第8話 出会い 08

    ◆



「お嬢ちゃんってどこで剣を学んだんだい?」


 家に向かっている道中、無精ひげの男がそう訊ねてきた。手に持ったたくさんの饅頭を抱えながら、アカネは何の疑問も持たずにその問いに答える。


「どこってお姉ちゃんからだよ」

「お姉ちゃんも剣を使うのかい?」

「うん。お姉ちゃんは剣術道場を営んでいるんだよ。先生なんだ。凄い強いよ!」

「そうなんだ。へえ……美人で巨乳で、おまけに強い、かあ。素晴らしい女性なんだねえ」

「えへへ。凄いんだよ、お姉ちゃんは!」


 アカネは自分のことのように目を輝かせる。その様子から姉のことは嫌っておらず、むしろ好意的に思っていることが読み取れる。

 しかしだからこそ、彼女の心は密かに沈んでいた。

 そんな大好きな姉を売って自分が助かった。

 その意識は未だに変わっていなかった。


「なに落ち込んでいるのさ。さ、元気出して」

「……」


 流石に「おっちゃんの所為だよ!」とは言えなかったし、原因は自分であることを少女は自覚していたので何も言えなかった。

 それを察知したのか、無精ひげの男は少しだけ話題の転換を図ってきた。


「あー、じゃあ、お嬢ちゃんはお姉ちゃんに憧れて剣士を目指しているのかな?」

「……あ、それは違うよ」


 アカネは首を横に振る。


「私の憧れ……剣士になって目指している人はお姉ちゃんじゃないよ」

「誰なんだい?」


「――ムサシ様」


 ピタリ、と無精ひげの男の足が止まった。

 それを見て彼女は「あ、知らないか」と足を止めて人差し指を立てる。


「でも流石に剣士じゃないおっちゃんでもこれは知っているよね? ――『剣戟収攬の戦い』は」

「……知っているさ」

「だよね。『剣聖』と『剣豪』という二人の剣士の頂点の戦いで、世界を揺るがした戦いだったからね。その伝説の『剣聖』の方――ムサシ様に私は憧れているんだぁ」


 うっとりとした様子で、アカネは憧れの念を言葉に放ち始める。


「その手にある聖剣を一閃するだけで相手は吹き飛び、その剣閃は不可視だったというし、何より容姿端麗で女性の憧れの的だったんだってね! 強くてかっこいいなんて憧れるわ!」

「……かっこいいのかい?」

「うん。ほら!」


 そう言って彼女は懐から一枚の紙切れを取り出す。

 そこに描かれていたのはキリリとした表情で片手の剣を振るう、整った容姿の黒髪の剣士の姿であった。


「……誰これ?」

「そのムサシ様だよ! 似顔絵師から買ったんだ。実際に彼に遭ったことがあるんだって。結構高かったんだよ、これ」

「……その似顔絵師を紹介してくれないかい?」

「あ、うん。後でね」


 何故か無精ひげの男は深く溜め息を吐き、頭を掻きながら再び歩みを開始した。


「それでお嬢ちゃんはその人物に憧れているんだ。かっこよくて強いから」

「うん! どっちかっていうとかっこいいからじゃなくて、強いから、っていう所に憧れているんだけどね」


 少女ははにかんだような笑みを見せる。


「私は強くなって家族を守りたい。だから――あの戦いで頂点を取った『剣聖』に憧れているんだ」

「……あの戦いは『剣聖』も『剣豪』も互角で、相討ちだったという結果だと聞いているよ」

「うん。一般的にはね」


 だけど、と彼女は続ける。


「色々な話を聞く限り、私は最終的には『剣聖』が『剣豪』を上回った。そう思ったのよ」

「どうしてだい?」

「それは……正直には分からないけど、でも直感で……いや、願望も入っているのかな」


 ふふふ、と彼女は笑う。


「仲間がたくさんいた『剣聖』の方が、たった一人で全てに立ち向かった孤独の王――『剣豪』を上回った、って思いたいだけなのかもね」

「……そうか。そういう認識からの、そういう考えなんだね」

「うん。やっぱり人の繋がりって強いと思うのよ。だからそっちを大切にしている人の方が買っていてほしいかな、って思っただけ。だから……そんな人物に自分がなりたい、そんな強さが欲しい――だから私は『剣聖』に憧れているのよ」

「……」


 熱を込めて語るアカネに彼は、ふう、と小さく息を吐いて、口角を少し上げた。


「でも、『剣聖』に憧れているのに持つ武器は『刀』なんだね」

「うう……剣って高いから買えなくて……」

「その腰にある刀は?」

「これは家にあったやつよ。倉庫にあったものだから多分大丈夫だと思うわ」

「倉庫にあったんだ。……それにしては綺麗だね。さっきちらっと見えた刃も良くて手入れが行き届いているようだ。これはただ倉庫に置いてあったものじゃないと思うよ」

「えっ……」


 彼女の顔がさーっと青ざめる。


「まさか……無断で持ってきたりしたの?」

「……」


 彼女は首を縦に動かした後に、ぶるぶると震え始める。


「お、お姉ちゃんに怒られる……」

「そんなに怖いのかい?」

「普段はニコニコして穏やかな性格なんだけど、一度怒らせちゃったら――」



――?」


 唐突に、アカネの背部から手が伸びて彼女の肩に載せられた。

 穏やかな風のような声。

 優しい声。

 だけどその声音には、言い知れぬ恐怖を感じさせるものであった。


「お……お……」


 彼女はゆっくりと振り向いた。

 予想通りの人物がそこにいた。


 とても整った容姿をした女性であった。

 ニコニコとした嫋やかな笑みは目にした男性を虜にするほどの魅力的なものであった。さらりとした長い髪も男性を魅了する要素の一つである。そして何より、道着という色気を感じさせない服装でありながら、押し上げるような胸部の盛りの健全な卑猥さは、世の男性の目線を全てそこに吸い込ませる程の魔力を秘めていた。

 正にアカネが口にした、美人で巨乳の女性がそこにいた。

 つまり、その人物は――


……」


「あらあら。遅かったわね、アカネ」


 アカネの姉は自分の頬に手を当てながら、妹に対して柔らかい声音で語り掛ける。


「で、随分と怯えているようだけど何があ――」


 突然。

 アカネの姉の言葉が途切れた。いや、途中で止まった、と言った方が正しい。

 どうしてか。

 その理由は――目の前にあった。



「……お嬢ちゃん、美人で巨乳ってまさか――



 バツが悪そうに頬を掻き、苦笑いをする無精ひげの男。

 そして――



「……?」



 アカネの姉――ユズリハもまた、無精ひげの男性に対して妙に親しげな名の呼び方をしたかと思うと、信じられないといった様に目を見開いて静止してしまっていた。

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