■五月二十五日(月) 栄美
「うわー、かわいい! 似合うじゃん! こんな風に着てもらえたら、うちのお姉ちゃんも喜ぶよ。……ちょっと待って。写メっていい?」
隼人の母親がはしゃいだ声を上げて、スマホを取り出した。
隼人の母の仕事場。栄美は夏凛に連れられて、ここに顔を出した。どうやら西尾の指示らしい。
栄美と夏凛はいったん施設に戻って荷物を置いて服を着替え、電車で隼人の母の経営する無認可保育園に来た。保育園と言ってもアパートの一室だ。広めの一DKを保育施設にしているようだ。
栄美は、隼人の姉が高校のときに着ていた洋服を借りて着ている。緑のアジアンテイストのロングスカートに生成りのカットソー。
そんな栄美に、隼人の母がスマホを向けた。反射的に栄美は笑顔になり右手でピースサインを作る。
「ありがとう、お姉ちゃん喜ぶよ!」
「こちらこそ、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げた栄美の横に、夏凛がいる。夏凛はいつものように短いパンツに足を出して、赤いシャツを着ていた。口紅とマスカラをつけている。
隼人の母は、栄美から夏凛に視線を移した。
「やっぱりあたしの友達にいそうなタイプだわ」
「……まあ、それでいいっす」
夏凛はぼそぼそと答える。私服の夏凛は、栄美から見ても派手な雰囲気で、明らかに元ヤンな隼人の母とは似た匂いがする。
そんな栄美と夏凛の横を小さな男の子と女の子がはしゃいだ声を上げながら走りすぎていく。リビングには、男の子三人に女の子が二人、積み木をしたりビデオを見たりして遊んでいる。一人っ子で、ずっと大人の中で育ってきた栄美には、かなり慣れない場所だ。
しかし夏凛は子供に慣れていて、ぶつかってきた子に意外と優しい声で「気を付けろよ」などと声をかけている。思い起こしてみれば、夏凛が住んでいる施設には幼稚園児や小学生が多い。それで夏凛は小さい子に慣れているのかもしれない。
「ヤンキーかどうかはともかく、あたしも化粧して友達とおでかけしたいな」
栄美は思わず呟いた。夏凛のような派手な格好をしたいとは思わないが、いわゆる「普通の」子のように、初めてのマスカラや薄いリップを試してみたい。
そのとき、奥からなおみが出てきて、栄美の発言を聞き咎めた。
「山村さん、化粧するの? 隼人ががっかりしちゃうよ。隼人、化粧しない真面目で素朴な子が好きだから」
なおみの言葉に異論を唱えたのは、隼人の母だった。
「別に栄美ちゃんが隼人の好みに合わせる必要ないじゃん! 女の子はどんどんおしゃれしてかわいくなればいいんだよ!」
そう言っている隼人の母は、化粧こそばっちりしているものの、エプロン姿で髪をうしろにひとつにまとめ、アクセサリーの類はつけていない。おそらく子ども相手の仕事で、引っ張られたり傷つけたりするのを防ぐためだろう。
一方なおみは、制服姿だが、左手首にブレスレットをしている。前に栄美が喫茶店で見せてもらったものだ。
「お化粧したいって思っただけで、まだ実はしてないのよ」
栄美が苦笑いで告げる。
「栄美ちゃんはお化粧なんかしなくてもそのままでかわいいから、しなくていいと思うけどなぁ」
なおみが頷きながら言う。
「ありがとう」
大人たちもそんなことを言う。「まだ高校生だから肌もきれいなんだから、お化粧なんて早い」と。
自分で、化粧をするとかしないとか、選びたい。
初めてそんなことを思って、それからばっちり化粧をしている夏凛を見る。その視線を受けて、夏凛が肩をすくめた。
「栄美は確かにそのままでもかわいいからそのままでいいっていう考え方もあるし、化粧したいなら、いくらでもやり方はあるから、一緒に考えてもいいし、どっちもアリだと思うよ」
「夏凛から見て、あたしは『そのままでもいい』の?」
栄美は少し驚いて、夏凛を見返した。
「あたしから見てって言うなら、そのままでも化粧しても、栄美は栄美だから、それでいいよ」
──そのままでも化粧しても、栄美は栄美だから。
そんな風に言ってもらえる日が来るとは思わなかった。
そのとき、ドアベルが鳴った。
「はーい! ……ああ、そこの椅子に座ってて。お茶出すから」
隼人の母親が栄美たちにそう言い置いて、玄関に向かった。
広いリビングでは、赤ちゃんに近い年齢から小学校低学年くらいの子どもたちが走り回っている。二人、エプロンをした女性が子供たちの面倒を見ている。いわゆる無認可の保育施設だ。
「とりあえず座ろうか」
夏凛に声をかけられて、栄美は小さく頷き、部屋の端に置いてあるテーブルの椅子に腰を下ろした。
「栄美……!」
隼人の母に連れられて、栄美の母が現れた。パステルの水色のスーツ、ひざ下のフレアスカートだ。ばっちり化粧していて、会社勤めをしている女性のように見える。
母親は目を潤ませてテーブルに近づいて来た。
「栄美、元気にしてる?」
訊かれて栄美はこっくりと頷いた。それからちらっと夏凛を見る。
「うん。……こっちが、泊めてくれてる皆川夏凛ちゃん。今同じクラスで仲良くしてくれてるの」
「別に『してあげてる』わけじゃないけどね」
「娘と仲良くしてくれてありがとう」
栄美の母親が微笑む。見慣れたよそゆきの顔だ。
