No pain, no gain. -2

『まずはアナタから、殺さないといけないですね。』


「ひぃっ!!!」


 自分に対して言われていることが分かったのか、まといの声が裏返る。


「た…助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けてッ!」


 逃げようともがくが、部屋の隅に逃げ場はない。

 彼女は何を思ったのか、壁に向かって爪を立て、ガリガリガリガリと引っ掻いている。

 その手は爪が剥げ、血で真っ赤に染まっていた。


「ち…違う!私は何も…何もしていない!何も…何もォ!」


『惨めですねぇ…『まといちゃん』…。ずっとずっと、アナタは私を見下して…。』


 あぁまずい。

 こいつは私の感情を代弁している。

 私ではないはずの存在なのに、誰よりも私のことを知っている。


『見下して見下して見下して見下してッ!!でもっ…』


 笑みが浮かんだ。

『もう1人の私』の顔に、嘲笑うかのような笑みが。


 追い詰められた鼠を殺すかのように。

 湧いた害虫を焼くかのように。

 圧倒的な力に怯える者を、ただただ嗤った。


『死ぬのはアナタなんですよ…。』


 妖狐の拳を炎が再度包み込む。

 私が望んだ殺意と憎しみ。それが体現されたかのような、禍々しい炎。

 纏に向けられているのは、私自身の”邪悪”


 これは私が望んだこと…。


 あの絶望の日々の中、望み続けた私の願い。


 でも…。


 これでいいのか?


『死ぬのは…死んじゃうのは…私を見下していたアナタのほう!私の…この手でぇ…。』


 学校での出来事が蘇る。


 何も出来なかった、無力だった私。

 私の1歩で、誰かが救えるかもしれない。


『だからァ…。』


 理想はついえたはずなのに、心から怖いはずなのに。


『さようなら……ッ!!』


 それでも…。


 それでも私は…。




『何のつもり…ですか?』


 呆れたような表情で、『もう1人の私』は呟いた、

 気がつくと、狂ったまといを庇うように、私は両手を広げて立っていた。


 妖狐の拳は、私の鼻先でピタリと止まっている。


『自分がやってること…分かってるんですか?』


 頬を汗が伝う。

 ひんやりとした感覚が、私の背筋を凍らせる。


『その子やその親は、長い間”私たち”にとてつもない苦痛を与えてきました。』


 そんなこと…分かってる。

 長い間…ずっと…。


『耐えられなくて、苦しくて、”私たち”は彼らが消えたらいいと、死ねばいいと願いました。』


 ああそうだ。

 逃げたくて、苦しくて、心の底から彼らを憎んだ。


 でも…


『なのに何故、彼女を庇うんです?』


 でも…私は。


『何故です…何故なんですか…!』


 見る見るうちに、妖狐の顔は憎しみへと染まっていく。

 苦虫を噛み潰したような、苦しそうで、恨んでいるようで…。


 怒りに満ちた、そんな表情…。



『答えなさい!”もう一人の私”!!!』


 そんな顔をしないで…。


 だって私は…私の”理想”は……。


 ”本当のアナタ”は…ッ!



