第4話 ファミレスで。

「ペペロンチーノ大盛でお願いします。それとライ麦パン二つ。あとはリブステーキのAセットをライス大盛で。それと食後にバニラアイスとコーヒーもお願いします。あなたは? なに、ドリアとカルボナーラ? それだけで良いの? ……ぷっ、くすくす……」

「…………」


 絢音が驚くほど大量の注文をした後、さりげなく咲良の食べる量をバカにした。小食でもない量を頼んだのに鼻で笑われ、咲良は腸が煮えくり返る。


(よし、やり返そう)


 ちょっと仕返しをすることにした。


「幽鬼ヶ原さん。ちょっと手を出してもらえる?」

「え? どうしたの? いいけど……ひゃっ!?」


 絢音がおずおずと伸ばした手を、咲良はすかさず両手で握った。想像以上に柔らかくてすべすべした手に内心どきどきしながら、顔には鉄の笑みを貼り付ける。


「幽鬼ヶ原さんって本当に綺麗だよね。スタイルも凄く良いし、姿勢も良いし」

「え、あ、ええ!? ふ、ふん、わかってるじゃない」

「それでいて男にも媚びることが無い。いやー、本当に素敵だなぁ」


 咲良がとった手段は――


「あ、そ、そう、ね、あの、ちょっと、そろそろ手を離してくれない……?」

「今の注文だって驚いたよ。あれだけ食べるってことは、それだけエネルギーを消費してるってことだもんね。普段から沢山頭を使っているんだね」

「あ、や、もう、恥ずかし……やめ……っ」

「それでいてグラマラスなボディを作るエネルギーにも回してる訳だ。もう本当に素敵だよ。これ以上素敵な女性には今後出会えないかもしれない」


 ――褒め殺しだった。


「やあぁぁん……もう、許して……っ」


 絢音が咲良に手を握られたまま、顔を真っ赤にしてテーブルに突っ伏した。テーブルにおでこが付くと、軽くジュウッという音が聞こえた。ステーキはまだ来ていないというのに。


 ……よし、勝った。

 咲良は謎の昂揚感に包まれていた。


 しかし咲良もダメージは負っている。生まれてこの方、女性に対してこんなに賛辞を送ったことなどない。さりげなくセクハラを混ぜても気にせずに照れてしまう絢音の性格により、楽しくなってしまうが故の行動だった。咲良も顔から火が出るほど恥ずかしく思っているが、それを表に出せば何だか負けた気がするので我慢する。


「……それで、さっきのことなんだけど」


 しばらくテーブルをこんがり焼いていた絢音が、徐に顔を上げた。話題を切り出した声は至って真面目だが、ちょっぴり涙声だった。大量の熱は粗方テーブルに移したのか、頬に赤みが差している以外はいつも通りだ。


「うん。……何ていうか、えらく心臓に悪いものを見たよ」


 咲良が少し細めた声で言うと、絢音がすっと背筋を伸ばした。表情は凜としていて、今さっきまでの可愛らしい照れ顔は消えている。


「まず、あなたに謝っておくわ。ごめんなさい」


 絢音は謝ると、丁寧に頭を下げた。育ちの良さが見えるお辞儀だった。


「あ、いや、そんな謝られるものでも……」


 咲良は少し慌てるが、内心では謝られても良いか……とは思った。理由は分からないが、目の前にいるこの素敵な女性は、どうやら自らの意志で飛び降りたようだし。

 絢音は神妙な顔で俯いた。長い睫毛が儚げに揺れて、咲良は思わず見惚れる。


「あなたには、きちんと説明しないといけないわね。まず何から話すといいかし『お待たせいたしましたー。ペペロンチーノの大盛でございます』あ、すいません、それ私の注文したものです。『あ、はい、申し訳ありませーん』……ふう。まず、私の身体のことから話そうかしら。私ね、ぱっと見は普通だけ『ライ麦パンでございまーす』あら? 二つお願いしていたんですが……『! 申し訳ございません……すぐにお持ち致します』あ、はい、お願いします……。