「どうぞ座ってください。麦茶しかなくて申し訳ないけど、どうぞ」
隼人の母親が、栄美の向かいに腰を下ろした母親にまずグラスを置き、それから夏凛と栄美の前にも麦茶の入ったグラスを置いた。
「そんな服持ってたっけ?」
母親がまじまじと栄美の顔を見る。
「借りたの。林田くんのお姉さんが高校のときに着てた服だって」
栄美の返事に、母親は目を細めた。
「仲良くしてもらってるのね」
そう言ってひじをついて、栄美の母は栄美と、その横の夏凛を見た。それから栄美に視線を戻す。
「どんなに多めに見積もっても、あと一か月もすれば、騒動は鎮火すると思うの。それまで今の場所にいさせてもらえるかしら」
その言葉に栄美は夏凛を見た。夏凛は苦笑いして頷く。
「あたし責任者じゃないから断言はできないけど、うちの施設いつも火の車だから、使用料払って泊まってくれる人は大歓迎じゃないかな」
夏凛の言葉に、栄美の母がふと視線を止めた。
不思議そうに母親が夏凛を見る。何かを考えるように夏凛を見つめている。
「ママ、……何?」
栄美が声をかけると、母はふっと笑った。
「美佐ちゃんが言ってた子なのかなって思って」
夏凛は露骨に眉をひそめてため息をついた。わざと蓮っ葉な雰囲気を作ってテーブルにひじをつく。
「何あの女、まだ何か言ってた感じ?」
「夏凛」
栄美がその言い草に吹き出す。それを見て、夏凛は再度ため息をついて、姿勢を直した。
「でも美佐さんが夏凛のこと何か言ってたの?」
栄美が訊くと、母親は困ったように笑った。
「うーん、博之くんの妹分がリアル天才児で、栄美の同級生、みたいな話」
「えっ、夏凛って博之さんの妹分なの?」
言ってまじまじと栄美は夏凛を見た。それから納得したような表情になる。
「……もしかして今納得した?」
夏凛が思わず訊くと、栄美は小さく頷いた。
「だって雰囲気が似てるんだもん」
二人とも、少し世間を斜めに見ていて、それなのに妙に素直なところが似ている。
「えー、あたしあんなに泣き虫じゃねえよ」
「そっち?」
予想外の夏凛の反応に、栄美は目を見張った。夏凛は肩をすくめる。
「あいつはいかつい外見してるくせに、すぐ騙されるしすぐ泣くし、あいつがあたしの弟分みたいなもんなんだよ。今回だって『美佐が死んでる』って泣きながら電話がかかってきたから『死なせとけよ』って返事したらさらに泣かれて、それで、ああマジかって判ったしね」
「死なせとけよって突っ込みがすごいね。……お菓子もどうぞ」
不意に第三者の声が響いた。なおみである。小さなトレイに、ビスコやルマンドなどスーパーで大袋入りで売っているお菓子が置いてある。
そのトレイを置いて、なおみはふと視線を止めた。
「栄美ちゃんのお母さん、そのブレスレット素敵。その黄色いの、トパーズですか?」
空気を読まないなおみの発言。だが夏凛は気にも留めずに腕を組んだ。
母親が頷く。
「ええ。誕生石を使った商品開発を考えていて、いくつか作った試作品のひとつなの」
「何だ、トパーズっていうから、てっきりフリードリヒ様かと」
なおみの言葉に、母と夏凛はきょとんとした表情になる。それを見て栄美は思わず吹き出した。
「ごめんね。うちの母、ゲームとか疎いの」
「ゲーム?」
訊き返したのは夏凛だった。
「『ロイヤル・ガーディアン』っていうカードゲームがあってね」
「ああ、博之たちがお金賭けてやって、中学で大騒ぎになって禁止された奴だ。小学校でも流行ってた」
夏凛が頷く。
「そんなゲームがあるんだ?」
反対に母は不思議そうな表情になる。
流行ったのは小学四年生の頃だった。栄美は一人で家でこのアニメを毎週楽しみにしていた。両親は仕事で家にいなくて、いつも一人だった。けれどこの頃はまだ、ちゃんとした仕事をしていると思っていた。共働き家庭はたくさんあったし、さみしくはあってもつらくはなかった。
「ママはいそがしかったから、あたしが何を見てたかとか知らないもんね」
ふと栄美は口にしていた。母が悔しそうに唇を噛む。
「しょうがないじゃない。わたしはあなたのために」
「判ってる」
栄美は母親の言葉をぶった切った。
それから母を見る。トパーズのブレスレット。真ん丸のトパーズとトパーズの間に、黒い石がはさまれている。どこかで見たようなブレスレットだ。
どこかで見たような……どこででも見る、普通のブレスレット。
……どこででも?
自分の思考に、栄美はふと引っ掛かりを覚えた。
何かどこかで、見たのだ。
黒くて小さい石ではさんだ誕生石。
「美佐さん、ママのと似てるブレスレットしてた」
栄美が呟くと、横で夏凛がちらっとなおみを見た。
「日下部さんもしてるし、流行ってるのかな」
「流行ってるっていうか定番じゃない? だからあたしも、恥ずかしげもなくゲオルグ様版とかミシュア様版とかやってるんだし」
なおみが言う。
母親が、小さく笑った。
今まで母親がブレスレットを着けているのを見たことはなかった。気にもしていなかった。
心の中がもやもやしたまま、栄美は母と話をして、次に会う約束を決めて別れた。
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