■五月十七日(日) 栄美 2
「じゃあ彼氏と設営準備するために、二人で早く行ったんだね」
母親と並んで座ると、向かいに腰かけた刑事が確認する。
「彼氏じゃなくて友達です」
栄美の答えに、刑事は苦笑いした。それから母親に向き直る。
「えー、プラスアルファ、さんだっけ? 高校生に勧誘させてるの?」
「いえ。高校を卒業してから、あるいは十五歳以上で働いている人にはビジネスを薦めてますけど、あくまで彼は、心の教室に来ていただきたくて、声をかけました」
母親がすらすらと答える。
「心の教室って何?」
刑事の質問に、母親はにっこり笑う。
「わたくしどもプラスアルファでは、もちろんすばらしい商品をおすすめしていますが、その前提として、心の健康が大事ということで、心の教室というものを開いております。こちらではビジネスの話はせず、ご先祖様に手を合わせるとか、感謝の心を忘れないとか、自分を大事にすることが他人を大事にすることにつながるとか、そういった人間として当たり前のことをお伝えしております。対象は十代から二十代がメインですが、ときどき三十代四十代の方も参加して感銘を受けたとおっしゃっていただいています」
「どのくらいの頻度? 月に一回くらい?」
「月に二回開催を目安にしております」
美佐が亡くなっての事情聴取だというのによどみなく答える母。あんなに仲が良かったのに。特にここ半年ほどは、イベント後の食事のときはいつも同じテーブルについている。しかもほぼ隣の席だった。それなのに。
母はいつもそうだ。会員は、プラスアルファが嫌になると離れていく。ビジネスのために引き留めることはあるが、いなくなってさみしいという姿を見たことはない。今、栄美たち一家と付き合いがあるのはプラスアルファの会員のみ。それでも母は涼しい顔をしている。
いつか会員が皆離れてしまったら。誰も栄美たちのもとには残らないだろう。
栄美はときどき考える。
会員が離れてプラスアルファを解散して、父母がいわゆる「普通」の仕事をした方が、友達ができるかもしれない、と思ったこともないわけではない。
しかし、ある程度世の中が見えるようになった高一の今、父母が転職して、今と同じ生活レベルが維持できる気はしない。
だから、母に何も言えない。
「ご主人にも別室でお話を伺ってるんですけどね。被害女性に勧誘を強要したりしたことはありませんか?」
「美佐ちゃんに限らず、うちは勧誘を強要はしないんですよ。あくまで、第一は心。そして心と体をきれいにするために、プラスアルファの商品をお試しいただいて、それがよかったと実感してくださった会員さんだけが、他の人におすすめしてるんです」
いつも説明会で言っていることだ。けれど見ていると、早い人は、初めて商品を買った一ヶ月後にもう二、三人連れてきている。
母は商品の良さをアピールしているが、そういう人たちにとっては、商品は稼ぐための手段でしかない。
「きれいごとはともかく、人によってはひと月に五十万どころか百万近く稼いでる人もいるでしょう」
刑事が突っ込む。
「もちろんそういう会員さんもいらっしゃいますけど、あくまで結果だし、そもそも少数です。美佐ちゃんは、のんびり、バイトとうちの商品を周囲の方におすすめする二足の
「まだ分かりません。現在調べているところです。……ところでお嬢さん」
不意に刑事が、栄美に視線を移した。栄美の目を見る。
「お嬢さんは、被害女性の名前を覚えてらっしゃるんですか?」
「はい」
「どのくらいの期間、プラスアルファをやっていたか覚えてますか?」
「美佐さんは、昨年の夏くらい、ですかね」
少なくとも栄美が美佐を認識したのはその時期だ。代理店ではないのに母の横にいる機会が増えた女性ということで、少し目立ってはいた。
そのとき母が笑った。
「美佐ちゃんがプラスアルファに初めて顔を出したのは、一年前の三月よ」
「……そんな前からいたんだ」
「ええ。わたしと仲良くなったのが八月。イベントの後の夕食に話す機会があって、それ以来話すようになったの」
母が心なしか嬉しそうに説明する。刑事が小さく頷いて確認した。
「奥さんにとって、美佐さんは、好きな相手なんですね」
「ええ。会員さんは皆さん大事ですよ」
「会員として好き。人として友達としてなどではなく?」
「もちろん人間として好きです」
……微妙にかみ合っていない。
しかし母のかみ合わなさは正直いつものことだ。何でも「会員」「心の大切さ」に置き換えて、一般論にしてしまう。
だが刑事は、そんな母を知らない。少しイラッとしたような表情で考え込んでいる。
そのとき、ドアがノックされて直後に開いた。若い男が入ってくる。何やら刑事に耳打ちして、栄美たちに向かって一礼し、部屋から出た。
刑事が、大きく息をついて立ち上がった。
「とりあえず今日のところはお疲れ様でした。またお話を聞くかもしれません。……被害者の原島美佐さんは、お嬢さんもご存じの、特別な会員さんなんですよね」
「特別な会員さんというわけではなく、イベントに複数回来ていただいてる会員さんは覚えるように努力してます」
栄美が答えた。その返事に刑事は苦笑いして、ドアを示した。
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