□五月二十四日(日) 栄美

「ただいまー!」


 朝からバイトが入っていた夏凛が戻ってきたのは、昼過ぎだった。


「七時間労働だよ。お腹すいたー。……あ、栄美の分も買って来たよ。一緒に食べよ」


 夏凛がコンビニの袋を栄美に渡した。中にはコンビニ弁当が二つ入っている。


「え、あたしの分も買ってきてくれたの?」


「だってさっきLINEで『まだ食べてない』って言ってたじゃん。うちのお昼は一時過ぎたらもう食べられないから、食べてないんだなぁって思って」


「ありがとう」


 確かに数十分前に夏凛から『バイト終了! お昼どうした?』というLINEが入ったので『まだ食べてない』と返信はした。


 そのとき夏凛が栄美の目を見た。


「ここの食堂のごはん、確か実費で食べられるよね。これからはあたし待たずに食べててもいいよ」


「うーん、そうも思ったんだけど、お腹あんまりすいてなくて」


 栄美の答えに、夏凛は小さく笑った。


「じゃ、一緒に食べようか」


「うん、いただきます」


 栄美は手を合わせて弁当のふたを取った。ロコモコ弁当という名前で、ハンバーグに温泉卵が乗っている。


 ふと見ると夏凛も同じものを食べている。おそらく夏凛が好きなのだろう。


 栄美の視線に気づいたのか、夏凛が少し困ったように笑う。


「好みじゃなかった?」


「ううん。初めて食べるから楽しみ」


「あたしがっつり系好きなんだよね。もしがっつりダメなんだったら、次からリクエスト言ってよ」


「ううん、あたしもがっつり系好き。いただきます。……おいしい!」


 夏凛が卵を割り箸で崩して、卵がかかったハンバーグとご飯を一緒に口に運んでいる。


 両親の仕事柄、コンビニの弁当は食べ慣れている。だけどこんなにおいしいと思ったのは初めてだ。


「……どしたの?」


 夏凛に訊かれて初めて、栄美は自分が泣いていることに気づいた。

 栄美は乱暴に目の周りをぬぐった。


「誰かと……好きな人と一緒に食べるごはんがこんなにおいしいなんて、知らなかった」


 栄美の言葉に、夏凛は目を見張った。


「そうなの? ああ、でも判るかも」


 夏凛がものすごく柔らかい表情になる。栄美が初めて見る、優しい顔だ。


「あたしもここに来て、友達ができて、その子らと一緒に食べるごはんがおいしいって思ったことある。忘れてたなぁ。たとえその相手が望でも、一緒に食べるとおいしいんだよね」


 そこで夏凛は言葉を切った。


「やっぱりあたし、今が一番幸せだよ。大事な友達がいて、こうやって一緒にご飯食べられてさ。そりゃ人生だから、すべて思い通りにはならないけど、ほんと今幸せ」


「望ってあの工業の男の子? 一学年上だっけ。あの子、夏凛の彼氏?」


「まさか! あんな弱っちい男、好みじゃないよ」


「夏凛、好み厳しい!」


 栄美がウケて笑うと、夏凛も少し笑う。


 思えばこんなにのんびりした瞬間は、栄美になかった。物心ついたときから両親は忙しかった。コンビニの弁当やおにぎりは一人で食べる食事の定番だった。


 それがこんなにおいしく感じたのは、今が初めてだ。


 弁当を食べる夏凛の手元。箸を持つ右手に、弁当を持つ左手。どちらの手首にも、何もついていない。


「そういえば夏凛は、ブレスレットも数珠もしないね」


 ふと栄美は思い出した。


「ブレスレットとか数珠? しないね。誰かしてるの?」


 夏凛に訊かれて栄美は、まず日下部なおみを思い出した。西尾と林田隼人に連れられて行った喫茶店で会った同級生。普段はそんなに話さないのに、あのときはいろいろ話した。


日下部くさかべさんがブレスレットしててかわいかったんだよ」


「日下部さんって誰?」


「……同じクラスで、歓迎登山で同じ班だったでしょ」


「ああ、あの、一見きれいなのに何か頓狂な子」


「頓狂って……」


 夏凛の評に、思わず栄美は吹き出してしまった。


「しかも、『数珠です』って言ったら、草野さん納得しちゃったんだって」


「ああ、草野さん、お坊ちゃまだからね。あの人はダメでしょう」


 夏凛があっさり納得する。


 そのときふと、栄美の中に、何かがよぎった。


 何か……数珠、ブレスレット的な、何か。


「そういえばあのとき、美佐さんも、ブレスレットしてた。……でも普段はしてなかったんだよね。少なくとも、最後に会ったときは、してなかった」


 けれど隼人の背中で見た美佐の遺体は、左手首にブレスレットをしていた。まあアクセサリーだし、付けたり外したりするだろう。特に美佐は、髪型も頻繁に変えていたし、ネイルもよく派手なものをしていた。見たことがないものを付けているのは日常だ。


「ああ、あの女は自分のこと美人だと思ってるから派手にしてるよね」


 夏凛が何やら勝手に納得している。


 派手だから。それだけだろうか。

 何やら釈然としないものを感じて、けれど栄美はそれをうまく言葉にできなかった。

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