第2話 出会い 02

    ◆



 裏路地。

 華やかな市街地でも暗い通りはある。むしろ光が強い程、闇の深さは増していく。

 目立たない。

 気が付かない。

 意識を向けられない。

 そのような空間が生じてしまっていた。

 そんなに狭い場所ではないにもかかわらず、誰もそこを通らない。

 だから人気のない場所となっていき、更にその闇が深くなっていく。

 負のスパイラルに陥っている場所。


 そんな場所故に――正義感を心に持つとある少女はその場所のことを知っていた。


 少女の名は――アカネ。

 艶やかな長髪を高い位置で一つに纏めている、齢はまだ十代半ばといった少女。整った容姿をしており、身体は細身で今にも折れそうにも見えるのだが、意志の強そうな大きな目が特徴的でそんな雰囲気を感じさせはしない。

 彼女の腰には、一振りの刀が差されていた。彼女の雰囲気に寄り添った、真っ直ぐな刀である。

 そんな彼女は通る度に視線を向けていた。その近くに店を構えている陽気な若き店主と雑談している時にさえ気になってしまう程までにもなっていた。

 だからこそ、彼女だけが気が付くことが出来た。

 その裏路地に、二人組の男に肩を組まれて無理矢理連れて行かれる人の姿があったことを。


「……ごめん。ちょっと荷物を預かってもらってもいい?」

「お、おう? 嬢ちゃん、突然どうしたんだ?」

「あの路地に無理矢理人が連れて行かれたのが見えたの。助けに行ってきます!」

「おいおい嬢ちゃん!」


 店主の男性は慌てて彼女を引き止める。


「悪いことは言わないから止めておきな。あそこはガラの悪い奴らが集まっている無法地帯だ。首を突っ込まない方がいいぞ。警邏隊けいらたいに連絡する程度で収めておいた方がいい」

「ありがと。でも私の正義の血が騒ぐのよ。ということで!」

「おい!」


 店主の制止を振り切って、アカネは路地裏へと走って行った。

 そして彼女は見つけた。


「そこのあんた達! 何をしているの!?」


 アカネは声高々に指を突きつける。

 地面に座り込んで怯えた様子の気弱そうな男性と、その男性を取り囲むようにいる二人の人相の悪い男性がいた。勿論、気弱そうな男性が先に連れて行かれたその人だ。


「……ああん?」


 人相の悪い一人が目を見開いて脅しを掛けてくる。

 だが彼女は逆に睨み返す。


「あんた達は何をしているのか聞いているのよ! 答えなさい!」

「何って……男の友情を確かめているだけだよ」


 残るもう一人の人相の悪い人物はへらへらと笑いながら、地面に座り込んでいる男性の肩に手を置き、その彼の耳元に口を寄せる。


「……なあ、そうだよな? なあ?」

「ひ……っ!」

「あっ……男の友情……そうだったのね……」


 と、そこでアカネは口元に手を当てて眉尻を下げる。


「そういう関係だったのね……うん。男同士ってのも……否定は……しないけれど……」

「違えよ! 何でそうなるんだよ!?」

「ひ……っ!」

「お前もなに尻を押さえてんだよ!?」

「あ、兄貴……」

「お前もかよ! ふざけてんじゃねえぞ!」


 弱気な男性の近くにいた兄貴と呼ばれた方の悪人相が怒鳴り声を上げる。


「そんなわけねえだろうが! ――てめえ!」


 恨みの対象は彼女に向かう。無理もない。誰だってそうなるだろう。

 この瞬間はみんなの視線はアカネに向かっている。

 だからこそ――狙った通りの展開なのだ。


「逃げなさい! 早く!」


 アカネが声を張り上げた。

 そこでようやく他の人々も理解したようだ。


「ひっひいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」


 幸いにも最初に意図を理解したのは気弱そうな男性の方であった。彼は素早く立ち上がり、彼女のいる方とは反対側へと一目散に逃げて行った。


「あ、こら待ちやがれ!」

「くそ! こんな手に……」


 ギリリ、と歯が鳴る音がした。彼らは逃げた男性を追う気はないようだ。

 代わりに悪意を向けられるのは、再び彼女に対してだ。


「てめえ……ただですむと思うなよな?」

「そうっすね兄貴。この鬱憤の相手を……お、よく見るとこいつ、そこそこ可愛いですぜ」

「げへへ……そうだな……」

「っ!」


 卑猥な視線を浴びせられて、アカネは自分自身の身体を抱きしめる。彼女には姉がおり、並ぶと必ずそれらの視線が吸い込まれていく程に姉が美人でスタイルもいいので、彼女はこういう視線に全く慣れていなかった。