「アナタは…そんな事しない……。」



『は?』


 妖狐の呆れた声が、静寂を生む。

 それに構わず、私は言葉を紡ぐ。



「私の…私がなりたかった『彼女』は…理想は!こんな事しない!」



『はぁ…………。』



 深い深いため息とともに、髪をかきあげる『もう1人の私』

 先程よりはっきりと露出した赤い目が、私の心を鋭く突き刺す。



『まだ偽善者ごっこですか?どれだけ馬鹿なんですか『私』は…。』



「この子だって、まといちゃんだって苦しかったんだ。確かに、私はあの人たちを恨んでた…でも…。」



『でも…なんですか?』



「それは決して、傷つけていい理由にはならない!」



 声を張り上げた。


 恐怖で震えているのは、自分でもわかっている。

 心も、体も…だ。


 でも、伝えなければならない。

 どうしても、彼女に言わなくてはならない。


 この”惨劇”を、止めるために…。



『いい加減にしてください…。』



 妖狐の赤かった目が…濃くなっていく。

 地獄の炎のような、黒くて紅い、ドロドロとした紅蓮。


 炎のような憎しみと、氷のような悲しみが、その眼には宿っていた。



『散々苦しんできたでしょう?何年も何年も孤独で、苦しくて。父が死んでから、『現し身事件』のあの時からずっと』



 声を荒げ、叫ぶ妖狐。

 彼女の目には、涙が浮かんでいた。



『なのになぜ、まといを庇うんですか!そいつは私たちを苦しめたあの忌々しい家族の娘なんですよ?』



「分かってる…。」



『助けてもきっとろくな事にならない…。その女は、あなたの命に代えたとしても…守るべき存在なんですか…ッ!?』



 妖狐の顔は、人間だった。

 長い長い歳月をかけて生まれた、”もう一人の私”が、目の前にいた。



「もう…見たくない…。」



『えっ?』


「誰だろうと、どんな人だろうと…。もうこれ以上泣くのは見たくない…。」



 恐怖は、不思議と無くなっていた。

 目の前の妖狐が、本当に”もう一人の私”だと気が付いたからなのかはわからないが。


 ただ一つ。

 彼女の涙の理由は、私にはよくわかっている。


 だから…伝えよう。

 私の”理想だった”彼女に…。


 私の言葉で…彼女を止める…ッ!




