第19話 剣の道 02
◆
「これさあ、色々と突っ込み所あるよねえ」
「ええ。私もそう思います」
あおぞら剣術道場から少し歩いた所にある離れの縁側。
そこに座って茶を飲んでいる二人の男性。
ムサシとイサムであった。
あの道場での出来事の後、ユズリハが別途で呼んでいた警邏隊に襲撃者は連れられて行った。その中には腕を斬られた兄貴分と、ずっと隅で震えていた弟分も含まれていた。当然だが、道場の修理代として彼らが所持していた金銭は連れられる前に回収していた。もっとも実費に対しては足りない額ではあるのは間違いなかったが。
そこで道場の片づけを、幸いながら走りに行っていて被害を被らなかった門下生たちが行っていた。
しかしながら客人であるムサシとイサムはその手伝いをする必要はない、とユズリハに強く言われ、お茶菓子と共にその間ゆっくりと待機することになったのだ。
いくらでも昔話が咲く二人であったが、しかし座った直後にとある絵本が目に入り、それを読んだことから冒頭の言葉に続く。
「そうなんですか?」
その二人の言に問いを返す少女、アカネ。
彼女は直接被害を受けたということで同じように休みなさい、というユズリハの命令で強制的に二人と同じように離れで待機していた。ただ彼女は実質何もされていないと反論したが姉は頑として譲らなかったために命には従っているモノの居所が悪く、縁側に面している部屋の掃除をしていた。
そんな彼女に、ムサシは微笑む。
「お嬢ちゃん、さっきまでの口調で大丈夫だよ」
「い、いいえ! さ、先程までの無礼な口振り、失礼いたしました!」
アカネは頭を下げる。
先程までおっちゃんだの馴れ馴れしい口調だのをしていた自分を恥じ入っていた。
「でもなあ……おっちゃん、今のよそよそしい口調よりもそっちの方が好きだったなあ」
「え、そう? じゃあ戻すね、おっちゃん」
「早いねえ!?」
だけど。
今は自分の意志でそういう口調にしていた。
色々考えた上で実行していた。
自分として、先の口調に戻したのは、いくら憧れている人であったとしてもそうであったと分かった瞬間に変えるのは人としてどうだろうと思ったからだった。
自分の口調などを恥じたのは、初対面の年上の人間に対しての態度ではなかった、という反省である。ここまで話をして親しくなった今、そこは次の反省となるだけであり、現状のやり直しをするのは何か違う、と彼女は思ったが故に元の口調に戻したのだった。
「ま、おっちゃんが『剣聖』だって分かっても、でも今はそんな感じだし、やっぱりおっちゃんって方がこっちもすっきりするのよ」
「ま、ムサシ様、って言われても反応に困るし、こっちでいいよ」
「こっちでいい? だったら呼び名はムサシ様にする?」
「いやいや! そっちむず痒いからおっちゃんでお願いします!」
「よろしい。じゃあおっちゃんにしてあげます」
「ははー。ありがたき幸せー」
「……いつのまにやら逆転していますね」
やり取りを見守っていたイサムがくすくすと笑い声を零す。
「このような元気な妹さんがいたのですね、ユズリハは。昔の彼女にそっくりな雰囲気です」
「あ、そうなんですね。今のお姉ちゃんからあまり想像できないですが……」
「あ、私に対しても、おっちゃん、でいいですよ、えっと……」
「アカネです。あとイサムさんにはそのような呼称はしないですよ」
「何でさあ!? お嬢ちゃん、イサムと俺は一つしか違わないんだぞ!?」
「えー、だっておっちゃんはおっちゃん、って風貌だけど、イサムさんはそんな感じしないし」
「見た目か!? 見た目の問題なのか!?」
「そうだよ。見た目の問題だよ」
本当はそれ以外にも先に述べた理由によって初対面でも見た目でそのような馴れ馴れしい口調を年上の人にはしないと誓ったからであるのだが、それは敢えて口にしないでムサシとのやり取りを楽しむ。
「そうですか……」
何故か寂しそうな口調のイサム。この年頃になると若い人におっちゃんと呼ばれたかるのだろうか――と本気で思ったが、敢えてそこは触れはせずに話を続ける。
「それより、先程の話の続きを聞かせてほしいです。この絵本、そんなに小さくない頃でもお姉ちゃんがよく読んで聞かせてくれた物で、その内容が実際の人達の目から見たらどう違うのかを知りたいです」
「あらそうなんだ。じゃあ色々と教えちゃおうかねえ」
ムサシが、ふふ、と微笑する。
「まずおかしいのがねえ、一人だけ過剰に持ち上げている人物がいるんだよね、この本の登場人物で」
「ええ。明らかにこの人の文章だって分かりますね」
「それってもしかして……ハーロック・ウィリス様のことですか?」
「正解。もう様付けが定着しているから、あいつの思う通りになったよねえ」
「というよりこの本の作者は……やっぱりそうですね」
本の表紙の名前を見てイサムは苦笑する。
この本の作者は『
