□五月十一日(月) 栄美

「おう、栄美ちゃん。おはよう!」


 栄美が教室に入ると、隼人がいつも通りの笑顔で手を振ってきた。我が物顔で栄美たちの教室にいるが、実は違うクラスだ。


「……おはよう」


 昨日、親がやっているネットワークビジネスのイベントに隼人を連れて行った。案の定、ドン引きしていたようだ。それでも最後までいてくれたが、下手したら翌日から話してくれないかも、と危惧はしていた。


 今までずっとそうだった。


 物心ついたときから、栄美の両親は今の仕事をしていた。保育園の頃から、同じ保育園に通っている子のママたちに声をかけては問題になっていた。


 そしてそのたびに、栄美は孤立していた。


 小中学校が同じ生徒も何人か港町高校に進学してきている。一部で両親の仕事のことを噂されているのも知っている。


 今回もきっとそうなるだろう。


 そう思っていた。


 けれど、教室に入った今の雰囲気を見る限り、先週までと変わらない。


 隼人は誰にも話していないのだろうか。


 まるで昨日のことなどなかったかのように、普通に笑っている隼人。


 今まで、両親の仕事を知られただけでも、話してくれなくなった人が多かった。隼人もきっとそうだろうと、どこかで思っていた。


 中学生までは、友達を勧誘するということはなかった。両親の仕事は宗教のような側面を持ちつつ、メインはあくまでネットワークビジネス。中学生にビジネスはできない。


 もちろん高校生もビジネスはできない。


 だが、高校生以上を対象にした「心の教室」を開いている。


 両親のやっているプラスアルファという会社では、『心』に重点を置いて話をしている。どこかの宗教を薦めはしない、けれど、先祖に手を合わせることは忘れないで、家族で仲良く力を合わせ、いつも笑顔でポジティブに、というような話をする。


 両親、あるいは兄弟がプラスアルファでネットワークビジネスをやっている人向けのプレ講座だ。だが母の狙いとしては、高校生のうちからプラスアルファに取り込もうという方針のようだ。


 もう一度教室を見回す。いつもと変わらない教室。


 幼稚園のときも小学生のときも、母の勧誘が原因で、教室内で孤立したことがあった。中学以降は、会員が連れてくる人相手に説明をするだけになったので、ようやく安定したが、それでもせまい地域、情報は流れていたらしい。友達はできなかった。


 ちらっと視線を教室の窓際に移す。


 高校に入ってから唯一できた友達、皆川夏凛が座っている。


 夏凛は少し幼い顔立ち、気の強い表情で、誰も寄せ付けない雰囲気を醸し出している。

 最初は栄美との接点もなかったが、ある朝、早く学校に来た時に宿題を見せてもらって以来、ときどき話したり一緒に昼ご飯を食べたりするようになった。

 さらにその直後に会った歓迎登山で同じ班になり、高校が持っているクラブハウス(という名前のボロい建物)で布団を並べて寝て以来、高校で一番気を許す相手になった。


 その夏凛は、栄美といないときはいつも一人だ。栄美とは違う意味で浮いている。何より夏凛は、家族の話も友達の話もしない。栄美にも尋ねない。それが一緒にいて楽な理由だ。


 ……このまま、何事もなく過ぎればいいのに。


 幸い隼人はしゃべっていない。母親に「また学校の子を連れてきてよ」と言われたが、隼人を連れて行ったし、しばらくは大丈夫だろう。


 どうするかは、また今後、考えよう。


 栄美は席に座って、残っている宿題のノートを広げた。

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