 ……こほん。それでね、実は私『リブステーキのAセット、ライス大盛でございまーす』あ、はい、ありがとうございます。

 ……こほんこほん。もう大丈夫かしらね。実は『お客様、申し訳ございません。ライ麦パンをもう一つお持ち致しました。ごゆっくりどうぞ』あ、はい、ありがとうございます……。

 ……も、もう大丈夫よね! それで『お待たせ致しましたー! ドリアとカルボナーラでございますー!』『あ、どうもです』…………」


「え、何で俺が睨まれてるの?」


 いじめとも思えるくらいのタイミングで話を中断され続け、絢音は目に涙をためて膨れっ面で咲良を見ている。咲良は悲鳴を上げなかったが、テーブルの下でさりげなく太ももをつねられていた。これをやっているのが自分だったら、完全なる痴漢行為だなーと咲良はのほほんと考えていた。つねる力が結構強く、地味に痛い。


「……まずは、食べてからにしましょう。それまで世間話をするのもやぶさかではないわ」

「俺は可愛い幽鬼ヶ原さんを眺めてるだけでも十分だから、世間話は別にしなくていいよ」

「ぶっ!? ちょ、ちょっと、あなたいい加減に……ていうか話さなくていいの!? ほ、本当に……?」

「……冗談だよ冗談。話そうよ。俺、幽鬼ヶ原さんのことをもっと知りたいだ」

「あ、え、そ、そうなの? ふ、ふふ、懸命な判断だわ」


 涙目から一転、満面の笑みを浮かべる絢音を見て、どれだけ可愛いんだこの人は……と咲良は驚愕する。話好きらしい。


「ほら、手を合わせなさい」

「はいはい」

『頂きます』


 これだけ丁寧に挨拶をしたのはいつぶりだろうな……と思いながら、咲良はカルボナーラをフォークに巻き付けた。


       ×  ×  ×


 咲良と絢音は、共に食べながら話していた。絢音が注文した量は咲良の二~三倍程度あり、普通であれば咲良の方が早く食べ終わるだろう。

 しかし二人は、適当な雑談を挟みながらもほとんど同時に食べ終えた。


「……それ、どういう原理?」


 あまりに自然に食べ終わった絢音に驚愕しながらも、声音を落ち着けて咲良が尋ねる。


「ああ、私ね、食べるのが速いの。丁寧に食べるから早食いに見えないだけで、一つ一つの動きをよく見れば相当速いわよ? 私は」


 絢音は髪をかき上げて、それはそれは誇らしげに笑った。

 武道か何かの話をレクチャーされているような感じだな……と思いながらも、咲良は食器をテーブルの端、店員が回収しやすい場所に置く。


「いやー、しかし……幽鬼ヶ原さんの今までの経歴を聞くと、本当にすごいよね。まさか小学生のときに興味本位で机の角に股を擦りつけたら自慰にハマって、そんなエロい身体になるなんて」

「次にそんな捏造した情報を言ったらぶつわよ」

「もうぶたれた……」


 頬を抑える咲良。じんじんしていた。ノーモーションで繰り出されるビンタって何だよ……メキシコのボクサーかよ……と咲良は思う。ちなみに知識の引用元ははじめの一歩だ。一番好きなキャラは伊達選手。


 ちなみに食事中の雑談は、至極当たり触りのないものだった。咲良は雑談の内容よりも、ライ麦パンを両手で持って、リスのようにもきゅもきゅと食べる絢音が可愛すぎてほとんどの意識をそこに持っていかれていた。写真に撮ろうとした時にはたかれた手の甲の痛みがまだ微かに残っている。校門を飛び越えたという彼女の証言は本当なんだな、と思わせる身体能力をこの場で何度も見せられている。おかげで咲良の身体のあちこちが痛んでいた。


