第2話

頭の中でいろんな足のいろんなストッキングをびりびりびり。びりっ。

みんなより早めの生理がきた頃あたりから、他人なんて全員どうでもよかった。中学校のクラスメイトなんて猿の集まりだったので仲良くなろうなんてこれっぽっちも思わなかった。わめく前の席のブス。その前、ぶりっこ。その前、泣き虫あまのじゃく。そのななめ後ろの男子、変な臭い。その後ろ、ムードメーカー(自称)。そのななめ後ろ、私。私は世界一くだらなくない。そんなどっからともない自信があった。私はその頃から、ガムみたいなものをくちゃくちゃ、くちゃくちゃと、噛んでいた。「空ちゃん」と名前を呼ばれて顔を上げると、目の前に色んな色の爪した金色の爆発頭のギャルが飛び込んできた。彼女は盛りすぎくらい髪の毛を盛っていたのでシルエットが巨大だった。バサバサの付けまつ毛によって、どちらかというとメスかな、というくらい。このモンスターを「女の子」と呼ぶ男は全員顔にある二つの切れ目の中身はピンポン玉で出来「友だちになろう」

ともだちに?

「ずっと友だちになりたいって思って。ほら、空ぽん可愛いじゃん。男子からもチョー人気だよ」

人にどう思われてるか気にしたことなんて一度も無かった。私はこのモンスターと違って、そこまで濃い化粧をしなくたってある程度の顔になっていたので、目の周りを流行の真っ黒に塗りつぶして喜んでる女や、豹柄ばかりを身にまとい存在するはずの無いピンクのネコちゃんのストラップをつけて喜んでいる化け物とは違うと自覚していた。地味な訳では無かったが、派手でもなかった。流行も、全くよくわからない。モンスターの中に紛れた人間は逆に目立っていたのかもしれない。自分でいうのもなんだが顔も普通。美人でもなければ、笑えるほどブスでもない。このクソ女よりはマシなのかな。つまりは、私のすべてが何のへんてつもない。種も仕掛けも。

私の通っていた学校は見た目が派手で街を歩けば道を開けられるような子が多かったが、中身はクズ人間大集合で毎日うんざりしていた。目立つな。目立つな!!全員に勝てる自信が、どこからか湧いてくる。人間として勝てる自信。男子からもチョー人気だと?とっさに男子に目をやる。私の視線に気づいて、わざとらしく口笛を吹くタコ坊主。

なんて昭和。

ここは、どこの村?どこの星?


それから毎日避けても避けても、どうしてもその金色の化け物はつきまとってきた。お弁当を食べるときも、移動教室も…トイレも!人数も、増えていった。同じような化け物ばかりで香水臭くて死にたかった。そのうち、風の噂でここにいる人間に嫌われる条件を聞いた。

「あいつ、してるらしいよ、オナニー!」

「うわー!」

「てかあいつ痴女らしいよ。いろんなやつと、ヤッてんだって。」

「まじきもー、ヤリマンじゃん!」

性に関する内容。くだらない好奇心。それを横目で見ながら、紙パックのバナナミルクを飲んでは戻して、飲んでは戻して。その噂をおかずに、たわいもないバナナミルクを。飲んでは戻して飲ん

私は、可愛くも面白くもなんともない合成顔面野郎(名前も忘れた)と喋るのが兎に角、面倒臭かった。くちゃくちゃと何か噛みながら、変な顔だとか、いきなりこいつのスカートを無理矢理引きちぎったら楽しいかなとか。そんなことを考えていた。頭の中で、こいつのスカート引きちぎりまくっていた。

「私してるよ」

突然ぶっこんでみる。

「オナニー、してるよ」

「…」

こいつの顔が、どんどん余計ブスになっていく。目を見開いて、首を傾げた。

「オナニー大好きオナニー大好きオナニー大好きオナニー大好きオナニー大好きオナニー大好きオナニー大好きオナニー大好きオナニー大好きオナニー」

化け物を見る目?

作戦は成功。たったそれだけのことで、私は一人になれた。化け物を見る目って、あんな目なのね。そしたら私は貴方のことをまだギリギリ化け物じゃないとでも思ってたのか。まぁ、嬉しい。おめでとうございます!自ら一人になったのだから、何も文句はないだろう。何も寂しい事なんてない。少しだけ。少しだけ考えていた。こんな私を笑い飛ばしてくれたら、一緒に居てやったのに。むしろ、一緒に居たかったのに。そうゆうことなら。「友達」っていうのは「同類」ってことだってお父さんが言っていた。だから、そうでしょ?

