□五月二十八日(木) 夏凛
「ただいまっす! 博之は!?」
シフトが入っていたので途中で、夏凛はコンビニで仕事をしてから施設に戻った。栄美からメールが入って「みんなで先に戻ってる」とあったのだ。
「こんなに元気のいい夏凛見たの初めてだわ」
食堂から吉田の声がする。
夏凛が食堂を見回すと、いつも夏凛たちが座っている右のテーブルには、隼人と潤、なおみに栄美、それから西尾が座っていた。左側のテーブルには、施設の子どもたちに加えて今日の泊まり込み職員、それから吉田がいた。
「博之は?!」
夏凛が吉田の目を見ると、吉田はにっこり笑った。
「大丈夫。今お風呂入ってる。久しぶりのゆっくりお風呂だって喜んでたわよ」
「あ、夏凛、お帰り」
奥の廊下から望が食堂に入ってきた。
「ただいま。あのバカまだ風呂?」
「うん、『久々に手足伸ばせるー』って喜んでたよ」
「ま、めでたく無罪放免されたからね。今日は特別にタダで泊めてあげようって話でまとまってる」
珍しく上機嫌で吉田が言う。
夏凛はそんな吉田を見つめた。そういえば吉田は、美佐の通夜のとき泣いていた。あのときも感じたのだが、夏凛が思っている以上に吉田はここにいる子どもたちを好きなのかもしれない。
「……博之のことを、そういう風に言ってくれて、ありがとう」
ぼそぼそと夏凛が呟くと、吉田は少し驚いたような表情になった。それから笑顔でひじをつく。
「夏凛にお礼言われちゃった」
「あたしだって礼くらい……これから言うように努力する」
前にもそんな会話をしたことを思い出して、夏凛はぶすっと言った。そんな夏凛を見て吉田はさらに楽しそうな表情になる。
「事件自体はいろいろ残念だけど、夏凛が少しお姉さんになったのが、唯一の救いかな」
「うるせえよ」
言って夏凛は栄美のいるところに行った。なおみが栄美の横からどいて、場所をあける。
「お帰り、夏凛」
栄美が笑う。
「ただいま。……どうなった?」
「まあ、今日は父さんも警察に呼ばれてるから、相談するのは戻ってからだけど、高校どうするか、住む場所どうするか、だよね」
港町高校に残るなら、あたしが守るよ。
そう夏凛は言いたかった。だけど言えなかった。
そんな夏凛の気持ちが顔に出たのだろうか。栄美は夏凛を見てふっと笑った。
「正直言ってね、マルチ商法やってる家の娘、って悪口言われるのと、殺人犯の娘って言われるのが、どれだけ違うのか分からないから、残ってもいいかな、って思ってる」
「……さすがに人を殺すのは違うんじゃないかな」
なおみが口を挟む。栄美が小さく笑った。
「マルチだって、その人の人生を殺すことあるよ」
「……判ってるんだな」
西尾が呟く。栄美は頷いた。
「うん。父さんや母さんが簡単な一言でその人の退路を断ったり、その人の人間関係を簡単につぶしちゃうのを、あたしは見てきた。人間なんて簡単につぶせちゃうんだよ」
「マルチ商法がその人の人生をすべて吸い尽くして捨てていくのを、仕事柄俺は何例も知ってる。強い人間や運のいい人間はそこから再起できるけど、自殺するケースだってあるし、精神的に参ってしまって日常生活に支障をきたすケースもある。だから一概に人殺しの方が悪いとは、俺は言えない」
そこで西尾は言葉を切った。
「ただおまえはまだ未成年だ。今、両親の仕事と手を切って、ちゃんとした道を模索するなら手伝える。父親とネットワークビジネスがんばるって言うんだったら、悪いけど、俺に手伝えることはない」
「父さんだけでプラスアルファやるなんて無理でしょ」
栄美が笑う。
「逆ならできたと思うけどね。母さんが残ったなら、やるのは可能だと思う。でも父さんは無理」
