□五月十一日(月) 秋保
「目次、こんな感じでどうかしら」
プラスアルファの事務所。港町市街から少し離れた場所にある小さな事務所で、秋保はプリントアウトしたものを元に渡した。
せまい事務所、社長席が一番奥の窓際にあり、そこから少し離れて机を二つずつ向かい合わせにくっつけた島がある。入り口付近に共用で使っているプリンターとコピー機が置いてある。ひとつ空いている机は実質物置になっていて、紙の束やファイルが積み上げてある。
一人だけ離れた場所にある元の席で、秋保は説明を始めた。
「とりあえず、心の教室の伸び具合を見て、数年以内に、休眠している宗教法人を買おうと思うの。そのときの宗教活動の実績として使えるような本を、あなた名義で一冊、出してほしいんだけど、どうかしら」
元は、秋保の持ってきた目次に目を通す。
栄養補助食品との出会い、そこで代理店になるための努力、そして最大手になったものの、十年前にその会社がネットワークビジネスから撤退、いろいろな可能性の中から独立を選択、苦難の末、今の会社を大きくした、というストーリーだ。
「ここまで会社がもったのはある意味奇跡よね。このご時世、なかなか十年も会社をもたせることはできないわ。これは社長であるあなたのおかげよ。──それを恩着せがましくなく、むしろ会員さんに『おれにもできる』って思わせるような書き方をしてほしいの」
「なるほど」
「あなたは言葉をたくさん知ってるし、文章を書くのも上手で早いじゃない。わたしじゃとても書けないわ。頼りにしてるの」
「そうだな」
まんざらでもなさそうな表情で、元が頷く。
「このタイトルに沿った内容を書いていってくださるかしら。安く自費出版できる会社はわたしが探すわ。十月の統一大会で売りたいから、八月初旬には第一校を仕上げてね。それから一か月かけて校正と印刷っていうスケジュールになると思うの。……社長、大丈夫そう?」
「ああ、大丈夫だ」
元は鷹揚に頷いた。
元は戦国大名が好きで、時代小説をたくさん読んでいる。それで古い語などをよく知っているのだ。「知識があって頭がいい」というのが元の自慢のひとつだ。
どうやら作家になりたいと思っていた時期もあったらしく、書きかけの小説を家で見たことはあるが、完成させたことはない。
そもそも調べものなどを面倒くさがってしないので、すぐに詰まるようだ。
だからこうやって、目次などの指針を与えると、文章を書くのは早い。上手かどうかは秋保には判断できないが、会員には「やっぱり社長は頭がいい」と評判がいいので、これでいいと思っている。
「あ、秋保常務。カタログが届いてましたよ」
「ありがとう」
事務の女性に封筒を手渡されて、秋保はビニール封筒に入ったカタログを開けた。
宗教法人化するにあたって、数珠としてブレスレットを売ることを考えているのだ。数社からパワーストーンのカタログを取り寄せて、さらにインターネットでも探し、できるだけ単価が安くできるものを考えている。
その中からいくつか数社に絞って、すでに試作品をいくつか発注している。今日明日にも届くはずだ。
秋保が考えているのは、誕生石のブレスレットを作って、会員に市価の倍以上の価格で売ることだ。
もし本格的に決まれば、自分だけでなく元にも着けてもらい、大々的に売り出す。
今までは消耗品しか売っていない。こういうアクセサリー類は、一度買うとなかなか次が出ないが、今の会員にブレスレットを売り切ったところで、お守りとして、また形を変えて売り出そうと、ふんわり考えている。そのための考える材料としてのカタログという側面もある。
秋保はカタログをぱらぱらとめくった。天然石の意味などが書いてある。
この中から自分たちに都合のいいものをチョイスして、社外秘のマニュアルを作る。それは元の文章だと硬すぎるので、秋保が書く。そしてそれを全部暗記して、代理店に流す。すると代理店はそれを暗記して、特約店や一般会員に暗記してもらうのだ。