そう言えば、私はみんなより早い生理がきたくらいの時期、家族が大好きだった。優しいお父さん。愛情がいつだって伝わってくる情の深いお父さん。可愛いお母さん。私なんかと違って人と話すのが大好きで明るくて。私の不器用なところはお父さん似だな。って思ってた。家族、大好き。どっからともなく、今の彼は私のお父さんに似ていた気がした。私がどんな変な事を言っても笑ってくれる。というか、動じないというか。お母さんは少し嫌な顔をする時もあるけどお父さんはいつだって笑ってくれた。「好き」ってことも、「同類」なんだ。きっと。同類、を探している訳でも、「好き」を探してる訳でもないが、私はどこでも変に人間観察をするのが癖だった。皆がどういう人間か気になってるわけじゃなくて、どういう性質の人間かって話。生物の授業の要領ね。電車の吊革を掴む後ろ姿の、ポケットにパンダのワッペン貼ったおっさん。目の前のウトウトしながらヨダレたらしてる女の子。透明の唾液の糸が、ロングスカートにシミを作る。ありゃ起きたらきっと恥ずかしい。どうしても服装がダサい小学生の大群。「俺あいつ好きになっちゃったよーだっておっぱい見ちゃったんだもん」学ランを着た、中二病どころか、小二病くらいのレベルの会話をする高校生。うらやましい。そんなものばかり見ていた。この頃はまだこう思ってた。どうしたって世の中はこんなに笑いが止まらない物で溢れているんだろう。

うらやましい。

私が高校に入学する頃、お父さんが死んだ。

ガタンゴトン ガタンゴトン がたんごとん

よく見る額縁でにこにこ笑うお父さん。額縁の中だけまるで3D。私の目の前まで飛び出てきてて、目を擦っても擦っても存在してるかのようで、触れようとしても触れない。そんな下手な例えで、悲しいのを誤魔化した。「どうでもいい」心の中では声を出して泣いてたが、私の涙の流し方は震えもしなかった。眉間にしわもよらず、表情も変わらない。ただただ、涙は頬をつたっていった。よく「滝のように」だとか「こぼれ落ちる」だとか言うけど全然違った。なんだろう、もずくだとかそうめんだとか。目から出るって創造しただけで痛くてものすごく怖いものがもともと私の目の奥に詰まってて、すごい音を立てて目の淵から脱走する感じ。痛いの、痛いんだ。悲しい時の涙って。我慢しようとでも思ってたのか、よく覚えてないけれど、とにかく意味不明な位に悲しかった。帰ってきてほしかった。外国より、遠いところってどこよ。宇宙よりも。どこよ、そこ。誰か説明して。お母さんは壊れそうだった。目をぎゅっとしてわんわん言っていた。子供のようだった。まるで風船が木にひっかかった子供。そう考えたら、風船が木に引っかかったくらいであんなに泣きわめいてんじゃねえよガキ。こういう時に、こうやって泣くんだ。私は、額縁の中で嬉しそうなお父さんを見て、ふいに私が小さい頃に珍しくて飼っていた真っ赤なカエルをお父さんが生足で潰したのを思い出した。

