシチュエーションこの世に存在するのだろうか。この世にというか、私の人生に。

すぐに『わかったよ。無理すんなよ?』と返信がきた。なんてバカなんだろう。こいつの脳みそ、リアルにただの味噌かも。メールを見た瞬間、何かのテンプレートかと思った。お父さんが死んだときのみんなとそっくりだ。私はシナリオがあるならば読まなくても、その台詞にそっていたと思う。

『ごめんね、ありがとう。』

かん~わいぃ。

指先の震えは、止まることを知らない。

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