■五月十七日(日) 栄美 1
「来てくれてありがとう!」
栄美が笑いかけると、隼人は困ったようにスタジャンのポケットに手を突っ込んだ。
「……約束通り、準備の手伝いだけだから」
「判ってるって。……今日はこっちの公民館なの。お手伝い、ありがとう」
隼人の困っている様子に気づかないフリをして、栄美は隼人を先導した。
先週のイベントに、隼人を連れて行った。当然のように隼人はドン引きしていた。だけど翌日以降も態度は変わらなかった。
だから勇気を出して声をかけてみたのだ。
──もう一度、一緒に行ってくれない?
栄美の言葉に、隼人は困ったような表情になった。どうやって断ろうか考えている様子なのは見て判った。
──イベントがムリなら、イベント設営の準備だけでもいいから。
すると隼人はほっと息をついた。
──準備、だけなら。
──ありがとう!
栄美は思わず大きな声を出してしまった。隼人はその反応に驚いたように目を見開いて、それから小さく笑う。
栄美の胸が、ちくっと傷んだ。
横を歩く、頭半分栄美よりも背が高い隼人。
……デートだったら楽しいだろうなぁ。
そんなことを思って、栄美は自分の思考に驚いた。今までの人生で、デートだなんて考えたこともなかった。中学の同級生にはもちろん彼氏彼女がいる子たちもいたが、うらやましいとさえ思わなかった。
物心ついたときから、親の仕事のせいで、学校で友達はできなかった。親の仕事に関係する会員の子どもとしゃべることはあるけど、友達というほど親しい子はいない。
ずっとそうやって一人で生きていくのだと思っていた。
親は塾には行かせてくれたし、お金もかけてもらった。だから市内でも屈指の港町高校に受かることができたのだ。もちろん親には感謝している。……たとえ、親のせいで友達ができなくても。
会員は、親の仕事から離れたら人間関係も終わりだ。親がそのことについてどう思っているのかは知らない。怖くて訊けない。
「この前と同じように、主催者側と会員さんたちを向かい合うようにテーブルを並べてほしいの。会場にテーブルとパイプ椅子はあるから、それを並べ直すだけ。今回も、この前と同じように会員さんのお話が中心だから」
「判った」
栄美の説明に、隼人は頷いた。
とりあえず第一段階。机の並べ替えを手伝ってもらう。そのときに会員たちが来てしまえば、理由をつけて残ってもらうことも可能かもしれない。
「こんな感じ?」
部屋に入ると、隼人はきびきびと動き出した。前回の会場の状態を覚えているのだろう、てきぱきとテーブルを並べる。
そして、あっという間に設営が終わってしまった。
何とか引き留める言葉を探さないと。
栄美がそんなことを思いながら、点検しているような雰囲気でテーブルとテーブルの間を歩いている時だった。
栄美の前を歩いていた隼人が、いつの間にか足を止めていた。
背中に軽くぶつかって、栄美は驚いて隼人を見上げる。
隼人は黙って立ちすくんでいた。
「どうしたの?」
隼人が栄美の顔を見てから、黙って視線を移した。
テーブルとテーブルの間、床に、人間が転がっている。どうやら女性のようだ。少し荒れた印象の長い金髪。意外と整った顔立ち。毒々しく赤い唇。ばっちり化粧をしているので顔色が読めない。
「生きてると思う?」
隼人の問いに、栄美は思わず隼人の背中にすがりついた。
「美佐、さん」
「知ってる人? ……もしかして会員さん?」
栄美は黙って頷いた。それから、それでは隼人に見えないと気づいて、小さく「うん」と呟く。
ここ最近はイベントの後に食事に行くと、いつも母と同じテーブルに着く、母と親しい会員だ。プラスアルファの会員はどちらかというとおとなしいタイプが多い中、珍しくがっつりヤンキーっぽい。しかし笑うと意外と幼くてかわいい女性だ。まだ二十歳過ぎだったはずだ。
