■五月十日(日) 秋保

「お疲れ様。厚子先生のお友達なのね。さっきはゆっくりお話しできなくてごめんなさい。厚子先生、素敵な方よね。わたし大好き」


 秋保あきほがテーブルを移って笑顔を作る。


 イベント会場から駅までの道のりにあるファミリーレストラン。店のルールなのでここで勧誘はできないが、そのルールを順守する集団として秋保達は認識されて久しい。お得意様扱いである。


 秋保達。つまりプラスアルファというネットワークビジネスをやっている集団である。集団、というのは、代理店以下配下の人たちが社員でも準社員でもないから「会社」と言うには少し違う。


 もちろんプラスアルファは会社である。社長が栄美の父、山村元やまむらはじめで、秋保は常務という肩書である。専務にしなかったのは、一部の男性会員が、なぜか専務よりも常務の方が喜ぶからだ。実質は変わらない。


 秋保は、栄美を生むまで複数の会社で会計担当をやっていたこともあって、プラスアルファの会計責任者だ。そのほかに会計担当を一人、その他事務を一人、本部事務所で雇っている。メインはこの港町市内だが、近県でも会員が増えている。


「あっちゃん、先生って呼ばれてるんですかぁ?」


 厚子の連れてきた二十代の女性がバカっぽい声を上げる。

 イベント会場で確認したが、厚子が以前にやっていた自己啓発セミナーで知り合ったと言っていた。厚子はそういう、付き合いは浅くて人間関係も薄いが、その代わりネットワークビジネス的なものへの抵抗があまりない知り合いが多い。


 それが功を奏して、厚子は短期間で、会員の最高レベルである代理店に上りつめた。

 今はほとんど自分では勧誘せず、配下の特約店やヒラの会員が連れてきた人間相手に勧誘することで、収入を得ている。


 とはいえ厚子はこうやって、昔の知り合いにちょくちょく声をかけては呼んで、他の特約店や一般会員の手本になるようにしている。


 それは秋保のアドバイスで、厚子は秋保の言うことを素直に聞く、秋保から見てかわいい会員だ。


「幼稚園の先生だから『先生』って言われてるだけよぉ」


 パステルピンクのスーツ姿の厚子が、まんざらでもなさそうに笑う。明るい茶髪で肩までの長さ。ばっちり化粧もしていて、理知的な雰囲気を演出している。


「厚子先生の商品説明は、キャリアウーマンのプレゼンみたいで、説得力があるの。わたしとても信頼してるのよ。厚子先生が連れてきてくださる方は皆さん、すばらしい方で、わたし大好き」


 秋保の言葉に、厚子が連れてきた女性が頬をほころばせる。


「あっちゃん、優しくていい子ですよねー。あたしもセミナーのときから大好きだったんです」


「わたしも大好き。……よければ、厚子先生を助けると思って、そうね、あなたの場合、アイシャドウが紫だと似合うと思うわ」


 秋保は言って、その女性の前髪をそっと触って目を見た。


「かわいらしい方だから今の薄化粧でも素敵だけど、目の周りをもう少しだけ気を付けてみたら、もっとずっと素敵になるんじゃないかしら」


「えー、……そうかな」


 照れたように答えるが、薄化粧というよりは、ほとんど化粧していないに等しい。ファンデーションは塗っているが、あとは口紅をしているだけだ。


「あなたは目がキレイだから、目の周りに気を配ってみたら、もっとずっと輝けると思うの。……厚子先生はどう思う?」


 秋保に問われて厚子は大きく頷いた。


「そうなんですよね。あたしも高校で初めて化粧したときってアイプチから入ったのにゆうちゃん目の周りをいじってないから、お化粧慣れてないんだなー目の周りに力入れたらもっとずっとかわいくなるのにって思ってたんだけど、うまく言えなくて」


「アイシャドウと、……あとうちは出してないけど、マスカラをするとずっとよくなると思う。何だったら厚子先生、お化粧上手だから、一緒に買いに行ったらどうかしら」


 言ってから秋保はいたずらっぽい表情を作って厚子を見た。


「もちろん厚子先生は、素顔もかわいいわよ」


「どうも」


 厚子が苦笑いすると、連れてきた女性が口を開いた。


「あっちゃん本当に素顔かわいいよ。セミナーのとき一緒にお風呂入ったじゃん。美人だった」


「……ありがと」


 厚子が照れた顔になる。


「厚子先生にお化粧の相談をしたら、お仕事とか他のことで、もっと輝けると思う。いっぱい相談してね。厚子先生、お願いね」


「判ってます。大事な友達だし、あたしのできる限り、相談に乗ります」


 厚子が頼もしい表情で頷いた。それを確認して、秋保は席を移る。


 今日のイベントに来た上に食事も一緒にすると、プラスアルファのビジネスに残る確率は高い。もちろん、用事があるからと帰った人が後々人を連れてきてくれる会員になることもあるし、今日だけ調子よく一緒に食事をして帰って二度と現れないこともある。


