第3話

そんな真っ赤なワンピース、どこで買ったの?

「ただいま」

考えるな。

考えるな、感じろ!

きっと少し触れただけで何かが壊れてしまう。私の、お母さんはどこに行ってしまったのかしら。いいえ。私の、お母さんは、ここよ。

「おかえり」

ちぎれそうな母の目をじっと見た。買い物袋からたくさんのトマトを取り出しあまりにも無理矢理冷蔵庫に入れた。入りきらないトマトは、ぐちゃっという音をさせながら無理矢理突っ込み、オレンジの気味悪い汁が笑顔の母の顔に飛んだ。それでも、母は笑顔だった。しばらくすると、当たり前のように冷蔵庫の中身は真っ赤になった。

「お母さん」

「赤が好きーーーーーーーーーーーーー!!!!」

意味の分からないイントネーションで母が絶叫した。言葉が出ない。母の喉はきっとキリキリ痛んで、ぶち破れそう。母は呼吸を整えると母親のように優しく私に微笑んだ。

「赤が好きだって気づいたの」

母は冷蔵庫を閉めて早歩きで自分の寝ていた布団をめくる。大量のカセットテープ。そこから一つ取り出し埃をかぶったラジカセに「ブーッ」と息を吹きかけてから突っ込んだ。踊る。不器用に。そしてラジカセからささやくように小さく流れたのは「リンゴの唄」 口ずさむ、母の赤い口元。オレンジ色の、ゆらゆらキッチンの間接照明。中身の赤い冷蔵庫。赤、赤、赤。

『赤が好きだって、気づいたの…』

がたんごとん。がたんごとん。

どこか全くわからない真っ白なお部屋。真っ白な服を着て赤ちゃんの頃にしていた前掛けをしていた。目の前には、小さなカエルのカラフルなおもちゃの山があった。私はその前に座り込んでぼーっとしていた。すごく広くて、すごく静かで誰も居なかった。私は小さな頃から何かを口の中にいれるのが好きだ。好きなの。理由は無い。そのカエル達を、ひとつひとつ口の中に入れてみる。見ないで口の中にいれたのに、赤が口の中に入ると吐き出した。吹き矢のように飛ばした。おもちゃの山を掻き分けると、本物の緑のカエルがひっくり返っていたので、私はそれを握りつぶ

握りしめ

だってびっくりしたから

足元にはつぶれたカエルのワッペンが少しだけ可愛くなくなって地面に張り付いていた。

『次は高円寺、高円寺。』

はっとして目が覚め、慌てて電車を降りた。かいたことのないような汗をかいていた。妄想の中に迷い込んでいた。癖だ。

家に帰ると、母が台所で何やら切っていた。料理をするくらいまで前向きになったと私は信じたかったが、母の頭に真っ赤なリボンが乗ってるのを見たとき、そう簡単にはいかないと察した。

「ただいま」

私は普通にした。

「おかえり、遅かったわね」

いつもの母だったが、大きな銀のボールに切ったトマトが山積みになっているのを見てぞっとした。切っているのも、全てトマト。ボールの中身も、全部。

オレンジ色のライトに照らされて、地獄絵図。私の体は、 金縛りにあったみたいに動かなくなった。母が怖い訳では無く、今まで生きててこんなに意味が分からないことがこの世に無かったからだ。意味が、わからない。考えても考えても

よりによってうちの母がそんな訳ない。

そんな訳?

ただただ、頭の中で何度も、首から上がきっと鉄になった。そんな夢。ダンベルだ。重くて鉄のような自分の頭をなんの疑いも無く触った。触った。触った。触った。血が音もせず吹き出した。気づいた時には私の手が千本の針で出来ていた。千本。そんな夢だった。夢を、ちゃんと起きている時にはっきりと。足元に気配を感じて、目を逸らす。都合が、悪くなると。そうだ。私は今、

都合が悪いのよ。

深呼吸。

何も考えず次の日私はクラスメイトの男の子の家に行った。だって来いって言ったんだもんっ。

名前はカズキと言った。ガリガリだが、ひ弱では無く、やんちゃそうな八重歯がチャームポイント。茶髪の短い髪が今風( よくわからないが)にいつもセットされていて、顔もそこまで悪くない。身長もそこそこ。授業中、妙にアイコンタクトをしてくる。ニヤニヤする訳でもなく、「わかってるだろ?」みたいな顔をしてこっちを見てくる。

何もわかりません。

最初はたいした人間じゃないのが見え見えな癖して図に乗るなと思い睨みつけてたが、そのうち興味本意に可愛い笑顔で返してみた。

あからさまに「うわっやべぇ。」って顔をされたら面白かったものの、そいつは「よしよし、それでいいんだ。強がってたんだろ?」みたいな顔をしてきやがったもんだから心の中でめった刺しにしてやったわ。

何故そんなやつの家に来たかと言うと、私は正直こいつが私に気があるってことにいい気になっていて、そのうえ家に帰りたくない病。病んでたんだもんっ。悲劇のヒロインぶってる訳じゃ無いけど、家では母が意味不明な行動を繰り返している。エンターテイメントとして見ていれば家に居て退屈なことなんて一つもないだろう。でも母のその行動は何故か、私にとっちゃ面白いと思えなかった。つまりは、つまらなかった。笑えない。エンターテイメントではない。すべっている。ただただ、意味がわからなくて考えたく無い。まぁそんなことは、どうでもいいのよ。

「お茶、飲む?」

「大丈夫。ありがと」

妙に優しくしてみる。目をぱっちりと開いて微笑んだ。コップの中の溶けていく氷を意味もなく眺めたりしていた。

「一人暮らしって楽しい?」

いつもみたいにガムみたいな何かを噛むのも、今日はやめていた。

こんなに、たいした顔面じゃないたいした考えもないたいしたお金もないのに何故、悲観的にならずに女の子を誘えるのだろうか。今思えば、みんなに言える事かもしれないけど。まあ、いろいろな理由があるとか無いとかは置いといて、適当に愛されたくて寂しかった。そんな気分だった。ムラムラした。ティッシュなんか噛んでるのがバレて嫌われたくなかった。

DQN

「ねぇ、空さぁ、クラスで誰と仲良いの?」

いきなり下の名前で呼んできやがったなと思いながらコップを揺らした。氷のぶつかる音を聞いてから、極力目を見開いてそちらを見つめた。

「わかんない。ねぇ、仲良い人って居なきゃだめかなぁ」

そして詰め寄る。

「友達って必ず必要?」

カズキはしばらく私と見つめあって唖然としてから、吹き出すように笑った。口から吹き出たお茶が口元についてるのを見て、心の中でオロロロロrとゲボが出た。のに、私にキスをしてきた。

「ほんっと面白い奴だよな、空は」

私は究極に可愛く微笑んで喜んだ。

心の中で高層ビルの屋上から何度もこいつを放り投げた。

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