第20話 剣の道 03
「あ、お姉ちゃん。お掃除終わったの?」
「ええ。道場のみんなでやったらあっという間だったわよ。でもあの壁の大穴はどうしようかしらねえ……」
頬に手を当てて困り顔のユズリハ。大穴とは偽ムサシが開けたもののことだろう。あれは破片も残っていなかったので、修繕するには新しい材料が必要となる。
「よし。じゃあハーロックに材木を持ってこさせよう。勿論費用はあいつ持ちで」
「だから嫌だって言っているでしょう、もう」
ムサシに向かってユズリハは苦笑いを返す。
「しかしどうしてそこまで嫌うのでしょうか? 昔から不思議だったのですが」
「単に好みの問題よ。ハーロックは、確かに見た目は悪くないけれど、でも性格が合わないのよ。ほら、私っておっとりしているじゃない?」
「うん。そうですねー」
「その通りですねー」
「何で二人共棒読みなのよ!?」
憤慨するユズリハだが、アカネにとっては姉のイメージは彼女が口にしているその通りであった。
普段はおっとり。
だけど叱る時はしっかりと叱ってくれる。
……その時は怖いけれど。
「そんな……私が知っている今までのお姉ちゃんは偽りだったの……っ!?」
「ああ……妹からそんな目で見られたらお姉ちゃんもうお嫁に行き遅れちゃう……」
「もう遅いよな」
「ええ。同年代と比べてもかなり」
「何よー! もー!」
ユズリハは頬を膨らませる。
そんな彼女を見て、今度こそアカネは驚きを隠せなかった。
お姉ちゃんはいつも優しくにこやかながらも、決して弱音を吐かずに自分を育ててくれた。
そんな彼女がここまで感情を表に出している――甘えている様子を見るのは、初めてであった。
そこまで心を許している相手。
この二人は本当に姉の――仲間であるのだ。
だからちょっと悪戯がしたくなった。
「あの、イサムさん」
「ん? 何でしょうか?」
「お姉ちゃんのこと、貰っていただけないでしょうか?」
「ちょ、ちょっとアカちゃん!?」
焦った様子の姉。
対して、変わらず涼しい顔のイサム。
「お姉ちゃん、巨乳で美人で優しいですし、優良物件だと思うのですが、いかがでしょうか?」
「ええ。確かにユズリハは巨乳で美人で優しくて強い女性ですね」
「ちょ、ちょっとイサム!?」
「ですが彼女自身の気持ちを大切にしてあげたいと思うのです。彼女自身、今の未婚の状態を憂いてはいないようですから」
「え……っ? そうなの?」
アカネはユズリハの様子を伺い見る。
彼女はにこやかな笑みをたたえたまま答えない。
「あれだけ毎日毎日私に対して結婚したいって言っているのに?」
「……あれは……その……」
笑顔のまま、だらだらと物凄い汗を流すユズリハ。
「あー、なーるほど、そういうことかあ」
「な、何よ!?」
「いやいやいやいやいやいやいやいや。何でもないって」
「いやが多いわよ! もう!」
「ん? 何がどうなっているの……?」
アカネには何が何だかわからなかった。
だから少し考えた。
「あ、そうか! お姉ちゃんはまだ旦那さんに縛られる暮らしは嫌だ、って思っているんだね!」
「そ、そうよ! その通りよ!」
満面の笑みでアカネを抱きしめるユズリハ。彼女にとってはいつもと同じ様相だが、それを見て男二人がひそひそ話をする。
「……歪んじゃったなあ、ユズリハ」
「……きっと貴方の所為ですよ。貴方と共に駆け巡った戦場で心を病んでしまったのでしょうね」
「ハーロックに言おうよお。あいつの所為が半分以上を占めているだろうよお」
「それは否めませんが……しかし、単純に可愛がっている訳じゃない所があるのですよね。経験を積ませるために危険に晒したりしていましたし……」
「あー、何か歪んだ愛情だねえ。巨乳で美人なのに」
「ええ。巨乳で美人なのに」
「びーじーん! びーじーん!」
「びーじーん。びーじーん」
「びーじーん! びーじーん!」
