Climax Phase -所長室-

 血の暴風で紙切れのように宙を舞った僕の身体は、防音加工済みの壁に叩きつけられた。手足の先までが焼け焦げるように痛い。ブラックドッグシンドロームの能力だろう、鈍い痺れが全身を覆っていた。絨毯敷きの床にうずくまりながらも、なんとか顔だけを前に向ける。

 僕の様子を無言で見守る父さんの姿があった。先程と何も変わらずに、淡々とこちらを見ていた。掌の竜巻は既に収まりつつある。能力の無駄遣いをしない所も、沈着冷静な態度も、僕の知る父さんの振る舞いそのものだ。それが身体の痛みや痺れよりも辛かった。


「……父さ、ん……」

 舌まで痺れて上手く喋れない。必死で動かして、決定的な問いを投げかける。

「裏切ったん、ですね」


「ああ。私がこの施設の所長であり、『アシュヴィン』セルのセルリーダーだ」


 父さん――明原あけはら陸師りくしは、まるで何度も練習したかのようにすらすらと答えた。

「何故、ですか。何故、こんな、ことを」

「お前が聞きたいのは、セルリーダーになった事か? それともレネゲイド関連病の研究をしている事か、それとも任務だと偽ってお前をここに連れてきた事か?」

「全部、です。父さんが……UGN本部エージェント、明原陸師がやっている裏切りの、全てを……説明、しろ……」

「分かった。全て説明してあげよう。お前には説明を受ける権利があるからな」

 何故だ。何が可笑しくてそんなに饒舌になる。いかなる時でも寡黙なあなたが。


「私はUGN日本支部が発足し、間もなく協力を申し出た。『蟲』の力を受け継ぐ明原家の人間として、力を使うべき機会だと考えた。それは今も変わらない信念だ」

 父さんの目つきは真摯だった。

「任務をこなす中で、何人もの人間を見てきた。レネゲイド病に苦しみながらも、服薬して任務に向かうチルドレン。全身が侵され、引退を余儀なくされたエージェント。レネゲイド関連病の研究は未発達で、ひと度発症すれば完治するのは困難だ。いかに強力なオーヴァードであっても」

「それは……聞いたことがある」

 そもそも、レネゲイド自体が不治の病のようなものだ。身体からレネゲイドを完全に取り除く事が不可能である以上、レネゲイド関連病もまた難病となりやすい。

「救いたい、と思った。病人オーヴァードがさらなる病に伏せるなど余りにも残酷だ。そう思い、個人的にアールラボへの資金援助も行った。一人のUGNエージェントができる限りの事をしたつもりだ」

 それでも、と明原陸師は言葉を継ぐ。


「それでも足りないんだ。アールラボでは研究に制約が多すぎる。部門も多様で、レネゲイド関連病以外に優先すべきとされた項目は多岐に渡る。……ここに向かう車の中で、レネゲイド研究の話をしたな。FHに根ざした研究所は資金繰りも容易、専門研究も自由自在だ。……UGNではできなかった事が、FHでは可能だった」

「……だから、裏切ったのか」

 痺れもほとんど取れてきた。デスクを掴み、身体を起こす。

 そんな僕を、明原陸師は物憂げに見やる。

「ある時私はアールラボへの資金援助を打ち切った。代わりにその資金はこちら側の研究へ投じた。研究施設の建設、研究者の誘致。合法、非合法なんでもありの資金援助先の確保。そして、身寄りの無い子どもたちをするルートの確立。『アシュヴィン』セルの完成だ」


【仕方がない部分もあるんじゃないかな。無法な資金繰りも実験材料の確保も、UGNでは難しいんだから】

 僕自身が言った言葉だ。この人は僕よりずっと前に、同じ問題で苦悩していた。


「……それで? 僕に何を見せたかったんだ。任務だと嘘をついて、施設や研究材料を自慢する為に連れてきたのか?」

「私はね、陸夜りくや

 『アシュヴィン』セルのセルリーダーは、初めて僕の名前を呼んだ。


「お前に考えてほしかったのだ。私はこの施設は必要悪だと考えている。例え非合法な手段を使おうと、レネゲイド関連病の研究は行われるべきなんだ。お前を拘束して見て回らせるのではいけない、この施設のありのままを見てよく考えて欲しいんだよ」