「誰かがこれを止めなければ…復讐の連鎖は終わらない。これは永遠に…永遠に続いてしまうからっ…だからっ!」



 彼女自信を…救うために…



「私がここで、この連鎖を…断ち切るんだ!」



 声が響く。

 息切れがするほどに、私は彼女に訴えた。


 心臓はより鼓動が早くなり、目はより見開く。

 脳へ流れる血の量が増えたのか、頭がものすごく熱い。


 その一言は、私の感情のすべてを表していた。


 しかし…



『優等生ぶるのも…いい加減にしてくださいよっ!!!』



 胸ぐらを思い切り掴まれ、殴られる。

 顔面がへこんだかのような、重い一撃。


 彼女の感情を乗せた、重い、思いの拳。



『自分の身も守れなかったアナタが…誰かを守るッ!?どうしてそんな甘いことが言えるんですかあなたは!!!』



 吹っ飛ばされ、仰向けに倒れた私に馬乗りになり、尚も胸ぐらをつかんで彼女は叫ぶ。



『”現し身事件”のあの瞬間。お父さんが死んだあの瞬間から、あなたは何一つ守ることができなかったじゃないですか…ッ!それなのに…それなのにッ!!』



 右、左と繰り出される拳。

 しかし、不思議と痛みは感じなかった。


 彼女の心のほうが、それよりずっとずっと痛かったから。



『どうしてアナタは、誰かを守るなんて言うんです…!正義の味方ぶって、ヒーローぶって…そんなのただの偽善じゃないですか!』



 そうかもしれない。

 私はただの偽善者だ。


 英雄に憧れて、それを真似する『贋作』


 強さにあこがれて、勇気に憧れて、誰かの笑顔が見たかった。


 でも、現実は真逆だった。


 勇気も力も、人の笑顔も守れない。


 自分の笑顔ですら、守ることは出来なかった。



『勝手に望まれて…勝手に生み出されて…。』



 そして願った。

 私を苦しめる”悪”の殲滅を。


 心にたまった”理想”はやがてその姿を変え、明確な”殺意”になってしまった。


 その姿が……その”殺意”を背負ったのが…。



『なのになんで……なんでアナタは私を否定するんですかッ!?私は…アナタが望んだ”英雄”じゃないですか!!!』



 何度も、何度も何度も。

 彼女は私を殴り続けた。


 叫びと共に、怒りのままに、涙を浮かべた彼女は私を痛めつける。


 何度も…何度も…。


 もう最早、私の体は立ち上がることが困難なほどに、ボロボロになっていた。


 やがてその連撃は止まり、私の意識も薄れ始めた頃。


 彼女は馬乗りになっていた私から静かに立ち上がり、言った。



『あなたが守ろうとしたまといは…私たちの恨みの権化です。彼女を殺し、そのあとは私の手で…アナタを殺します…。』



 あまり、聞き取れなかった。

 意識がハッキリとせず、視界が歪んでいる。


 ただ、彼女の表情だけはうっすらと見えた。


 その表情はとても冷徹で、心すら失っているようで…。

 少し、悲しそうにも見える顔だった…。



『私が…本当の”鬼野きの火末かまつ”になるために…。』



 彼女は私に背を向け、そう呟いた。


 彼女が向いた先には、怯えてへたり込んでいるまとい

 恐怖が彼女を完全に支配し、彼女は虚空を見つめて呆然と座り込んでいる。


 指先から血は流れ、目は見開き、歯はガチガチと音を立て震え…。

 体はピクピクと痙攣をおこしていた。


 私が恨み続けていた以前のようなまといの姿は、もうどこにもなかったのだ…。



「もう…やめて…」


 私は”もう一人の私”の背中に訴える。


「もうやめて…こんなこと…」


 彼女の足に縋りつき、必死にその足を止めようとする。

 だが…。


『邪魔ですよ…ッ!!!』


「ガ…ハァ……ッ!」


 鳩尾の近くを蹴られ、後方に飛ぶ。

 肋骨が鈍い音をたて、痛みが遅れてやってくる。


 まといとは反対側の壁に背中を打ち付け、口からは血が噴き出していた。



「やめろ…」



 ”もう一人の私”が、まといの首に手をかける。



「やめろ…やめろやめろ…!」



 憎しみに歪んだ”笑顔”を浮かべながら、彼女の体を軽々と持ち上げる。

 首を強く握られているまといだが、その顔には既に生気はない。

 最早、抵抗をするほどの力も、感情も、彼女には残されていなかった。



『”私”を苦しめ続けた…”悪魔”の家族…。これで、私の”正義”は執行される…!』


 やめろ…。

 やめろやめろやめろ…。


『死ね!景井かげいまとい…ッ!』



「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」




「そこまでにしとけ…。”狐の嬢ちゃん”…。」



 その声は、薄れゆく意識の中聞こえた。


 飄々としていた、あの仮面の道化師の声。

 しかしその声色は、その時だけはとても真面目なものだった。



『あ…アナタ…どうして!?』


 道化師は”もう一人の私の肩を掴み、静かに立っていた。

 外に倒れていたはずの彼がなぜここにいるのか、音もなくどうやって彼女の背後を取ったのか。

 そのすべてを理解するには、あまりにも時間が足りなかった。



「随分と荒れてるなァ…”自称ヒーロー”さんよォ…。」


 驚きのあまり、”もう一人の私”はまといの首から手を放す。

 それと同時に、まといは嗚咽と共に床に落ちた。



「なァ…お前さん、自分がやってること分かってんの?”自分”はボコボコにするわ、恨んでいたとはいえ”ただの人間”を殺そうとするわ…。」



 人差し指を立て、何かを示すように彼女に突き立てる道化師。



「今のお前さんは…”英雄ヒーロー”っていうより…”悪役ヒール”だぜ?」



 ニヤニヤと、余裕の笑顔を見せる道化師。

 しかし、彼の『仮面』の目は鋭いままだった。


 その眼光は、”もう一人の私”を捕らえて離さない。


 動揺する妖狐。

 額には汗が浮かび、怒りの表情を見せる。



『あなたに…何がわかるというんですか…。家族でも、知り合いでもない、得体のしれないあなたに…何が…ッ!』



「知るか!わかんねえよお前のことなんて。わかるわけねえだろ初対面なんだからよ…!」



『だったら…!』



「だから。」



 道化師の声が彼女の言葉を遮る。

 彼の声色には、とてつもない迫力があった。


 道化師は、一瞬の間の後に。

 こう言った。



「だから、としてんだよ…。お前さんの…本当の心をな…。」



『アナタ…いったい何を考えて…。』



 道化師は彼女にそう言うと、その身を翻しこちらにやってくる。

 倒れた私のほうに、ゆっくりと歩いて。



「”本物のほうの嬢ちゃん”は大丈……ぶ…そうではないなァ…。」



 彼は、壁にもたれかかっている私と目線を合わせるように、膝を立ててしゃがみ込んだ。

 まるで子供に風船を渡す、道化師ピエロのような格好で…。



「嬢ちゃん、名前は?」


「え…?」


「名前だよ、名前。」


鬼野きの火末かまつ…です…。」


火末かまつ…か。変わっているがいい名前だ。」



 突然の質問に困惑はしたが、私は名を名乗る。

 すると道化師は嬉しそうに仮面を歪ませて話し始めた。



「じゃあ…火末かまつ。お前さんに質問だ。」


「え…は…はい…。」




「この質問は、今の”お前さん”だからこそできる質問だ…。聞いてくれるか?」


「なん…ですか…。」



 道化師は笑う。


 しかしそれは、奇妙な笑みではなかった。

 とても暖かく優しい、そんな笑み。


 彼は言った。



「力がほしいか…?」



「え…?」



「いや、正確には…。お前の持っている”本当の力”を…使えるようにはしたくないか…?」



 その一言が、私の決まり切った物語を壊す、分岐点のように感じた。


 私を、私たらしめていた呪縛を。

 この道化師が完膚なきまでに、粉々にするような予感が、私の脳裏を駆け巡った。



 全ての運命の歯車は…もうその瞬間から。


 いや、もしかしたら…。


 この道化師が現れた瞬間から、回り始めていたのかもしれない…。

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