「さて、本題だけど」


 絢音はコーヒーを飲み干すと、神妙な面持ちに変わる。神秘さを孕んだその表情に、咲良の鼓動がとくんと跳ねた。


「まず、端的に言うわ」


 絢音は日常会話のような気軽さで、



「私は、死なないの」



――そう言った。


「……そっか」


 咲良は頷く。


「あら、驚かないのね?」

「いや、前置きなしで聞いたら勿論驚くけど……」


 咲良が実際に見たのは、身体がひしゃげて物言わぬ屍になったはずの絢音が蘇る所だった。あんなものを見せられては、絢音の言葉通り受け取るしかない。


「不老不死って言葉があるけど」


 絢音はふうとため息を吐いて、言葉を続ける。


「私の場合はこの『不老』という言葉は当てはまらないわ。単なる不死なの。……より正確に言えば、寿命を迎えるまでは不死、という意味ね」

「……それって、例えば寿命が80歳だったら、それまでは何があっても死なないっていうこと?」

「そういうこと」


 まあ、寿命なんて分からないから、私が死んだとき初めて寿命が分かるんだけどね……と絢音が小さく笑う。


「いつからこの体質になったのかは分からないの。生まれた時からそうなのかもしれないし、そうでないのかもしれない。けれど、私が物心ついた頃にはこうなっていた。大きな病院でいくら調べられてもこの身体になった原因は分からなかったんだけど、ちょっとした出来事がきっかけで、寿命さえ迎えれば私は死ぬということが分かった」


 そう言って絢音は俯く。この話はこれ以上聞かない方が良いのだろうと咲良は思った。


「霊感も昔からあったわ。道端で人とすれ違いそうになって避けたら、隣を歩いてた人に『何でこの人は今避けたんだろう?』って顔をされて、初めて今の人は幽霊だったんだと気付くなんて経験はザラにあったから」

「……それ、すごいね」

「そう? ずっと持ってる力なんて特別に思わないわ」


 絢音が咲良の後ろの通路に目を向け、うーんと唸って「やっぱりいいや」と顔を逸らした。絢音の行動を見た咲良の血の気が引く。


「ねえ、今何か見えたの? なんで何も言わないの?」

「……見えたっていうか……現在進行形って言うか……」

「そこで止めないでよ! すごく怖いんだけど!?」


 絢音の肩を掴んでゆさゆさと揺らす咲良。絢音は悩みながらも一向に話してくれない。咲良はなんとしてでも吐かせようとしたが、絢音を揺らすと制服越しでも豊かな胸が揺れるのが分かってしまい追及をやめた。

 取り敢えず今のは置いておいて……と、問題をうやむやにして絢音が話題を変える。


「私、霊とも会話出来るの。ちゃんと意識のある霊に限るけどね。それで、成仏出来ずに苦しんでる霊がいると、私が出来ることであれば手伝ってあげてるの。そのせいかしらね、私がこの街の噂の発信源になってることって結構……というかかなりあるのよ」


 例えば……と、絢音が得意気に胸を張る。良い形してるなあ……と思いながらも、絢音が話を続けようとしたところで、咲良は手を前に突き出してストップをかけた。絢音は眉をひそめて首を傾げる。


「……何で私、今止められたの? せっかく武勇伝をひけらかそうとしてたのに」

「ひけらかす気だったんだ……いっそ清々しいね、君は。……今、君の行動がどんな噂になってるかっていうのを話すつもりだったんでしょ?」

「ええ、そうよ」

「俺、全然噂話に興味無くて、ほっとんど知らないんだそういうの」

「え」

「多分、幽鬼ヶ原さんが作った逸話の数々を、俺は全く知らない」

「え」

「だから、君が話す度に『へ、へえ……』みたいな微妙なリアクションをしてしまう。そうすると幽鬼ヶ原さんは絶対凹むと思う。だから止めたんだ」

「…………」


 絢音の背筋が見る見るうちに丸まり、口を尖らせてテーブルを人差し指でなぞり出した。


「……何で知らないのよぉ……私の武勇伝……」


 涙目で見られる。咲良は猛烈に抱きしめたくなった。武勇伝ではないだろうと思いつつ。


「いや、ごめん。全然興味が無くて」

「……ばかぁ……」


 上目遣いで言われた。

 いかん、死ぬ。

 咲良は胸をぎりぎりと押さえつけた。


「ただ、幽鬼ヶ原さんが関わってると思ったら、噂にも俄然興味が湧いてきた。君から聞くのはアレだから、友人から情報を集めておくよ。そしたらまた話してほしいな。どれに関わってるのか、予想するのが楽しみだなー」


