第3話 思ってた感じと違う。

 あの後。


 結局昇降口が閉まっていたがために、咲良は職員室に出向いて開けてもらった。幸い残っていた教師は、咲良に良くしてくれている穏やかな現国担当の先生(独身男性)だったので、和やかに話しながら開けてもらえた。


 校門の内側で、先生が施錠して手を振るのに対してぺこりとお辞儀をすると、咲良は物憂げなため息を一つついた。


「……さて」


 先生と談笑した程度では、咲良が受けた人生最大級の衝撃は消える訳もない。


 月が煌々と辺りを照らす中で視線を巡らせると、彼女は――幽鬼ヶ原絢音は、校門からほんの数メートル横に佇んでいた。


 何から話しかけよう――と咲良は思ったが、取りあえず。


「……校門、閉まってたと思うけど。どうやって外に出たの?」


 目の前の疑問から解決してみることにした。何気に初めて話しかけるので、内心かなり緊張している。


「ん、ああ、そのこと? それならこう……ひょいっとね」


 絢音は涼しい顔をして、校門の内から外へと指を動かしてアーチを描いた。


「……な、え? 乗り越えたの? しがみついて登ったってこと?」

「ううん? そんなことしたら手が荒れるじゃない。だから、ひとっ跳びよ、ひとっ跳び」

(ひとっ跳び? 何言ってんのこの子?)


 先程のショックに加えて、さらりとこんなことを言われてしまっては。


「……君は、一体何者なんだ」


 咲良の声に、警戒の色が滲むのも仕方がないことだった。

 絢音は咲良の表情を見て、肩を竦めてくすりと笑う。


「そんなに警戒しないで。ちょっと色々とおかしな事情があるっていうだけの、あなたと同じ人間よ」


 ああ、表現がちょっと適切じゃなかったわね……と、絢音が誇らしげに言い、艶やかな黒髪を翻した。



「ちょっとおかしな事情があるっていうだけの……絶世の美少女ね」



「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「……ちょ、ちょっと……」

「…………」

「……な、何か言ってよ。恥ずかしくなってきちゃったじゃない」


 ……『とっつきずらい』って、平常時のキャラも含まれてるのか……。

 咲良は友人の言葉を思い出しながら、まだ固まっていた。


「…………」

「ね、ねえってば……」


 若干涙声になった絢音が、見る見る内にしおらしくなり、しまいには咲良の袖をきゅっとつまんだ。あざとい行為というよりは、本気でやっているらしかった。

 なんだか子犬のようだ。


(……こ、これは、ちょっとそそるかも……)


 咲良の心の内に、良からぬ感情が芽生えた。


「あー、そっか。確かに美少女だと思う。俺も見惚れたし」

「え、ええ!? あ、そ、そうなの!? ふ、ふぅん、見る目はきちんとあるようね」

「それじゃ、俺は帰るから」

「えぇぇっ!? ちょ、ちょっと待って、いくら何でも淡白すぎるでしょ!? 私、すごいとこ見せちゃったでしょ? あれの説明をしなくていいの? 私の秘密を聞いたらびっくりするわよ? ねえ?」


 くるりと身体の向きを変えて帰ろうとする咲良の手首を掴んで、絢音が必死で捲し立てる。咲良はにやけそうになるのを堪えながら、澄まし顔で振り返った。


「あー、まあ、飛び降りて一回死んで、蘇りたくなる日もあるよね。わかるわかる」

「そんな日なんてないわよ!?」


 絢音が目をむいてツッコんだ。良いツッコミだ、益々イジリ甲斐がある……と咲良は内心笑みを浮かべた。


「うぅぅ……ちゃんと話聞いてよぉ……」


 最初の勢いはどこへやら、絢音はしぼみきった風船のごとく元気を無くしていた。

 咲良はもう少しからかおうと思い、


「幽鬼ヶ原さんが飛び降りた後、白いもやみたいなのが天に昇っていくのを見る日っていうのも、たまにはあるよね」

「だから、そんな日……って、んん?」


 ツッコミを入れてもらおうと、不可思議な現象の一つを何気なく話すと、絢音は目の色を変えた。


「あなた……あれが見えたの?」

「え、なに、落ちる時にさりげなく揺れてた幽鬼ヶ原さんの胸?」

「ちょ、あなたどこを見てるの!?」


 絢音が胸の前で腕を高速で交差させて隠した。顔も真っ赤だ。イジり甲斐があるけど、今のはセクハラだよな……流石に自重しよう、と咲良は心の中でだけ反省した。


「だ、だから、あなた、白いもやが見えたんでしょ?」

「え? ああ、そのことか。うん、見えたよ」

「……普段から、そういうのって見たことある?」

「え? そういうのって……ううん、似たものなんて煙くらいしか見たことがないけど」


 咲良はそう言いながら、屋上で見たものを思いだす。あの白いもやは、煙よりももっと密度が濃くて、煙よりも動きがはっきりと定まっていた。まるで意志を持っているかのように……。

 絢音は咲良の話を聞いて、顎に手を当てて考え込む。


「これは、思ったよりまずいことになったわね。よし、あなた、名前は何ていうの? ……ていうか何で私の名前を知っていたの!?」


 絢音が高速で後ずさる。見ていて飽きないなあと思いながら、咲良はぽりぽりと頬を掻いた。


「俺は織部咲良って言います。……幽鬼ヶ原絢音、さんだよね。一応俺、同じクラスなんだけど」

「へえ、そうなの。私、周りに無関心だから全然知らなかったわ。ごめんね」

「いえいえ。俺も今日初めて幽鬼ヶ原さんを知ったから」

「そ。……あれ、あなたさっき言った……その……見惚れた、っていうのは……」


 絢音がもじもじと両手の人差し指の先を合わせる。この可愛らしい仕草をするためにわざわざ鞄をアスファルトの上に置くという心意気に、咲良は感動を覚えた。


「ああ、うん、そうそう。一目惚れってやつ。あんな綺麗な人見たことないって思った。びっくりしたよ」

「……っ」


 咲良のどストレートな言葉に、絢音は瞬時に身を屈めて鞄で顔を隠す。鞄の裏から湯気が立ち上っていた。さっきの白いもやみたいだなあと咲良は呑気に思った。


「……織部くん」


 待つこと数分、のんびりと月を見ていた咲良に対して、鞄から目だけちらりと覗かせた絢音がおずおずと話しかけてきた。


「ん、なに? 幽鬼ヶ原さん」


 咲良が返事をすると、絢音はゆっくりと立ち上がった。


「さっきの話。今まで織部くんはそういうのが見えてなかったのに、白いもやが見えたのよね? ……これは、私の事情も含めて話す必要があるわ。……ついてきてちょうだい」


 付いてこないなんて選択肢は無いからね……と有無を言わせぬ表情で告げると、絢音はつかつかと歩き出した。


「え、なに、どこに行く気なの?」


 何かの組織のアジトか、或いは訳ありの実家か……などと考えを巡らせていると、絢音はぴたりと足を止めた。


「決まってるじゃない。込み入った話をしても周りに気にされず、且つこの時間帯に適した場所……」


 それはつまり――と、絢音が振り返る。妙にドヤ顔で咲良はちょっとだけ腹が立った。


「みんな大好き! ファミレスよ!」

「帰るね」

「ごめんごめんごめん! お腹空いてるの! 行きたいのはほんとなの! ごめんってば!」


 とっつきずらい上に、ボケの方向性が分からない……。というかボケなのかさえ分からない。

 そんなことを思いながらも咲良は、涙目で咲良に縋りついてくる絢音をどうしようもなく可愛く思ってしまった。

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