第17話 聖剣の使い『足』 08

 あっという間の圧倒劇であった。


『剣聖』を名乗る青年がこうもあっさりと床に転がって目を廻すような展開になるとは、アカネは想像だにしていなかった。

 そして、ここまで来れば彼女も理解していた。


 この青年は『剣聖』ムサシではないということを。


 あまりにも経験不足で、かつ、ここまで無様な姿を見せつけている人物が『剣戟収攬の戦い』で頭を張っていたとは到底思えない。

 しかしながら、道場の壁を音もなく切断する技術を持っていることや先の一連の流れを見てもただ名乗っていた素人ではなくそれなりの使い手であることは間違いはなかった。絶対的な強者ではなかったが、弱くもなく、むしろ通常の人よりは遥かに強い部類に入るであろう。

 それを簡単に凌駕する程に――目の前の無精ひげの男が強いのだ。


「馬鹿な……こんなことが……」


 低い声が他方から聞こえた。

 その方向を見ると、先程に打ち倒された大男がよろよろと立ち上がりながら、腰に付けていた刀を構えていた。


「あらら。体格が良かったからちゃんと入り切っていなかったのかねえ。おっちゃん、ちょっと予想外だったわ」

「何だお前……何者なんだ……?」

「人に名乗る前にまずは自分から名乗るのが常識だよねえ。警邏隊の偽物さん」

「ぐっ……お、俺達は総隊長直属の……」

「まだ言うかねえ…………おっ」


 と、そこで無精ひげの男は、にやりと嫌らしい笑みを浮かべる。


「ねえねえ、もう一度言ってくれないかなあ? おっちゃん、耳が遠くなっちゃってねえ」

「だ、だから俺達は、警邏隊総隊長護衛部隊――」



「――



 静かで穏やかな風のような声。

 アカネは入ってきた聞き覚えのない男の声をそう称した。

 綺麗な長髪と整った容姿の男性。声でかろうじて男性だと分かったが、顔だけ見れば女性と見紛うくらいの美貌を兼ね備えていた。

 その彼が身を包んでいたのは、黒の詰襟の制服――警邏隊の制服を着ていた。


「この人物に見覚えは有りませんね。貴方誰ですか?」

「……目を閉じていながら何を言っているんだ、お前?」


 大男とが言う通り、現れた彼は目を閉じたままであった。その状態であれば言いがかりを付けていると思われても仕方がないだろう。


「いえいえ。きちんと色々なことが見えていますから大丈夫ですよ。――それはともかく」


 そこで、一陣の風が吹いた。

 ――道場内であったにも関わらず。


「警邏隊の制服を汚さないでくださいね」


 キン、という音。

 かろうじてアカネの目に見えたのは、彼が納刀した姿であった。


 そして次の瞬間――大男の制服が弾け飛んだ。


「……は?」


 ふんどし一丁になった大男は、自分の置かれた状況が分からない様子であった。気が付けば、いつの間にか手に持っていた刀も何処かに失われている。


「偽物が横行するのは問題ですね。もっと別な手段での証明方法が必要であることは分かりました。その点は感謝しますよ、偽物さん」

「なっ……て、てめえ……何者だ……?」


 男は自分の身体を抱きしめるように隠しながらしゃがみ込み、羞恥で真っ赤になった顔で男に問う。


「あらー。知らないのー?」


 煽りは無精ひげの男からであった。

 彼は入り口にいる美青年の方ににたにとした笑みを向ける。


「お前の絵草子は出回っていないらしいぞ。残念だったな」

「どうやらそのようですね。立場上、顔を知られていないと抑止力にならないですから、少し策を考えましょうか」

「からかったのに真面目に返されちゃったよ。相変わらずだなあ」

「貴方こそ。元気そうで何よりです」


 仲睦まじそうに外野を無視して会話を続ける二人。

 そのはじかれている外野の一人であるアカネが、無精ひげの男性の袖を引っ張る。


「おっちゃん、あの人って……?」

「ん、ああ。やっぱり一般に浸透していないんだねえ。あいつは――」

「自分から説明しますよ」


 入口の男はゆったりとこちらの方に歩いてきて、恭しく礼をした。



「初めまして。私の名前はイサム・ゴドウと申します」



「え……そ、それって……っ!?」

「そうだよ。さっき言っていた警邏隊総隊長その人だよ。偉いんだよー」

「相変わらずですね、



「………………………………………………え?」



 アカネの思考が停止した。

 先の美青年が警邏隊総隊長であったことも少なからず衝撃を覚えたが、そのイサムがさらりと口にした無精ひげの男の名前の方が、より彼女を困惑させた。

 まだ同名であるだけの可能性もある。

 しかし、彼女の中で色々と結びついていた。


 まるで『聖剣』とでも言えるような摩訶不思議な剣の持ち主。

 様々な『剣聖』の詳細について口にしたこと。

 そして何より――あれだけの強さ。


 結びついたが、頭が追いつかなかった。


「え、ちょっと待って……嘘……本当におっちゃんが……?」


 ぶつぶつと呪詛のように呟くアカネの横で、イサムが「そういえば」と手を付く。


「そこに転がっている青年ですが、『剣聖』を名乗っていたそうですね」

「ああ、そうだけど……まさかその時点から見ていたのかよ?」

「ええ。気配消すの大変でしたよ」

「じゃなくて助けろよお。しんどかったんだよお」

「嘘を付かないでください。あの程度で貴方が引けを取るわけなんかないでしょう。……例え今の形であってもね」

「ん、まあな。でも神経はちょこっとだけそっちに割いていたから気が付かなかったなあ。全力を注いだら見つけられていたのになあ、ちょっと悔しいよ」

「ふふふ。しかし笑えましたよ」

「何がだ? 俺に気が付かれなかったことにかい?」

「いいえ。この青年に対してです」


 だって――とイサムは口にする。

 ――アカネの中でまだ決定づけていない事象を、確実なものとする言葉を。



「その名を――



「えええええええええええええええええええええええええええええええ!?」


 アカネの驚いた声が道場の中に響いた。



 目の前の無精ひげの男性。

 彼女がおっちゃんと馴れ馴れしく呼んでいた男性。


 その人物の正体は彼女が憧れた剣士。

 『剣戟収攬の戦い』の中心人物で、剣士の頂点に位置していた――



 ――『剣聖』ムサシ、その人であった。

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