身の程知らずは馬鹿を見る

『ソロモン当局が、午後6時をお知らせいたします…。』


街中に響き渡るメガホンから発されるチャイム音で、私は目を覚ました。


オレンジ色に染まる教室。

一番後ろの、窓側にピッタリとくっつけている、私の座席。


どうやら私は、授業中はおろか、放課後まで寝てしまっていたようだ。


昼休み後くらいまでの記憶はあるが、そこからのほとんどを覚えていない。

私の髪は、夕日のせいか少し温かくなっていた。


私の通う 『ソロモン管理区立 三野上みのかみ中学校』 は、その区域に住んでいる殆どの子供が進級し、一クラスでも在籍数がかなり多く、教室も窮屈だ。


彼らの過半数がこの付近の小学校に通っており、私を除く人間の大半が顔見知り程度には知り合っているというレベルである。


昔、父の都合であちこちを転々としていた私にとって友達などいる訳もなく、作ろうとも思わない。人間関係など、作らないに限る。


周りの教師も生徒も、私の家庭環境などを少なからず噂にしたり、察したりしているらしく、向こう側からは全くと言っていいほど干渉をしてこない有様だ。


現に叔父に顔を殴られ、アザを作って登校した時があったが、教師も生徒も私には何も言わず、ただ周りでヒソヒソと何かを話していただけであった。


「帰りますか…。」


すっかりと、敬語が定着してしまった。

家族にも周りにも、そして自分にも、話す言葉は敬語と決めている。その方が都合がいいのだ。


椅子を立ち、荷物をまとめ始める。

机の上には鉛筆やらノートが開かれ、ページには多少の折り目が付いていた。


『狐の巫女』


そこにあったのは 落書きで描いた、憧れの女の子。


そういえば午後の授業中、これを描いている途中で眠くなってしまったようだ。

幸い、私がその上に乗っかるようにして寝ていたので、中身を覗かれた可能性は低いだろう。


世界のあり方を恨み、人々に迫害されるも、理不尽な世界に強く立ち向かえる主人公。


ノートには炎を纏った拳を振り上げ、怒りの形相で戦う巫女の姿があった。


「立ち向かう…ヒーロー…。」


そのとき、ふと頭をよぎったのは叔父と叔母、そしてその娘のまといの笑い顔。

下卑た笑いを浮かべた、あの人達の嘲笑。


「そうなれれば…いいんですけどね…。」


ため息が、どうしても漏れてしまう。

あの人達のことを、あまり考えたくはないのだ。



七年前、父が死に、身寄りを失くした私を引き取ってくれたのはあの人達だった。

というより、私の親族と呼べる存在がもうそこにしかいなかった。


叔母が私の母の妹にあたり、昔から金に執着する性格だとは知っていた。


施設に預ける、という方法も選択肢もあるが、この国の制度上、私に意思と権限は”与えられなかった”上、父の残した”モノ”を、そんな叔母がみすみす手放すわけもなかった。


父が残したのは、多額の財産だった。

人間の心理と脳の研究家であった父は、様々な研究による名誉や賞を受賞し、その筋ではかなり名前が通る人間だったらしい。


鬼野きの』の家系は元々かなり有名な名家だったらしく、かつては『陰陽道』のようなオカルト地味たことでも名を知らしめていたようだ。

私の書いている小説の題材が、九尾やら鬼やらと言っているのは、自分の家系の話に多少なりとも興味があったからかもしれない。


その『鬼野きの』の末裔にして一人っ子、そして世ではかつて天才科学者と”呼ばれていた”父の遺産となればそれはそれは多額だっただろう。


本来、私に相続されるハズの遺産は、『保護者』を名乗る叔母の元に”一時的に”渡された。

養育費と、教育費、私のために父がとっておいてくれた大事なお金だった。


まあどうせ、もう無いんだろうけど。


現に、今でもあの忌々しい一軒家には、高額なものが点々と見える。


アンティークの皿やら、置物やらは多く並び、休みとなれば”3人”で旅行に行ったりと、どこにそんな金があるんだか分からないが、真相は私の父の金であろう。


もう、怒ることにも疲れてしまった。


自分を殺せば、最悪食料を貰えるし、最低限の文房具は貰える。

まあすべて、纏が使い古したものばかりだが…。




荷物をまとめて教室を出た私は、近くの下り階段へと向かった。

本能的に帰ることを拒んでいるのか、教室を出るのに30分もかかってしまった。


廊下は生徒も教師も、もちろんいなかった。

夕焼けが次第に暗くなっていく。

今日も何もせずに1日が終わってしまう…。


廊下の先の階段へと向かう。次第に私の足は重くなっていった。

ため息とともに、私は廊下を進み…


「やめてください!」


少女の声を聞いた。

必死で、涙ぐんだ声、

なにかにすがり付くような、掠れた声。


「もう…こんなことやめてください…。」


廊下の角から階段を覗く。

数人の如何にもガラが悪そうな女子生徒に囲まれ、怯えている少女。

そこには見覚えのある顔が、泣きそうになりながら立っていた。


飛五ひごさん…?」


飛五ひご雷花らいかさんはとても物静かで勉強が出来る優等生。真っ直ぐに切った前髪にお下げ。

私と同じクラスにいる、私と同じく友達がいない地味な少女。

休み時間はずっと本を読んでいて、私が密かに共感していた人間でもある。


その彼女が、数人の女生徒に追い詰められるかのように壁に迫られていた。


女生徒の中のひとりが飛五さんの前髪を強く掴む。

整った前髪は乱れ、引っ張るようにして持ち上げられる。


「いっ…痛っ…」


「”約束”したでしょ?私達…。」


女生徒の中心に立っていた、いかにもリーダー格の気の強そうな少女が話し出す。

どこかで見覚えがあるが、どこだっただろうか…?


