おまけ■五月二十九日(金) 夏凛

 夏凛がバイトを終えて山麓園に戻り、食堂に入ると、低い男の声が聴こえてきた。


「まさか全額一気に払ってくれるとは思わなかったよ。博之くん、大丈夫?」


 顔を確認すると、弁護士の橘だった。


「あ、夏凛ちゃん、お帰り。今日もバイト?」


「はい、そうっす。……博之のこと、ありがとうございました」


「ああ、本当に無実でよかった。まあみんな信じてたしね。ぼくもこの子はやってないって思って弁護できたから、気持ちのいい仕事だったな」


 にこにこ笑って橘が話す。


「……母のことは、聞いてますか?」


 博之の斜め前に座っていた栄美が橘に訊く。


「うん。全面自供。美佐ちゃんを自分のものにできたって嬉しそうに言ってるから、弁護団は精神鑑定を要請してる。ま、判断力が落ちてるとは思えないから、そんなに減刑できるとは思えないんだけどね」


「母さん、そんなに美佐さんが好きだったんだ」


 栄美がため息交じりに呟く。橘は苦笑いした。


「当然だけど、栄美ちゃんのことも大事に思ってるよ。ほとんどの資産が栄美ちゃん名義で残されてる。このままだとお父さん、栄美ちゃんに協力してもらわないと新しい会社も立ち上げられない。……でも協力しないよね?」


 確認されて、栄美は晴れ晴れした表情で頷いた。


「せっかくマルチやらなくてよくなったんだから、もう絶対やりません。大学卒業するまでのお金をお母さんが残してくれたんだったら、あたし、勉強してちゃんとした仕事に就く」


「よかった。協力のし甲斐があったよ」


 言って、橘は立ち上がった。それから夏凛の顔を見る。


「西尾の事務所でバイトした分、西尾から受け取ったから、博之くんから受け取っといて。その分くらいあるって言ってたよね」


「もちろんっす!」


 博之が元気に答える。


「次に博之がこんなんに引っかかったら、殴り殺すかもしれない」


 夏凛が呟くと、橘は苦笑いした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る