「おまえは、もし可能ならやりたいのか?」
西尾が無表情で訊く。
栄美は一瞬眉をひそめた。それから言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開いた。
「あたしが、……あたしに選択権があるなら、そんなのやりたくない。マルチに関わらない人生なんて想像したこともなかったから考えたこともないけど、可能ならやりたくない」
「本気だな? 本気で足洗うつもりだな?」
西尾が確認する。
栄美は真顔で頷いた。
「はい。他にどんな道があるか判らないけど、辞められるならマルチ商法と関係ない人生を生きたい」
「高校生なんて、まだまだ自分の道が判ってない人が大半だよ」
西尾が優しい表情になる。
「とりあえず一週間ほどちゃんと学校に通って様子を見よう。並行して、そのあとのことを考える。それでいいな?」
「はい」
「こっちで手伝えることは手伝う。ただしその条件は、金じゃなくて、ネットワークビジネスから手を切ること。その条件が飲めないなら、俺は手伝えない。ちゃんと手を切るなら、金は要らないから最大限の手伝いをする」
「判ってます。よろしくお願いします」
そのときドアが開いた。
「夏凛!!」
博之だ。Tシャツに短パン姿で、夏凛めがけて走ってきた。
「うわっ、……暑い、くっつくな」
「夏凛、夏凛のおかげで俺、出られたよ。ほんとありがとうな。西尾さんのとこでバイトして立て替えてくれてた分は全部払う!」
夏凛にしがみついたまま博之が吼える。
横で栄美が目を丸くした。なおみも潤も隼人も、目をぱちくりさせて博之を見ている。その視線を感じながら、夏凛は軽くため息をつき、背中をパンパンと叩いた。
「まあ落ち着け。博之おまえ本当に金あるのか? どっかで借金するくらいなら、ちゃんと働いて、給料もらってから返せ。判ってるな。……万が一マルチ続けるとか言うなら、ブッ殺すぞ」
「判ってる。もうやらないよ。お嬢さんもやめた方がいいって言ってたし」
その言葉に、夏凛はふっと栄美を見た。栄美が申し訳なさそうな表情になる。
「本当は、こんなことやるべきじゃないって言いたかった。でも親の仕事だし、イベントとか独特の雰囲気があるし、おかしいのあたしなのかな、とかいろいろ考えて……」
「……いてっ」
夏凛は思わず博之を突き飛ばして、栄美のところに行った。
「……夏凛ひどい」
半泣きで、博之はそれでも空いている椅子に腰を下ろした。
「夏凛、いつも博之さんにこんなに乱暴にしてるの?」
近寄った夏凛に、あきれたように栄美が訊く。
「これ以上大事にしてもつけあがるだけだからな」
あっさりと頷いて、夏凛は自分が座っていた椅子を栄美の近くに引き寄せた。そこに腰を下ろす。
「ま、とにかく西尾さんがワルモノじゃなくてよかったよ」
夏凛の言葉に、西尾は苦笑いする。
「おまえは俺の
「つまり僕の同級生じゃなきゃ、悪いことしたってこと?」
訊いていた潤が、ひじをテーブルについたまま父親を見る。
西尾はぎょっとしたような表情になった。
「いやいやいやいや」
「うわー、焦ってる。絶対何かやってるよね」
夏凛が言うと、西尾は気まずそうな表情になった。
そのとき口を開いたのは吉田だった。
「わたし、同級生や先輩のツテをたどって西尾さん調べたんですよ。そしたら」
そこで言葉を切って、吉田は西尾の顔を見た。
「西尾さん、めっちゃ有名な不良でした」
「え、父さんが?」
潤が目を丸くする。
「真面目なサラリーマンには見えないよ? むしろ銀行マンとか言われたらその方がびっくりだよ」
夏凛が言うと、西尾は大きくため息をついてがっくりとひじをついた。