 プラスアルファではこういう食事は、社員も代理店も関係なく、全員自分が食べた分を自分で払うというルールにしている。そうでないとこのご時世、たかられて終わりになりかねない。


「……、ねえ、信じられないでしょう」


 次のテーブルに回ると、男性の代理店が憤懣やるかたないといった様子で話をしていた。


 三十歳前後でスーツ姿。この仕事でうまくいっている男はだいたい会社に行くようなスーツ姿で動いている。その方が「ちゃんとした商品」という説得力が出るのだ。


 この男は、厚子とも顔見知りで、厚子がハマっていた時期に似たような自己啓発セミナーにハマり、直接同じセミナーを受けたことはないものの、共通の知り合いがいる。


「どうしたの?」


「あ、秋保常務。聞いてくださいよ! 先週連れてきた山畑さんっていたじゃないですか。友達のお母さんなんですけど、あの人があのあと、Pデラックスを購入してくれたんですが、クーリングオフしてきたんです」


「まあ、どうして? よさを判っていただけたんじゃなかったの? イベントでは『これはぜひ試したい』っておっしゃっていただけてたわよね」


「そうなんですよ! それなのに家に帰って娘さんに話したら、娘さんが大激怒して、全部クーリングオフしろ!って言ったんだそうです。よさを判っていただけたのに、納得してもらえなくて」


 男の話に、秋保は大仰に驚いたような表情を作った。


「ええっ、そんなのおかしいわよね。山畑さんはわたくしたちの説明に納得して自己責任でお買いになったのに、娘さんが反対して、それでクーリングオフだなんて」


「そうなんですよ」


「その娘さんに判っていただけたら、それはいいご縁なんじゃないかしら」


 不意に秋保はそんなことを言い出した。男が怪訝な表情になる。


「山畑さんの娘さんだったら二十代くらいでしょう。お化粧品とPデラックスやプレミアムPドリンクが必要になってくる年代よね。その娘さんが判ってくださったら、そちらから新しい方がいらっしゃるかもしれないし」


「……でも、本人から『もう母を誘わないで』って電話がかかってきたんですよね」


「あちらからコンタクトを取ってくださったということは、わたしたちと話す可能性があるってことじゃないかしら。その娘さんに判っていただけたら、お母様と二倍でしょ。ちょっとがんばってみたらどうかしら」


 かなり強引な秋保の言葉に、男は不満そうに黙り込んだ。しかしその横にいたワンピース姿の二十代の女性が、感心したような表情で秋保を見ている。


「さすが秋保常務、発想の転換ですね。すてき!」


「そんなことはないけど」


 謙遜している表情で秋保は答えた。それから言葉を続ける。


「日本で、ネットワークビジネスに理解がある人の割合は、三パーセントだと言われているわ。田中さんのお知り合いは、その意識の高い三パーセントが多いわよね。だからちょっと忘れていたかもしれないけど、ネットワークビジネスのよさが判っていない人の方が、まだまだ日本では多いのよ。ご存じなくて過剰反応する人を、そうやって非難するんじゃなくて、判っていただく努力をするべきじゃないかしら。だって、健康に良くてきれいになって、しかもお小遣い、人によってはお給料以上の収入も得られるのよ。こんなすてきな話、ないじゃない。絶対判っていただくべきよ」