「あなたのお父さんの会社…大変だったんでしょ?救ってくれたのは誰だったかしら…?」


「そ…それはっ…」


苦虫を潰すような顔をした飛五ひごさん。


「私の父が運営する『草原くさはらコーポレーション』。あの契約が無かったら、今頃どうなっていたかしら…?」


草原くさはら…?

草原くさはらと言えば、確か大きな会社の社長令嬢、『草原くさはら美輪子みわこ』がこの学校にいるとは知っていたが、あんなずる賢い顔をしていたのか。興味すらなかった。


草原くさはらは続ける。


「なのに…あなた達は立場を弁えない。草原くさはらコーポレーションに齧り付かないと生きられないカス会社のクセに…。」


「…っ!!」


飛五ひごさんの目が、少し開いた。

それも構わず、草原くさはらは続ける。


「しかも”チップ”も買えない貧乏家庭…。反吐が出る…なのにっ!」


腕を振り上げる草原くさはら

彼女の顔は鬼のように怒り、赤くなっていた。


「私より!私よりなんで!あなたが上なのよ!」


前髪を掴まれたままの飛五ひごさんの腹部に、草原くさはらの拳が叩き込まれる。

鳩尾に1発。強烈な音だった。

嗚咽ともにうずくま飛五ひごさん。それは同時に、開戦の合図でもあった。


周りにいた女生徒に、なにかサインのようなものを指で指示する草原。


それと同時に、周りにいた女生徒が突如飛五ひごさんを殴り始めた。


「いつもいつもいつもいつも!私の上にいるのはあなた…。テストの度に、あなたに見下されているようで、ムカつくんだよ!!」


止まらない暴力、止まらない激昂。

飛五ひごさんが見えなくなるほどに群がる女生徒。


飛五ひごさんの悲鳴も嗚咽も聞こえなくなるほどに、体中を殴り、蹴る音が響いていた。

その光景は酷く、酷いものだった。



「た…助けなきゃ…。」


本能的に私は呟いてしまった。

飛五ひごさんは努力をしているだけなんだ。それに嫉妬して、権力に甘えて、迫害する。

私が一番嫌いで、抗いたい者のはずじゃないか。


じゃあなぜ、この足は動かない。

いつもなぜ、肝心な時には動いてくれない。


体が震えている。歯も、足も、覚えのある恐怖で震えている。


世界に抗う強い心を持った人間に、私は…。


私は………………。




「お前さえいなければ!お前さえいなければなぁ!」


草原くさはらの声が脳裏に響く。

怒りと嘲笑が混ざった、背筋が凍るほどの邪悪。


ふと『現在の家族』の顔が、また頭を過った…。


『お前さえいなければ』


オマエサエ、イナケレバ…。


「無理だ…。」


そうだ。無理だ。

この世界は非情だ。

権力を持たないものも、世界のルールに抗おうとするものも、みんな殺される。


強制され、矯正され、共生する。


意思も、意志も、自分さえも…。

殺して殺して、殺して殺して殺して殺して。


人はそんな生き物だろう。

そうして生きていくのだろう。


ヒーローなんて幻想だ。

幻想を見続けて苦しむより、現実を見た方が正しいことなんだ。


だから。


だから…………。




「ごめん…なさい…。」



微かに聞こえたのは飛五ひごさんの声だった。


いつの間にか、女子生徒の集団も、草原くさはらの姿もそこには無かった。

彼女らは私に気が付くこともなく、下の階の玄関へと向かったようだ。


「ごめんなさい…ごめんなさいごめんなさい…。」


飛五ひごさんは謝り続ける。

うずくまりながら、彼女は静かに泣いていた。

頭を抑え、嗚咽を繰り返して。


彼女は何も悪くないと言うのに…。

勉強して、努力して、頑張り続けている飛五さんが。


ただひたすらに、虚無に向かって謝り続けていた。


服も体もボロボロになり、震えている彼女。


あの光景を目の前にして、手も足も出すことができなかった私自身に殺意が沸いた。


「ッ…。」


無意識に、私は唇を噛みしめていた。

口の中に、じんわりと血の味が広がったが、そんなことは気にも留めなかった。


「私は…。」


嗚呼、そうだ。


その先にある言葉は言わなくても分かっている。


声に出さなくても、もうとっくに分かっていたんだ。


私は臆病で、意気地なしで…



無力なんだ…。

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