 白々しい演技に聞こえるが、偽らざる本心だった。今は絢音に早く元気を出してほしかった。

 一通り言い終えて息を吐くと、絢音は徐に顔を上げた。


「……そう、じゃあ、その時またたっぷり話してあげる!」


 満面の笑みだった。

 単純だ。


「あ、うん、ありがとう」

「コーヒー飲む?」

「あ、うん」

「店員さんすみませーん」


 咲良の返事に対して食い気味で店員を呼び止めた。上機嫌でアイスコーヒー二人分を注文すると、鼻唄まで歌い出す。

 絢音は届いたコーヒーをこくりと飲むと、ふっと息を吐いた。さっきまでと違った物憂げな表情に、咲良の心臓が心地良く跳ねる。


「さっきの学校の出来事も、霊への協力の一貫なの」

「……そっか」


 咲良は血の海が広がる光景を思い出し、ぶんぶんと首を振る。


「……ごめんなさい、辛い所を見せてしまったわね」


 そう言って、絢音は苦笑いを浮かべる。優しい表情だな……と咲良は思った。高校生が浮かべるような表情ではないよな……とも思いながら。


「白いもやを見たんでしょう? あれは成仏しようとする霊魂なの。彼女……死んだ時は私たちと同い年だったみたいでね。イジメに耐えられなくなって飛び降りたらしいんだけど……知ってる? 飛び降りって落ちてる途中で恐怖のあまり失神しちゃって、自分が死んだことが分からないことがあるらしいの。それであの子は学校の中――特に、自分がいつもイジめられていた教室や、毎日飛び降りるか悩んでいた屋上をずっと彷徨ってたみたい。そして私は彼女と出会って話す内に……力になりたい、成仏させてあげたいって思ったの」

「……そうだったんだ」


 予想の範囲内でも、その言葉の重さに咲良は口を閉ざす。今は天に昇った「彼女」が、少しでも安らかな気持ちでいられるようにと願った。


「方法は他にもあったんだけどね。落ちる先の地面に×印を書くと失神することなく落ちることが出来て成仏出来るって言うのも聞いたんだけど……その子に提案したら、『飛び降りるのが怖い』って……。一瞬笑いそうになったけど、そりゃそうよね。いくら痛みを忘れた身体だって言っても、頭にはまだ飛び降りた時の恐怖がこびりついてるんだから」


 絢音の言葉を聞いていた咲良に、ふと疑問が湧く。


「それで、幽鬼ヶ原さんに取り憑いて一緒に飛び降りたってこと……? でもそれ、幽鬼ヶ原さんだって失神するんじゃ……」


 第一、いくら霊を助けたいからと言って、自分が死なないと分かっているからと言って。

 屋上から飛び降りようなんて、普通は考えもしないだろう。

 咲良の至極真っ当な問いに、絢音はふっと、寂しそうな笑みを浮かべた。


「その問いに対する答えは簡単。……私、死ぬことに慣れてるのよ。色々あって、ね……」


 そういうと、絢音はコーヒーを口にする。ガムシロップをたっぷり入れたコーヒーのはずなのに、表情は苦々しいままだった。


「……そっか。……ごめん」

「織部くんが謝ることじゃないわ。私こそごめんね?」


 互いに謝りながらも、咲良は強い違和感を感じていた。

 ……慣れてるからって、それでいいのか……?

 拭えぬ疑問は、絢音が次の話題を切り出したことでうやむやのまま流れた。


「もう一度確認するけど……織部くん。私が飛び降りた後、天に昇っていく白いもやを見たのよね?」

「え? うん、そうだけど……」


 咲良の回答に、絢音は顎に手を当てて「うーん……」と唸った。


「……詳しい理由は分からないけれど、どうやら織部くんにも霊感が付いちゃったみたいね……」

「……え?」


 絢音の言葉に、咲良はぽかんと口を開けた。

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