「何を……?」


「私の研究に協力してほしい。UGNエージェントがもう一人いれば、できる事は飛躍的に増える。お前が一番信頼できるんだ」


「……」


「私は17年間悩み続けてきた。お前には言わねばと思いながらも、ずっと先回しにしてきた。どんな道も、お前にとって穏やかな人生とはならないからな」


「……」


「でもな。お前がその少女を助けたいと言い出した時、お前をここに連れてきて本当によかったと思った。救える者が目の前にいるならば救いたい、お前はそう思える人間だ。そういう人間にこそ、レネゲイド関連病の研究に協力してほしいんだ」


「……」


「あの研究員の立ち話を聞いただろう。ソラリス体内工場異常症はもう少しで治療法の目処が立つ。バロール魔眼潜行病、モルフェウス内臓膨張症、ブラックドッグ発電細胞不全は既に有力な研究成果を上げている。研究は確実に芽を出しているんだ。今こそ力を入れ直し勢いを――」



「もういい! これ以上口を開くな、『アシュヴィン』セルのセルリーダー!」



 我慢の限界だ。冷えた頭蓋に自分の声が響いた。


「陸夜……」

 裏切り者ダブルクロスは呆然とこちらを見ている。

「この子を救いたい。ああその通りだ、確かにそう思ったよ。だがそれをあんたの思いと一緒にするな! この子のような子供を何百人も捕まえて培養液の牢獄に閉じ込める、本末転倒のが! 子供の命と僕の決意を侮辱するんじゃない!」


 こいつは子供たちを確保するとのたまった。協力してもらう、じゃない。

 それならば、僕の返答は一つしかあり得ない。

 レネゲイド関連病の研究というお題目の元、子供たちの命を踏みにじる悪鬼。そんな奴に協力する選択肢なんて、あるはずもなかった。


「……そうか。残念だ」

 熱に浮かされたように喋り続けていた明原陸師は、既に平静に戻っていた。

「あとどれだけ説得しようと、無駄なのだろうな。お前はそういう人間だ」

 明原陸師は両手を広げ、淡々と呟く。


「ならば、実験材料になってもらう」


 直後、鮮血の竜巻が殺到する。一度は回避するが、

「……ッ、追尾して……!」

 竜巻の一つ一つが両手足を打ちのめす。またしても無様に床に倒れ込む。デスクに身体をぶつけた衝撃で、少女の身体が床に落ちた。


「喋った以上、ただで帰す訳にもいかない。明原の人間はブラム=ストーカーが発現しやすい、ちょうどブラム=ストーカー後天性血液異常症の材料が足りない所だった。安心しろ、お前の事は無駄にはしない。必ずや研究成果を上げてみせる、その為に私は研究を続けているんだ」


 陸師は延々と喋りながらこちらに近づいてくる。顔を見る気にもなれなかった。痛みと、痺れと、怒りと、無力感と、やるせなさと、絶望感とが混ざり合い、指一本さえも動かせなかった。偽りの任務中に押し殺していたものが、今更になって追いついてきたようだった。

 かろうじて、少女の方を見る。僕に力が無いばっかりに、あの水槽に逆戻りだ。一度希望をちらつかされ、目の前で粉々にされる。もはや、あの時この子を助けた事さえも無意味に思えた。一緒にここを出ようなどと、よくも思い上がって言えたものだ。


「……ぁ」


 少女のものと思しき声が聞こえる。僕への怨嗟だろうか。それで少しでも気が済むなら、何千回でも言ってくれ。


「……ん、げん……にん、げん……」


 人間?


