□五月二十六日(火) 橘

「刑事さんに向かって、『ここから出たら殺してやる』って言ったんだって?」


 苦笑いしつつ、橘が博之に訊いた。さっきここに来て面会の手続きをしたところ、偶然知り合いの刑事に会って、教えてもらったのだ。


 博之はぶすっとした様子で頷く。


「だってあいつら、本当にねちねちねちねち、細かいことばっかり言いやがって、朝十時に家を出たか十一時に家を出たかが、そんなに重要かよ!!」


「ま、それはかなり重要だね」


「……そうなの?」


 橘の返事がよほど意外だったのだろう。博之はきょとんとした表情になった。


「事件当日の足取りはそりゃ重要だよ」


「……そりゃ俺が犯人だったら重要だけどさ。俺本当に犯人じゃないし、まさか行ったら美佐が死んでるなんて知らないから、いちいち細かいことなんか覚えてないよ。それを『こないだとは言ってることが違う』とか言いやがって」


「……まあそれは、判らなくはないな」


 橘は相槌を打った。


「きみがやってないことは信じてる。……美佐さんが誰かとトラブったとか、思い出せない? 彼女、きみとあと何人かの友達以外は、プラスアルファの関係者とばかり連絡を取っていたみたいなんだ」


「ああ、そうかもね。美佐、プラスアルファの社長夫人にハマっちゃって、『秋保さん、ほんとにいい人なんだよー』って連れてかれたからなぁ」


「秋保さんって社長夫人? そんなにいい人なの?」


 橘が訊く。この案件は、特に西尾が入れ込んでいて、ある程度調べてきていた。社長夫人は山村秋保。実質プラスアルファを切り盛りしていて、女性会員の大半は彼女にあこがれてプラスアルファを続けている。


 社長などを教祖的にあこがれの対象にする演出は、マルチ商法ではよくある。それがプラスアルファでは、社長ではなく奥さんで常務の秋保がその対象のようだ。


「いい人っていうか、独特の雰囲気? ビジネスの話してるときは、キャリアウーマンみたいで、あんま好きなタイプじゃないんだけどさぁ、美佐と話してるときは、うんと年上なのにめっちゃかわいかった」


「へえ」


「で、秋保さんのお嬢さんもお嬢さんでさぁ。めっちゃお嬢さんなんだ」


「……よく判らないけど、まあ判った気もする」


 橘はその話を打ち切って、博之を見た。


「もう一度確認するけど、美佐さんと仲の悪かった人はいないの?」


「えー、仲悪いって言ったら、夏凛とかめっちゃ仲悪いけど、でもそういうんじゃないんだろ?」


 博之の返事に、橘は苦笑いする。


「これで夏凛ちゃんが真犯人だったらびっくりだよ。あの子、きみのことを『自分が殺しといて、後から来たふりなんかできない』って言ってたけど、夏凛ちゃんこそ、本当は自分が殺したのに博之くんに疑いが向いたのを『絶対に助けて』なんて言うほど悪女じゃないと思う」


 橘の言葉に、博之は大きく頷いた。


「夏凛は頭いいけど頭悪いんだよ。勉強はできるけど、それ以外の、世渡りとか人間関係とか、めっちゃ下手なんだ。だからこそ俺が守らなきゃいけないんだよ」


 博之が真剣に言い募る。橘は大きく頷いた。


「判る。あの子、頭切れるのに不器用だから、ちょっと庇護欲そそるところがあるよな」


「……ひご?」


「ああ、つまり守ってあげたくなるってこと」


 きょとんとした顔の博之に、橘は解説した。


「そうなんだよ! 夏凛、守ってやりたいんだよ!」


「ま、そのためにも、ちゃんと真犯人探してここから出よう。……他に心当たりはない?」


 話の流れを戻すと、博之は大きくため息をついた。


「全然ない。美佐、殺したり殺されたりするほど誰かと仲良くしないよなぁ。もし彼氏がいても、殺すとかそういうのないと思う。ストーカーとかいたら判らないけど、いないんじゃないかなぁ」


「じゃ、逆に親しい人は? 山麓園の関係者だと、きみ?」


「望も仲いいよ。美佐は姉御肌だから、俺ら本当のお姉ちゃんみたいに思ってて……思って」


 そこで言葉を切って、博之は目を拳でごしごしこすった。


 しばらくしてから博之は口を開いた。


「美佐はいい奴だから、仕事場でもうまくいってたみたいだけど、その仕事辞めてまで付き合いの続く子はほとんどいなかったんじゃないかな。あ、でも俺、二人くらい仲いい子知ってる」


「名前と、可能なら連絡先、教えてもらっていい?」


「えーと」


 博之がおぼえているのは名前と、どういう関係で知り合ったのか、だけだった。LINEには連絡先が入っているが、携帯電話は警察に押収されたままだ。


「ありがとう。そっちにも当たってみる。多分、西尾が探してくれる」


 そう言って橘はいたずらっぽく笑った。


「あいつ顔が広いから、一日で見つかったら、タダにしてくれるよ。あいつも面倒見いいんだ」


「すげー、西尾さん、リアルにいい人だー」


 感心した声を上げた博之に、橘は笑いかけた。


「ここを出たらお礼言って、二度とマルチ商法やらないんだな。それが恩返しだ」


「……うん、判った」


「どんなにつらくても、やってないなら絶対認めないこと。認める前には俺に言う。約束だぞ」


「うん。俺やってないから、絶対やったなんて言わない!」


 博之は大きく頷いた。

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