「暴走族とかやってたんですよね」
吉田の質問に、西尾は腕を組んで首を左右に振った。
「いや、ぼくにそんな恥ずかしい過去はありません」
「ぼくとか言ってるよ」
あきれたように潤が呟く。
抵抗する西尾を無視して吉田が言葉を続ける。
「しかもその暴走族で頭とかやってて、その頃の人脈で今の仕事がうまく言ってるって」
「頭って何ですか。ぼくは中高時代はおとなしくて友達も少なくて、とても人脈なんかない生活を送ってました」
「……棒読み。しかも意味不明」
潤がため息混じりに言う。
「ていうか『頭』ってほんとに何?」
栄美が訊く。
「え、暴走族グループのリーダーってことじゃないの? だから、何だっけ、弟分の後輩の弟分だか何だかって他人に泣きつかれて、マルチから足洗えって説得してたんじゃないの?」
夏凛が答える。
「弟分の後輩の弟分じゃなくて、後輩の弟分の後輩」
西尾が無表情で訂正する。
「同じじゃん」
「同じっていうか、どっちでもいいっていうか」
吉田も苦笑する。
「でも本当に有名で、当時ちょっと悪かった子はみんな名前知ってましたよ」
「それは別人です。ぼくじゃありません」
「父さん、往生際、悪っ」
潤の言葉に、父親は一瞬黙って潤の顔を見て、それからため息をついた。
「しょうがないだろ。おまえの母親と付き合い始めた頃、おまえのおばあちゃんから、『
「……うわあ、おばあちゃん、言いそう」
潤の反応に、西尾が不本意そうに言葉を紡ぐ。
「だから、真面目になるって約束して、会社も、なあなあでやってたところを、どんな監査が入っても大丈夫なようにいろいろ立て直して、今に至ってるんだよ」
「つまり吉田さんが言ってるのは本当ってことだよね?」
夏凛の言葉に、西尾は黙って肩をすくめた。
「俺だって、当時の俺どころか今の俺とだって、俺の娘が付き合うって言ったら嫌だよ。特に当時の俺だったら殴りに行くかもしれない」
「あいつは不良とか好きじゃないから大丈夫じゃない?」
潤があっさりと言う。
「お姉ちゃん? 妹?」
夏凛が訊くと、潤はにっこり笑った。
「妹」
「いいなぁ、幸せなんだ」
「まあ普通に幸せだよ」
「そっか。昔はどうしようもない不良でも、ちゃんと幸せになれるんだな。ちょっと勇気がわいた」
夏凛が言うと、西尾は不本意そうな表情になった。
「そこまでどうしようもない不良じゃなかったぞ」
「や、暴走族とかないわー。それが『どうしようもない不良』じゃないんだったら、誰がどうしようもない不良なんだよ」
「でも暴走族ってのが昭和の不良だよな」
隼人が呟く。西尾が焦った表情になる。
「おまえの父親には絶対言うなよ。この年で不良自慢してるなんて思われたら恥ずかしくて死ぬ」
「そんな恥ずかしいなら、そもそもやらなきゃよかったのに」
夏凛があきれて呟くと、西尾は情けない表情になった。
「あの頃は自分が結婚できるとか子供ができるなんて考えたこともなかったから、早く死ぬと思ってたんだよ」
「その考え自体が浅はかだよね」
夏凛がとどめを刺すと、西尾はテーブルに突っ伏した。
「まあ、博之も無事に帰ってきたし、尽力してくれた弁護士さんからも格安価格の請求書がきたし、円満解決じゃない。西尾さん、お世話になりました」
吉田の言葉に、西尾は顔を上げた。
「困りごとがあったら相談に乗ります。収入に応じて相応の額はいただきますが、持ってない子からは最低限しか取りませんので、よろしく」
「ええ、これからもよろしく」
吉田がにっこり笑った。
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