「にん、げん……に……なりた、い……な、ぁ……」



 ――その時。確かにそう聞こえた。


「……お前もこの少女も、一緒にあの『スプラウト』プラントへ連れて行く。培養槽に空きは少ないが、きっと活用してみせる。問題ない、だから安心しろ」


 気づけば、陸師はすぐそこにいた。僕を担ぎ上げようとしているのか、ゆっくりと手を伸ばしている。

 僕も、観念したように左手を伸ばし……爪が食い込むほどに掴み、床へ引きずり込む勢いで引っ張った。そのまま体勢を崩した陸師の腹部目掛けて、渾身の力で揃えた右指四本を打ち込む。

「がぁっ……う……?」

 一か八か放った手刀は、命中した。陸師の脇腹に、第二関節ギリギリまでが突き刺さる。すかさず親指を立て、右手を握り込む。

「あぐぐぎっ……あああっ……!」

 陸師を平静にさせまいと腹部を抉り続けると、蠢く『何か』が指先に当たった。


「(ここだっ!)」


 陸師の胸部を蹴り上げ、右手に握り込んだ肉をちぎり取った。

 部屋に響く絶叫。意に介さず、握り込んだ肉片の中を見る。

 肉片に紛れて蠢いていたのは『蟲』だった。明原の人間が代々受け継いできた、EXレネゲイドに感染した『蟲』。僕が三日後に受け継ぐはずだったモノ。


「(三日なんて待っていられない。今すぐだ。僕は今すぐ力が欲しい)」


「(力が欲しい――力を得て、この少女を救いたい!)」


 両手で捧げ持つように『蟲』を掴み、肉片ごと飲み込んだ。

 食道を通り抜け、胃に到達した瞬間、僕は激痛でのたうち回った。周りの肉や内臓を『蟲』が食い、増殖しているのだ。視界がでたらめに光り続ける。体中隅々が余さず軋む。骨が組み変わり、肉が溶け、皮が剥がれ落ちては強引に接ぎ合わされる。何度も死んで何度もよみがえるような感覚。収まる兆しも見えない地獄。


「……ぁ」


 体の感覚を取り戻した時、まず最初に覚えたのは全身に虫が這いずるような感覚だった。きっと慣れることのない、それでもこれからずっと付き合っていく蠢き。

 陸師の絶叫が呻き声に変わる。どうやら体が痙攣していたのは相当短い間だけだったらしい。


「陸夜……お前……」


 右腕に力を込める。腹部を貫いた時と同じイメージ。吹き出した血が右腕にまとわりつき、巨大な鉤爪が完成した。


「オーヴァード、に……」


 鉤爪を振るう。重さに振り回されたテレフォンパンチだったが、棒立ちの陸師を袈裟懸けに切り裂いた。


「ぎああっ……あぁっ……」


 振り下ろす。振り下ろす。脚を切り裂き、転んだ所を馬乗りになり、何度も何度も振り下ろす。血の竜巻が全身を襲っても続けた。右腕を痺れさせられたら左手で掴んで続けた。

 陸師が僕よりずっと鋭利で精巧な槍を両手それぞれに作っても続けた。頭や心臓を貫かれても、身体が勝手に再生するので続けた。ずっと続けて、『蟲』が僕の身体を食い破った時間と同じだけ続けて、気付いた。


「……あんた……身体が、再生しないのか?」

 見れば、手刀で貫いた腹部も、鉤爪で切り裂いた傷もそのままだった。


「リザレクトは……随分前に……しなくなった」

 陸師は息も絶え絶えで答える。ようやくそこで陸師の顔を見た。泣き出すのを堪える子供のような顔だった。

「オーヴァードに、覚醒、したんだな。『蟲』を、受け継いで……立派、だ」

「……あの少女の声を聞いたんだ。聞いたんだよ」


【人間になりたい】

 年端もいかない少女がそう言ったのを、確かに聞いた。

 そう言ったあの子の目を見てしまった。


「なら僕は、助けるしかないんだ」

「そう、だな……お前は、そういう、奴だ、な……」

 陸師の顔がさらにくしゃりと歪む。涙が出ないだけで、彼は既に泣いていた。おそらく、ずっと昔から。


「……明原陸師。あなたの事を、ずっと尊敬していました」


 今の僕は隙だらけだろうが、何故だか反撃は飛んでこない。


「『アシュヴィン』セルのセルリーダー。あんたの事を心底軽蔑する」


 明原陸師は何も言わない。


「父さん。さようなら」


 そう告げて、赫い鉤爪を頭部に振り下ろす。

 グシャリと音が響いて、男は動かなくなった。

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