■五月十七日(日) 博之

「原島美佐さんの彼氏だね?」


 刑事に訊かれて博之は、首をぶんぶんと横に振った。


「違うよ! 友達だよ!」


 三十歳くらいの刑事は、腕を組んで少し考え込んだ。


 警察署の一室。テーブルを挟んで刑事と博之がいる。脇にいる別の刑事が壁際のデスクに向かってパソコンを開いて博之の言葉を書き留めているようだ。


「普段はイベントぎりぎりの時間に来るんだって? どうして今日だけ早く来たの?」


「美佐に早く来いって言われたんだよ。先週は俺の用事でイベント休んだから、たまには早く来て会員の皆さんと話をしろって。……それなのに」


 また涙が出てきた。博之は拳でそれを拭う。


「美佐、本当に死んじゃったのか?」


「おまえが殺したんじゃないのか。美佐さんに何の恨みがあったんだ? ここで殺してこのイベントをつぶすのが目的か?」


「まさか! ……えっ、まさか俺、疑われてるのかよ!?」


 ここにきて初めて博之はそのことに気づいたらしい。大きな声を出す。


「俺が美佐を殺すわけないじゃん! 美佐は口は悪いけど、本当は優しい子なんだよ! 山麓園さんろくえんに入った頃、事故で死んじゃった両親を思い出して泣いてた俺に、『あたしも事故で両親死んじゃったんだ』って話してくれて、自分用に隠してたお菓子持ってきて分けてくれたんだよ!」


「そんな優しい子を手にかけたのか、おまえは」


「違う!!」


 博之が叫んだとき、ドアがノックされ、続いてドアが開き、男が入ってきた。刑事がそちらに行って二言三言話す。

 それから刑事は博之に向き直った。


「おまえの身元引受人だって男が来た」


「……身元引受人? 俺の? 誰?」


 博之は天涯孤独だ。

 幼稚園の頃に自動車事故で両親が亡くなってしまった。両親とも親戚の縁に薄い人たちだったらしい。父親の弟という人は博之を引き取ることを拒否し、一度も山麓園に会いに来たことすらない。今は連絡先すら知らない。

 母親の方は、そもそも親戚が現れなかったらしいので、実際にこういう場合に博之を助けてくれる人はいない。頼めば山麓園の関係者が最低限手を貸してくれるかもしれない程度だ。


「西尾という男だ。知っているか?」


 刑事の言葉に、博之はぽんと手を打った。


 この前知り合ったばかりの男だ。博之から見て親世代のオヤジだが、兄貴肌のようで、後輩たちにもすごく頼られていた。あのとき西尾たちが説得していた男とは年齢が近いこともあり連絡先を交換したのだが、彼は結局、ネットワークビジネスから足を洗うと連絡があった。西尾に何度も説得されたらしい。


 その連絡があったとき、そこまで心配してくれる人がいることを、博之は少しだけ羨ましく思ったのだ。それを思い出した。


「西尾さんが俺のために来てくれたの?! やっぱりあの人いい人だ!」


 にこにこ笑って博之は立ち上がった。


「座れ。まだ帰さないぞ」


「え、帰れるんじゃないの?」


 博之はきょとんと刑事を見た。


「重要参考人を帰すわけないだろう。とりあえず座れ」


「……せめて西尾さんに、お礼を」


「伝えといてやる。西尾さんから伝言だ。弁護士の世話をできるが手配していいなって訊いてる」


「弁護士まで世話してくれるのか!? ……あ、でも俺、そんなに金払えない」


「貯金は?」


「こないだPデラックスとプレミアムPドリンク買ったから、次の給料まで食費しか残ってない」


 博之の返事に、刑事は何か考えるような表情になった。


 PデラックスとプレミアムPドリンクは、どちらもプラスアルファで扱っている製品だ。Pデラックスが「南国の果物から希少なポリフェノールを採取した栄養補助食品」、プレミアムPドリンクは「徹夜明けでもお肌つやつや」が売りだ。後者は男性には「睡眠時間が足りないときの栄養補助にぴったり」として売られている。


「つまり今月の給料日には、少なくとも給料は入るんだな? 本業は何だっけ?」


「パチンコ」


 博之が短く答えると、刑事は眉をひそめた。


「……パチプロ? 店員?」


 パチプロに給料日などないのだが、そのことに気づかず素直に博之は答えた。


「店員っすよ。俺、パチンコ、マジ弱くて、絶対勝てないんす。だけどパチンコ店は時給がいいし、俺、バカだけど体力だけはあるから、週六入ればかなり給料いいんすよ」


「てことは社員じゃなくてバイト?」


「イマドキ社員なんて絶対無理っしょ。俺、高校も中退してるし」


 あっけらかんと答えた博之に、刑事は大きくため息をついた。


「判った。とりあえずここに勤務先の住所と電話番号を書いて。週六でパチンコ店で働いた給料が今月末に出るんだったら、西尾さん紹介の弁護士なら費用払えるだろう」


 博之は差し出された紙に店名を書いたあと、考え込んだ。


「どうした?」


 刑事に訊かれて、博之は困った顔で応える。


「俺、店の住所や電話番号なんて覚えてない」


「普段の連絡はどうしてるんだ?」


「ケータイの住所録に入ってるからケータイで電話する。でもケータイ、さっき取られたじゃん」


「取ったんじゃないけどな。……たぶん明日には、弁護士さんがいらっしゃるから、今のまま否認するのか、ちゃんと罪を認めるのか、相談するんだな」


 刑事の口調が、心なしか丁寧になったようだ。


「……てゆーか、刑事さん、西尾さん知ってるの?」


 博之が訊くと、刑事は肩をすくめた。


「西尾さんは顔が広いから、ときどき情報をもらうことはある」


「へえ、警察にまで顔が効くんだ。すげえな」


 無邪気に博之が驚くと、刑事は苦笑いした。

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