【ぐしゃっげこっ】

見た目はもはやトラウマだった。はずなのに、そのみじめなカエルの姿、かたちを思い出す事は一度も無かった。思い出そうとしても可愛らしいイラストのカエルがぺったんこになっている様しか思い浮かばない。トラウマ?これが。いいえ。でも、何故あの時。カエルを。素足で。カエルを。かえるって、あんなにぐっちゃぐちゃになるのね。お父さんは、病死だった。つまりは、死ぬ過程を私は見た。苦しむ姿。無理に笑う顔。かすれた声。しわしわの小さな手。よぼよぼの顔、痩せた体。小さなお父さん。小さくなったんだ。こんなに人は小さくなるのね。ふいに一人になった時、これからお父さんがいつか私の前から消えてしまうのが切なくて切なくて、わんわん泣いたこともあった。助けてお父さん。涙が止まらない。お父さんは、私よりももっともっと辛くて痛くて苦しいのに笑っていた。誤魔化していた。一日一日、ずっとずっと夢だと思っていた。日に日に瞼が重くなった、お父さんもそうだと思う。だから、寝ちゃったんでしょう?疲れて。お父さんの死んだ日、私は足元につぶれたカエルが見えた。それは、いつか電車に乗ってた知らないおじさんのお尻についた可愛くもなんともないワッペンにそっくりだった。少し早めの生理が来たときあたりからずっと、目が回ると、目眩がするとあのカエルが見える。お父さんが死んでからもずっとだ。どうしても思い出せない、あのカエルがポップになってフラッシュバックする。私は、それを見たことによって混乱の渦に迷い込んでしまう気がして目を逸らす癖があった。どうしたって嫌な事だとわかっていることを考えるときはすっごくすっごく楽しかった思い出に浸るのだ。そんな秘密の幸せを、昔お父さんに教わった。お父さんは、あの時つぶれたカエルの可哀想な形を覚えてるだろうか。お父さん、覚えてる?お父さんが死んでからは、クラスで私に寄ってくる女の子がたくさん出てきた。「相談乗る」だとか、「大丈夫?」だとか。「話し聞く」だとか「無理しないでね」だとか教師ですらそんな馬鹿げた事をぬかした。テンプレートがあるのですか?と思った。思ってもいない癖に。人間それ以外かける言葉が思いつかないんでしょうね。みんながみんな、人間はいい人になりたいのね。何故だろう。ものすごく迷惑だわ。何故?私はその吐き気がする綺麗事全部に、完璧な愛想笑いで返した。

話を聞くだなんて安易でバカなこと言うヤツには100点満点の笑顔で最初から最後まで話して「ほらなんかいいこと言ってくれるんでしょ?」と追い詰め逆に泣かすという嫌がらせを遂行した。慰められた時に「無理して笑ってますけど顔」をする女子高生っていうのはそこらじゅうたくさんいるが、私はそんな回りくどい演技をするほど弱くない。完璧な愛想笑いだった。

葬式から帰ってもお母さんは泣き続けた。「人間、中身ほとんど水なんだから」と言ってやりたかった。萎む。間違えなく。そう思った。夕方を過ぎると、泣き声がうるさく感じた。壊れてしまうんじゃないかと、本気でそう感じさせた。お母さんが私を産んだ時、私こんなんだったのかな。赤ちゃんがいる母親っていうのはこうゆう気持ちなのだろうか。お母さんも、家すらも壊れてしまうんじゃないかというくらい大声で泣く日もあった。お母さんはそのうち、泣き疲れて寝てしまった。すると今度は、起きなくなった。狭いリビングに質素に引いてある布団で丸くなっていた。一週間も寝たきりで、私は話しかけなかったけれど「ただいま」だけは言い続けた。正式には、多分母は起きていたが、生きるのに疲れて、考えるのにも疲れて動くのも嫌になって、つまりは悲しくてどうしようもないんだと思った。なんだかわかる気がした。私もしばらくはそんな気持ちで学校に行っていた。家にいることでお父さんを思い出して泣いてしまうのが私は嫌だった。もし天国からこちらの様子が見えるとしたら、「そら、弱っちいな」とお父さんに思われて、おまけに心配しすぎてお父さんも泣いちゃったら嫌じゃないか。お父さんは、強いのに。最強なのに。お母さんもまさか、息をするのに疲れて死んでしまったのではないかという心配はしなかった。そんなこと、この世にあり得ない。起こり得ない。だって、お母さんだって本当は最強だと思っていたんだ。私は。

「ただいま」

お母さんが、布団の中に居ない。冷静に家の中を探した。キッチン、押入れの中、クローゼット。これで本当にクローゼットの中に入ってたら大笑いしてやろうと思った。何をみっともない、本当に子供かあんたは。お母さんは見つからない。うちはアパートだったから、探すところなんて限られていた。私は心の中でバカバカしいと思いつつ小さな紺色の冷蔵庫を開けてみた。ぎっしりと、中身はトマトだった。

からだが、かちんこちん。

こ。

「ただいま」

お母さんが帰ってきた。私は急いで冷蔵庫を閉じ、お母さんの方を見た。お母さんは、真っ赤なリボンに真っ赤なワンピース、真っ赤な口紅をしていた。

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