「この……けだもの……っ!?」

「待ってください兄貴! こいつ……」

「ああ……」


 人相の悪い二人は、同時ににやけ顔から真顔になって、彼女のとある一点を指差す。


「「……胸が無い……」」


 彼女は、とてもスレンダーな体型であった。


「多少はあるわよ!」

「嘘つけ! 多はねえだろ多は!」

「色気もねえな、お前、何歳だ?」

「十六歳よ!」

「十六歳……」

「そっか……」

「何で憐れみの目で見るのよ! まだ成長の余地ありってことじゃない!」


 自分に言い聞かせているようにも聞こえるような悲痛な叫び声をあげているアカネを余所に、兄貴と呼ばれた方が冷めた目線でもう一人に言葉を投げる。


「おい……お前にやるよ、これ。好きにしていいぞ」

「ええっ!? 俺だって乳がある方がいいっすよ! そんな幼女趣味はないっす!」

「幼女じゃないわよ!」

「まあそういうな。きっと小さいのも小さいなりにいいことがあるかもしれないだろ。ほら。試してみろ」

「うう……やってみるっす……」

「何で嫌々なのよ! っというかいい加減にしなさいよあんた達!」


 少女は激高し、刀の柄に手を掛ける。


「あんた達に好き放題される私だと思うの?」

「……兄貴。俺、こいつやっちゃいますぜ」


 にやり、と。

 男性は口の端を上げ、一歩前に出る。


「俺、小さい乳はそこまで好きじゃないっすが、でも……こういう意気がった女を屈服させるのは大好きなんすよ」


 そう言いながら彼は自分の懐に手を――



「――



「がふっ……」


 男がうめき声を上げて身体をくの字に折った。

 同時に転がり落ちる小刀。きっと彼はそれで彼女に対抗しようとしたのだろう。

 だが、それを取り出す前に彼の腹部には刀の柄が差されていた。


「これが刃の方だったら、あんたは死んでいたわね」


 そう言って彼女は鞘を手に持ち、蹲る男の頭に振り降ろした。


「がっ……」


 男は目を剥いて気絶した。

 少女の思うままに翻弄された挙句、何も出来ずに無力化された。


「……てめえ」


 兄貴と呼ばれた男の目が細くなる。

 彼もアカネに対しての認識を改めたようだ。


「女だからって優しくしていたら付け上がりやがって……もう容赦しねえぞ!」


 彼もまた懐から何かを取り出そうとする。

 その隙を狙って彼女は再び刀を振るう。

 ――だが。


 カン――という甲高い音が響く。


「同じ手を食らうかよ!」


 彼女の鞘は、男の手によって止められていた。

 しかしながら、彼は素手で受け止めたわけではない。

 彼の手にはいつの間に、手の甲の部分に金属が付いている革の手袋が身に付けられていた。


「つい最近、外部の業者からこれを買ってだなあ。便利だぜ、これ」

「……そんなおもちゃ、私の刀に適うと思っているの?」

「思っているさ。だってよう――」


 男は下卑た笑いを浮かべながら、人差し指を彼女の足元に向ける。


「お前、

「……え?」


 アカネは自分の足元を凝視する。

 足が意志とは無関係に揺れている。

 自分では気が付かなかった。


「お前、こういう実戦って初めてなんだろう? 頭ん中だけで想像していた自分とかけ離れた瞬間に対処が分からなくなった――大方こんな所だろうなあ」

「……」


 図星。

 事実、彼の言う通りであった。

 彼女はずっとこういう状況を想定し、自分の立ち回りも頭の中で組み立てていた。先はその通りにいったのだが、しかしながら防がれること、そして見たこともないような武器を用いられたことで、その想定から外れてしまった。

 この先、どうすればよいか分からなくなってしまった。


「お前、剣士なのに刀を抜かねえような。最初は舐めたことをしているのかと思ったが、どうやらただの怯えだったようだなあ」

「くっ……」


 煽られる。

 だけどそれでも――彼女は鞘から刀身を抜くことが出来ない。

 覚悟が無い。

 ――人を斬る覚悟が。

 だから彼女はずっと想定していたのだ。

 刀で人を殺さず、相手を制圧する手段を。

 しかしながら甘かった。

 それを痛感した。

 お遊びでこの場所に来たわけではなく、正義感から悪を少しでも排除しようとしただけだ。全ての悪を成敗するには自分の実力ではまだ足りないことは自覚していた。

 ――それでも。

 自分の家族達がこの町で平穏に暮らすために、少しでも役に立ちたい。

 その気持ちは偽りではなかった。


 だったら――


「……やってやるわよ」


 ススス、という静かな擦れ音が鳴る。

 彼女は鞘から鈍色に光る刀身を引き出した。


「それで斬るか? 俺を?」

「斬るわ。ばっさばっさ斬るわ」

「そうかい。じゃあ――」


 彼は前へと進みながら拳を繰り出してくる。

 同時に、アカネもまた前へと進み、刀を相手へと振るう。


 拳と刀が交錯する――



「――



 直後。

 アカネと、兄貴と呼ばれた男は――地面へと転がった。

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