「そうですよね。あたしも、お化粧してない友達に話してみます!」


「……判りました。もう一度、電話してみます」


「やっぱり田中さんはそうやって前向きになれるから素晴らしいわ。戸村さんも、ぜひお友達を連れてきてね」


 秋保はにっこり笑った。


「ええっ、あたしの名前覚えてくれてたんですか!」


 戸村と呼ばれた女が嬉しそうに笑う。


「田中さんの大事なお友達だもの。当然よ。何度も来てくれてるし、一度きちんとお話ししたいと思ってたの」


「うれしい! 次のイベントでは絶対友達連れてきますね!」


「楽しみ! 待ってるわ。……田中さんもがんばってくださいね。期待しているわ」


 言って秋保は他の二人にも会釈をして、席を立った。


 一緒に来た五テーブルすべてに回って、それぞれ声をかけたあと、秋保は自分の席に戻った。


「お帰りなさい。お疲れ様」


 特約店の美佐が笑った。長い茶髪にパーマをかけていて、いかにもヤンキーという雰囲気だ。

 だが意外と初心ウブな面もある。

 二十歳代前半。

 美佐を連れてきた代理店が辞めてしまった。それでも美佐がイベントに来てくれているのを秋保が声をかけたことで、ここ半年ほど、秋保と親しくしている。


 美沙が特約店から代理店になろうとしても、配下の数が少なくて、昇進のノルマが達成できそうにない。

 もちろん、こういうビジネスでは、会社によっては自分で買うことを推奨しているところもある。


 だがプラスアルファはそれをしないのが売りだ。

 あくまで配下を増やして、それで代理店になる。それが代理店にふさわしい。それに商品を無理に自分で買って代理店になっても、続かないからだ。


 という建前だ。


 本当のところは、警察から「危ない会社」としてマークされるのを避けるため、というのがひとつ。


 あとはその「努力」を「心の教室」などと絡めて宗教的に演出するのだ。


 代理店に昇進したときに、イベントなどでその努力を宗教的に語ってもらい、特約店以下に代理店の努力を尊敬させ、そこを目指すように仕向ける。


「今日は博之くん、どうしたの?」


 美佐が最近連れてきた男の名前を挙げる。美佐よりひとつか二つ年下の男で、ずいぶんと親しそうだった。


 まだ他の人を連れては来てくれないが、栄養補助食品を定期的に購入してくれ、イベントにもマメに顔を出してくれる。やはりヤンキーっぽくていかつい外見だが、なかなか手離したくない男だ。


「来いって言ったんだけど、あいつ先に約束入れちゃってたんだって。妹分と」


 美佐はタメ口になって、ドリンクバーのジュースをぐいっと飲んだ。


「妹分ならこっちを優先してくれたらよかったのに」


 秋保の言葉に、美佐はグラスを持っていない左手をひらひらと振った。


「だめだめ。あいつ、妹分には頭上がらないのよ。あの子がネックだとは思ってたんだけど、プラスアルファ続けること反対されてるんだって」


「そうなの? その妹分ちゃんも連れてきてくれればいいのに」


 秋保が軽い気持ちで言うと、美佐は心底驚いたように目を丸くした。それからけらけら笑う。


「うわー、それ他人事なら面白そう。でもあの子、すぐキレるし、キレたら暴れるし殴るし、イベントの進行を考えたら、あたしだったら連れて来ないなぁ」


「暴れて、殴る……?」


 秋保が目を丸くすると、美佐は少し驚いたような表情になって、それからふっと表情を緩めた。優しげな表情になる。


「秋保さん、こういう仕事してる割には意外とお嬢さんだよね」


「うちの会員さん、外見はどうあれ、おとなしい人が多いからね。まだ暴れられたことはないわ」


「あー、……確かに、何かをこじらせたような人多いねー」


「美佐ちゃん、言い方」


 たしなめるように言った秋保に、美佐はけらけら笑う。それから不意に真顔になった。


「まあとにかく、あの天才児にちょっかいかけるのはやめた方がいい」


 美佐が断言する。


「……天才児?」


 秋保が訊き返すと、美佐は肩をすくめた。


「博之の妹分は、リアル天才児なのよ。あたし一応、いろんなもの見てるってみんなに言ってるけど、基本は悪い方じゃん。でもあたしの育ちで天才児見れたのは、ちょっとびっくりかな」


「天才児ちゃん、子どもなの? 何をしてる人?」


 秋保が、自分が頼んだドリアがきたのでスプーンに乗せて冷ましながら美佐に訊く。


「高校一年生。お嬢さんの同級生よ。港町高校、学校の先生のフォローとうちの施設で取ってる通信教育だけで合格したの」


「……マジっ?!」


 思わず秋保は声を上げてしまった。それから口に手を当てる。

 そんな秋保を見て美佐が笑う。


 栄美が中学に入る直前から塾に通わせ、取れる講義はすべて取って、私立中学に通わせるよりもずっとたくさんのお金を塾に払って、そして港町高校に入れたのだ。

 それもすべて、秋保に、自分が高卒であることにコンプレックスがあるからだ。


 秋保だって成績は決して悪くなかった。なのに両親は自分たちが高卒というだけで、大学進学なんて考えてもくれなかった。栄美にだけはそんな思いをさせたくない。そう思ったのだ。


 だから、栄美が一人っ子なこともあり、できるだけのことはしてきた。


 なのに。

 栄美の同級生に、そんな子がいるなんて。


 美佐は児童養護施設の出身だ。その「天才児」も、今の話によるとその施設で育った子だろう。


 もしかしたら、栄美よりもその子の方が成績もいいのかもしれない。


 そう思った瞬間、自分でもびっくりするほどイラッとした。殺意がわいた、と言ってもいいかもしれない。


 秋保は大きくため息をついて、ぎゅっと拳を握りしめた。

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