炎の巫女と仮面の道化師

 自分の目を疑った。


 目の前で起きていたこと、そして今起こったこと。

 すべてを疑った。


 リビングを赤く汚し、佇む少女の影。

 血濡れた巫女服を身に纏った、飽きるほどに見た顔。

 非科学的で、摩訶不思議な、そんな光景。


 そこには ”もう一人の私” が立っていた。


 壁にもたれかかり、血を流しながらピクリとも動かない叔父と叔母。


 フローリングの線に沿って、阿弥陀くじのように伸びる血液の線。


 荒れた室内。砕けた椅子。足の折れた机。

 破壊の限りを尽くされた、あまりにも無残な光景。


 その惨劇を前にして、膝を抱え、部屋の隅でうずくまり震えている従妹。


 平和だった”彼ら”の日常は、突如現れた異分子の手で、完膚無きまでに破壊されていた。


 この混沌の中心に、静かに立っている”何者か”の手によって。


 『これは、あなたが望んだこと…。』


 私の顔でゆっくりと振り向き、私の声で淡々と言う。


 『私は、あなたの思う ”あなた” 自身…。』


 ゆっくりと、こちらに近づいてくる”何か”。


 脳の理解が追い付かないまま、私の足は後ずさる。


 『理想になりきれない哀れなオリジナル…。あなたの理想は、私が継ぎます…。』


 一歩、また一歩とその距離を縮めてくる。

 後ずさった私の背後には、すでに壁が当たっていた。


 『だから……』


 右手をこちらに向け、構える。

 何が起こるかは、不思議と理解できた。


 『さようなら』


 奇怪な笑み。

 嘲笑うかのような、蔑むかのような、余裕の笑み。


 躊躇なく、迷いもなく、私に殴りかかる ”私” 。


 声も、体も、恐怖で震え動かない。

 もはや体の感覚ですら遠く感じる。


 私の物語は、そんな悲劇をもって、”死”として終わるのだ。

 良いこともなく辛いだけの人生、最後は ”私” 自身に殺されるとは。

 なんとも神様に嫌われてしまったようだ。


 拳は炎を纏い、一直線に振り下ろす。

 その拳は一瞬で私の心臓を貫き…




 私の意識はなくなった…。





 ハズだった。


 ガシャアアアアアアアアアアアアアアン!!!!!!!!!!!!!


 「痛ってえええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」


 それはあまりにも突然で、場違いで、馬鹿らしい声だった。

 何が起こったのか、その場の全員が驚き、その動きを止める。


 無論 ”もう一人の私” ですら、その拳を止めた。


 音の原因は、一目瞭然。

 ”もう一人の私” の背後にあった窓ガラスが、木っ端微塵に砕け散る音だった。


 そして何より、この異常な光景の中に、さらに異常な影がまた一人。


 まるで伸びをした猫のように、膝を立て、尻を突き出し、床に頬をくっつけながらうつ伏せで倒れている”何か”。

 ピクピクとギャグマンガのような痙攣をした奇妙な怪人が、ガラスの破片と共に情けなく地面に転がっていた。


 黒すぎるコートに、長い脚。

 人のものとは思えないほどに怪しく、紫に光る髪。


 まさに”間抜け”という言葉が似合う、道化師のような怪人だった。


 「おかしい…もう少しカッコよく決まると思ったんだけどなァ…。」


 子供のように拗ねた声。

 むくっと起き上がった”何か”の顔は、奇妙な仮面で覆われていた。


 殺伐とした空気が、この道化師が発する異様なまでの存在感に飲み込まれる。


 『アナタ…何者ですか…。』


 先程の余裕の表情が嘘のように ”もう一人の私” は頬に汗を浮かべていた。


 「え?何その質問…。バトル漫画かなにか?」


 ケラケラと笑う道化師。

 奇妙なことに、彼の顔を覆う仮面が更にニンマリと、馬鹿にしたような顔に表情を変える。


 「名前もないからなァ…口上も名乗りもできないや、ごめんね。」


 『ふざけないでください…!』


 一閃。

 赤く燃える拳は道化師を目掛け放たれた。

 目にもとまらぬ、炎の一撃。


 しかし…。


 その拳を、道化師はいともたやすく、手のひらで受け止めてしまった。

 ただケラケラと笑いながら、余裕を浮かべたまま。


 至極、あっけなく受け止めたのだ。


 『あなたッ…!本当に何者なんですかッ…!』


 初めて見えた、”もう一人の私” の恐怖。

 焦りを超えたその先にあったのは、自らを上回る存在に対する恐怖の表情。


 道化師は呆れたような顔を作ると、彼女の拳をしっかりと握りながら答えた。


 「ガラじゃないんだけどなァ…決め台詞とかさァ?中二病臭いし好きじゃないんだよね…。」


 尚も彼は言葉を紡ぐ。


 「でも名乗らせてもらうとすれば…。」


 奇怪な面を歪めながら、嗤う。



 「お前みたいな ”いけ好かない奴 ”に ”おしおき” しちゃう ”悪役” だよ。」



 



 終わるはずの物語は、この奇妙な道化師によって噛み合い、歯車のようにして回りだす。


 私がなぜ、このようなプロローグを迎えたのか、それは少し長い過程へと遡ることになる。

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