第15話 聖剣の使い『足』 06
「うん、そうだよ。僕が剣聖ムサシだよ。よく知っているね」
少し高めの声で軽くそう肯定する青年。
しかしアカネはまだ信じられなかった。
「何で……『剣戟収攬の戦い』で剣豪と相討ちになったはずじゃ……」
「うんそうだねー。あの戦いは大変だったねえ。生死を彷徨う傷を負ったねー。一時期は本当に死んだかと思ったよ」
うんうんと頷く青年。
「でもその混乱に乗じて僕は死んだことにしたのさ。で、自由になった」
剣を突き付けている右手はそのまま、左手を広げる青年。
「これで――自由に人を斬れる! この聖剣『エクスカリバー』と共に!」
「……え?」
アカネは信じられなかった。
ずっと憧れていた『剣聖』の口から、そんな言葉が出てくるとは思いもしていなかった。
「うるさい仲間とかももういない! だからこうして人を斬れるならば何でも協力するようになったのさ。僕はあの『剣戟収攬の戦い』でその喜びを知ってしまったのだから!」
「嘘……嘘よ……剣聖は……ムサシ様はそんなことを……」
少女の目から涙が零れ落ちる。
もう彼女の頭の中は混乱でいっぱいいっぱいであった。
憧れの人物と会えた嬉しさよりも、その人物が人を斬ることに喜びを感じていたことに衝撃を受けていた。今まで自分が目指していたものが崩れ去って行く――足元から地面が瓦解して行くような感覚に襲われていく。
「――あのさ、何を言っているのかな?」
そんな彼女の意識を揺り戻したのは――無精ひげの男の声であった。
彼は深く溜め息を付きながら首を横に振ると、青年が嘲笑を見せる。
「あっは。『剣聖』の僕がそんなことを言うのが信じられない、って?」
「違う違う。あんたじゃない。――お嬢ちゃん」
おっちゃんは頭を押さえて呆れたように端的にこう言った。
「――純粋すぎるねえ」
「……へ?」
アカネはその言葉の意味を呑み込むのに時間が掛かった。掛かった上にまだ理解出来なかった。
「それは……『剣聖』に妙な憧れを……幻想を抱いていたことを言っているの……?」
「違う違う。もっと別のことさ」
無精ひげの男は青年を指差す。
「他の人の言うことを素直に聞きすぎだってことだよ。そう言われたからって、どうして――そいつが『剣聖』ムサシだって思い込んじゃっているのさ?」
「……え?」
「何を言っているのさ、おっさん」
青年は鼻で笑う。
「絵草子とかで見たことない? 俺の顔って」
「その顔が本物って証拠も何もないんだけどねえ。というかむしろ、よく自分の顔を絵草子で出回っているって知っているねえ」
「普通は知っているだろうさ」
「おっちゃんは知らなかったなあ」
「……それはあんたがおっさんだからだろ」
少々苛立ちを含んだ声になってきた。
「というかさあ、そういうのじゃなくて実力で見てくれないかなあ。ほら、後ろの壁とかきれいに斬り取ったでしょ?」
そう言って背部を指差す青年。その指先には人一人が出入りできそうな大きな穴が壁に開いていた。だけど破片も、それどころか音すら発生させていなかった。
「おお、どこから入ってきたのかと思ったけど、そんな所から入ってきたんだ」
「いやいや、あんたの方からはバッチリ見えているでしょうが。何を恍けているんだよ」
「それじゃあなら剣の方は凄いと認めようかねえ」
「……かっちーん。頭来ちゃったなあ」
青年は額に血管を浮かび上がらせる。
「あんまり舐めた真似していると、この子、斬り刻んじゃおうかなあ。むかつくし」
「ああ、そりゃ困るねえ。……困るけどさあ」
無精ひげの男は左手を顎髭に、右手を自分の腰のあたりを摩りながら、再び鼻で笑った。
「八つ当たり気味に人質とっていい気になるのって格好悪いんじゃないかなあ。それとも、俺相手にするのは嫌だってことなのかねえ」
「……本当に頭にくるおっさんだなあ」
「おっさんは嫌だなあ。おっちゃんの方がまだ可愛げがあるから表現はそっちの方が……あ、でも男相手だからどっちでもいいか」
「減らず口を叩いているんじゃねえよ。この人質が見えないのか?」
「見えているってば。だから大人しくしているじゃないかあ」
「じゃあこれ以上手出しするなよ。その瞬間、この人質の首が無くなるぞ」
「ひっ……」
アカネは恐怖に引き攣った声が出る。
剣を突きつけられるのと同時に、彼から物凄い殺気がこちらに向けられたのを肌で察した。
――本気で殺される。
その恐怖に立っているのも辛くなってくるほどに震えが襲ってきた。
――だけど。
そんな辛い心境である彼女を余所に、無精ひげの男はのんびりとした声を放つ。
「うーん……あの剣とそれに見合う芸当が出来るってことは、使い手もそこそこだってことだよねえ……だったら今までの様にはいかないってことか」
「何をぶつぶつと……」
「手は出していないでしょ? 口だけ口だけ。だけどもう意見まとまったからいいよ」
うん、と一つ頷いて無精ひげの男は告げる。
「ということでおっちゃん――ちょっとばかり本気を出すことにしました」
――シャリン。
ガキン!!
軽い金属音と、重い金属音。
続いて鳴り響いた。
前者はあの路地裏で聞いたのと同じ音。
後者の音の出所は――今、目で見て判った。
「な……っ!?」
青年の驚き声。
それもそのはず。
彼が握っていた剣は、いつの間に弾き飛ばされていたからだ。
その少しだけ怯んだ間に――
「ほい、お嬢ちゃん救出成功」
青年とアカネの間に自分の身体を割り込ませる、無精ひげの男。
アカネは先の恐怖から解放され、逆に安心感から力が抜けそうになる――わけではなく、それ以上に驚きの感情が上回って反応できなかった。
無精ひげの男と青年の間は絶妙な距離で、青年が持っている剣が届く距離ではなかった。
しかしながら彼は青年の剣を弾き飛ばしたのだ。
そのからくりがようやく分かった。
「おっちゃん、それ……」
「ああ、うん。驚いたでしょ? これがおっちゃんの武器だよ」
無精ひげの男の下半身。
具体的には――右足。
そこから伸びているのは銀色の鎖。
そしてその先端には――綺麗で輝かしい装飾が付いている、通常よりも少しだけ刀身の長さが短い剣が結ばれていた。
「ほらね。あっちの要求通り――手は出していないよね?」
文字通り一切手を出さず。
剣の柄を器用に足の甲に乗せながら、彼は子供のような無邪気な笑みを見せた。
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