「後半から完全に私をいじりに来たわね!? というか何でアカちゃんまで一緒なのよー!?」
「ん? 何となく?」
美人と煽られている時の羞恥に染まっていく姉が可愛かったので、ついやってしまった。
だが後悔はしていない。
後で怒られるのは三人なのだから。
「もう。私は美人じゃないんだからそういうからかい方はしないの。いい?」
「いやいや。それは世の女性に喧嘩を売っているぞ」
「ええ。もう少し自分の美しさを自覚してください」
「ついでにその胸は妹にも喧嘩を売っているわ」
「もう! もう! 知らない! お茶菓子も下げちゃうからね!」
「ああ、それだけはご勘弁を……」
「ご無体です……」
「了解しましたお姉ちゃん。この二人のお茶菓子はこの私めに」
「お嬢ちゃんの寝返り方はいっそ清々しいねえ」
四人の笑い声が離れの縁側にて響く。
ひとしきり笑った後、
「おっと。そろそろお暇しなくてはいけませんね」
紅く暮れてきた空模様を見たイサムが縁側を立った。
「もう行っちゃうの? もっとゆっくりしてもいいのに。折角だから一泊くらいしたらどう?」
「すみません、ユズリハ。ご提案は非常に嬉しいのですが、何分、先のこの剣術道場襲来の際に偽物に制服が渡った事例もありましたし、新しく何らかの対策を練らなくてはなりませんから、今回は遠慮させていただきます」
「仕事かい。大変だねえ」
「それが警邏隊の総隊長としての役割ですから」
柔らかな笑みをたたえるイサム。その様相は見た目だけではなくとてもかっこいい――とアカネは思った。
その一方で、
「おう。じゃあ今度警邏隊の女性隊員を紹介してくれないかねえ? 美人で彼氏もいない優しい子。胸はもういいや」
こちらの無精ひげの男はだらしないこと限りない。女性二人の前で言うことなのだろうか。
「……変わりませんね、あなたも」
「そうかねえ? 昔はもっと真面目な好青年だったと思うんだけどなあ? こんなに女には飢えていなかったはずだよお」
「何を言っているのですか?」
ふ、と息を漏らし、イサムは自分の目元を指差す。
「私の目には、きちんと変わっていない貴方が映っていますよ。この私の目を誤魔化せると思っているのですか?」
「……」
目を閉じている彼。
その視線には何も映っているはずがない。
なのに。
その言葉には説得力が多々あった。
「もっと厳しい言い方をするならば――貴方もユズリハと同じですね。ユズリハよりも性質が悪い」
「……何のことさねえ?」
「口では女性が欲しいといいながら貴方も本心では求めていない、っていうことですよ」
「俺は普通に女性好きだぞ」
「貴方、本気で人を愛したことがありますか?」
「……」
ムサシが口をつむぐ。
反論しない。
まるで――図星であったかのように。
「……言い過ぎですね。そういう貶めたり喧嘩を売るような意図を含んだ発言ではなかったのですが。申し訳ありません」
「……いや、気にするな」
ムサシはにやりと笑って、自分の胸を差す。
「色々とちょこーっと突き刺さっただけだからねえ。痛い痛い」
「そうですか……その刺さったものを癒すために一か所に定住していただきたいのですが――まあ、そこまで強制する権利はないですね。ただの友人からの願望として聞き流してください」
「……分かったよ。おっちゃん、心得たわ」
そのムサシの回答に、イサムはふっと笑って、ユズリハとアカネの姉妹に頭を下げる。
「それでは、ユズリハ、アカネさん。お世話になりました。久々に楽しい時を過ごせました。また何処かで会う時は声をお掛け下さいませ。困った時には警邏隊を頼ってください」
そこで。
イサムの目が開いた。
「必ずしや、世界平和に貢献して見せますから」
その瞳は、空のような綺麗な蒼であった。
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