正体不明の謎の作家であり、誰もその本名を知らない。唯一分かるのはハーロックの心酔者であるということであったのだが――
「どうしてこれで本人だと分かるのですか?」
「彼が戦場で歌を紡いだ際に、最後に絶対入れているからですよ。この単語を」
「単語って……『ILY』ですか?」
「そうそう。だからもう一つの突っ込み所に繋がっているんだけどねえ」
ムサシも苦笑いを浮かべながら続ける。
「俺と一緒に主に『魔物』と戦ったのって、俺含めて三人じゃなくて四人なんだよね」
「え……?」
「しかも一番『魔物』を粉砕していたのが彼女なんだけど、敢えて歴史から名前を外しているよなあ」
「一応理由は理解出来ますけれどね。彼女も女性ですから」
「ちょっと待ってください……それって、もしかして……?」
女性。
この中で名が無いながらも、有名どころ二人と対等に接していた人物。
その存在を、アカネは知っていた。
たった一人だけ、覚えがあった。
「んー、まあ理解していると思うけど――ユズリハだよ」
「お姉ちゃんが……?」
一時期、姉が家にいないことがあった。
それは両親が『魔物』の襲撃を受けて命を落とした直後であった為、出稼ぎに家を離れていたのだと思っていた。
大金を手に持って帰ってきたことからどんな仕事をしたのだろう、もしかしたら言えないことなのかな、と思いながら触れずにきていたが、まさか予想外の方向からその答えを知ることとなった。
「『暴走拳士』――それがユズリハの異名でした」
「ま、ハーロックが付けた名で一気に俺達の中で広まったけど、あいつ自身は嫌がっていたけどな」
「『暴走じゃなくて意図的に狂っているの』でしたっけ? 彼女の言い分は」
「そこかよ、ってみんなで突っ込んだなあ」
「まあ、今ではそこを恥じ入っているようですね。この絵本の中に自分の存在を乗せないようにハーロックに頼み込んだのは見え見えでしょう」
「もしかするとハーロックがユズリハに嫌われたくないから意図的にしたのかもしれないぞ?」
「いや、それはないでしょう。彼だったら自分に惚れた存在としてユズリハのことを掻くでしょうから」
「あー、そうだったな。じゃあユズリハが頼み込んだのは確かだな。あいつはユズリハに対しては弱いからねえ」
「おっちゃん、それって……」
アカネには今までの情報で思い当たる所があった。
だから問うてみた。
「ハーロック・ウィリス様はお姉ちゃんのことを好きだった、ってことなの?」
「大当たり」
「べた惚れでしたね。まあ、ユズリハの方は全く相手にしていなかったようですが」
「そうなんだ。お姉ちゃんにも春があったんだね……」
「因みにハーロックはイサム程じゃないが異性に人気があったぞ。金髪で自信過剰な所が多少目についたが、基本的に女性には親切だったし、歌い手と自称しながら剣の腕も凄かったからな」
「そんな人に言い寄られていたのに無視していたんだ……」
「さて、さっきの話に戻るよ」
パン、と一つ手を叩いてムサシは言う。
「さっきの『ILY』だけど、これって異国語なんだけどさあ……『I LOVE YUZURIHA』――『ユズリハを愛している』という文章の略称なんだよ」
「ええ……?」
アカネは少し引いた。
ここまで情熱的に愛されていた、と言えば聞こえはいいが、結局相手にしていないのにここまで思われていたという怖さもある。
その気持ちを汲んだのか、イサムがフォローに入る。
「本当に純粋な気持ちからだし、決して彼女を嫌がらせるような真似はしなかったのですよ、彼は。だからそんなに嫌わないでほしい」
「嫌うだなんて……そんな会ったことが無い人にそんなことを思ったりしませんよ」
「いや、ユズリハの妹さんに嫌われたと知ったら、彼、相当落ち込むことは間違いないですからね」
「それ程までなのですか……そこまで来たら一度会ってみたいかも……」
そうアカネは思った。本当にいい人であれば、現在の落ち着いた姉にとっては一つの良い選択肢であるのではないかと考えたからだ。戦場に身を置いていた間ではそこに思考を割く余裕などなかっただろうから。
「その人の行方とか存じていたりするのですか?」
「ええ。私が存じていますよ」
イサムが頷くと、そこにムサシが食いつく。
「本当か? どこだ?」
「ここからそう遠くない町ですよ。随分と華やかな暮らしをしているそうです」
「くっそ……きっとこの本の利益だろうな。本を売っている商店のどこでも見かけたし、きっと儲けているんだろうねえ」
「間違いなく、この中で一番、儲けているでしょうね」
「であれば我々に売り上げの一部を頂いても罰は当たらないかと思うんだけど、イサムはどう思う?」
「私も賛成です。であれば今度、彼を別な理由でここに――」
「絶対に嫌よ」
と、そこで新たに会話に参加してくる人が一人増えた。
ユズリハであった。
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