「さすがに手首を触って脈をとるくらいはかまわないよな?」
隼人が小さな声で呟いて、身体を動かした。しゃがみ込んで、美佐の右手首を軽く取る。
ブレスレットが巻かれていた。淡く透き通る緑。緑と緑の間に黒くて小さい石がはさまれている。
そのブレスレットをそっとずらして、隼人は脈をとる。
それから、その手を床に置いた。左手も、そのはずみでだらんと床に投げ出される。左手首には淡い緑色のブレスレットが光る。
「警察を呼ぼう。あとは警察の判断だ」
隼人の言葉に、栄美は悲鳴を上げそうになった。隼人の腕にすがりつく。
隼人は少し困ったような表情で、栄美の肩をポンポンと叩いた。ポケットから携帯電話を取り出して電話をかける。
「すいません。死体らしきものを見つけたんですけど、どうすればいいですか? ……はい。いえ、二人です。高校生二人。場所は……」
隼人が落ち着いた声で受け答えしている。
栄美が震えていると、電話を終えた隼人が、困ったような表情で栄美に顔を近づけた。
「俺が言うことじゃないけど、親はともかく、会員さんとか来るとまずくない? 早めに、来ないように連絡した方がいいんじゃない?」
「あ、……ほんとだ」
慌てて栄美は自分のスマホを取り出した。母親に連絡する。
「あのね。今会場なんだけど、美佐さんの死体があるの。死体。本当。嘘じゃない。隼人くんが警察に通報して会員さんたちに『来ないように』って連絡した方がいいんじゃないかって」
栄美の要領を得ない説明に、しかし母親は理解したらしい。据わった低い声がスマホから響く。
『……本当なのね?』
「こんな嘘つかないよ」
『判った。とりあえず会員さんたちには行かないようにメールは回す。会場にいるのは栄美と隼人くんね? 被害者、なのかな、美佐ちゃん?』
「うん、そう」
『判った。疑われると困るから、その場から動かないで。わたしも今から行く。見つけたことに関して嘘はつかないで。……でも、仕事のことは、何も知らないで通して』
「判った」
スマホを握る手に力がこもる。
栄美は通話を切ってスマホを鞄のポケットに仕舞った。
ふと気づくと、隼人が近くのパイプ椅子に腰を下ろしていた。栄美もその隣の席に行って座る。
そのとき、大きな足音が響いた。続いて、乱暴にドアが開く。
「おはようございまーす!」
声の主は二十歳過ぎの男だった。短い髪を金髪にして立てている。かなりいかつい雰囲気だ。最近美佐が連れてきた男。確か博之という名前だった。一見ガラが悪そうながら、話すと意外と無邪気な印象が強い。
「あ、お嬢さん。こんにちは。俺もしかして一番乗りっすか? 今日早く来いって美佐に言われてたんすよね。よかったー、これで怒られずに済む」
場違いに明るい声。
栄美は首を横に振ろうとして、うまくできなくて俯いた。それを見た隼人が栄美の肩をぽんと叩いて立ち上がる。
「会員さんですか? 来ちゃったんだったら帰るとまずいと思うんで、一緒に警察が来るの待ってもらっていいですか?」
「警察? 捕まるようなこと、俺、何もやってねえよ!」
隼人の言葉に、何を思ったか博之はすごんだ声を出した。上目づかいで隼人を睨む。
「いや、会員さんではなくて……」
隼人が視線を美佐に向ける。博之はその視線を追って、そして。
「美佐……!」
男は死体の横に膝をついた。死体の肩を掴む。
「ちょ、これ以上触らない方がいいって」
「うるせえ! 美佐! どうしたんだよ、美佐! 誰にやられた!!」
「だめですって。俺たちが来た時はもうこの状態でした。現場荒らしたら、何だったか忘れたけど罪状つきますよ。座ってください」
隼人の言葉に、博之はがっくりと膝をついた。
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