マニュアルを残すと薬事法その他に引っかかる可能性が出てくるので、できるだけ暗記で回している。ただやはり全員暗記というわけにはいかないので、テキスト代わりに、読み上げた音声ファイルを代理店には配っている。どうしても覚えられない会員向けだ。
プラスアルファに限らず、こういう商法では、暗記をさせているところが多い。証拠を残さないためのほか、会員がどんなバカでも、暗記させれば説明できるという利点もある。
そのとき、電話が鳴った。事務員が出る。
「秋保常務、クーリングオフ期間が過ぎたものを返品したいって電話なんですけど」
その言葉に、秋保は眉をひそめた。
「判ったわ。わたしが応対する。……お待たせしました。常務の山村でございます」
『ABCD法律事務所で弁護士をしております川岡と申します』
電話の向こうから男の声が響いて来た。ABCD法律事務所は、この近辺で一番大きい事務所だ。
「弁護士さん、どのようなご用件でしょうか」
『一か月前にそちらでPデラックスを一か月分お買いになった山本さんなんですが、その際に、クーリングオフ期間が、一般の八日間じゃなくて、二十日間あるという告知がなかったという話なんですね。それで、買ったものの家の人に話せずに一か月過ぎてしまいましてね。ただ、わたしどもとしましては、クーリングオフ期間の告知がないということは、不実告知に当たるということで、返品していただけるのではないかと思い、連絡を差し上げた次第です』
秋保は険しい表情のまま、少し考えた。
相手は弁護士を立てているのだ。消費生活センターに行かれたり、弁護士を立てられたりしたときは、すぐに折れることにしている。争うとイメージが悪くなるし、お金もかかる。それよりも、そんな風にしてくる人のことは忘れて新しい人を開拓した方が、最終的にはお金になるのだ。
「判りました。わたくしどもの指導が至らずに、このような事態を招いたことは、深く反省いたします。これから会員さんたちにクーリングオフ期間の告知をするように徹底して、今回の返品は受け入れます。ただしお使いいただいた分は無理ですよ」
『もちろん判っております。それでは返品できるということで、そちらに商品をお送りしますから、返金をお願いしますよ』
「承知いたしました」
『こちらから返品して二週間以内に返金がない場合、最悪法的に訴えることもありますので、よろしくお願いいたします』
「もちろんそれも承知しております。わざわざご連絡ありがとうございました」
『返品を受けて入れていただいてありがとうございます。これからもよろしくお願いします』
「こちらこそ」
電話を切って、秋保は大きくため息をついた。
「この山本って人の紹介者と代理店、確認してもらえる?」
事務の女性に秋保は声をかけた。
「商品の購入は自己責任なのにクーリングオフ期間が二十日もあるなんて、そもそもおかしいんだよ」
秋保の電話を聞いていたらしい元がそんなことを言い出した。
「でもわたしたちの売りは、
秋保が釘を刺す。
しかし秋保を含めてプラスアルファの上位陣の考えでは、「説明を聞いて納得して買ったんだから自己責任。できるだけクーリングオフさせないように、紹介者が盛り上げて、クーリングオフ期間を過ぎさせる」という指導を、表現はオブラートに包みつつしている。
「初めて買っていただいた一般会員さんには、最初の二十日間は、二日に一度……できれば毎日電話して、プラスアルファのすばらしさと、普通の雑談を混ぜて、気分を盛り上げて、二度目の購入に向けるように、もう一度講習をしようかしら。
「イベントと、ときどき入る会員さんへの直接説明以外は身体はあいてるよ。新作を書かなきゃいけないからいそがしいけどね」
「判ったわ、ありがとう。代理店の方々だったら、平日の夜に集まってもらってもいいかもしれないわね。場合によってはちょっといい会場を押さえて食事を出して、慰労という名目で、そこで講習もしようかしら。……費用の試算出してもらえる?」
「判りました」
事務の女性が返事をする。
それを確認して、秋保はもう一度カタログを手に取った。
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