■五月十日(日) 栄美

「お嬢さん、お疲れ様でした」


 会員の荒川に声をかけられて、栄美えいみは反射的に笑顔を作った。


 荒川は四十歳前くらいのスーツ姿の男。

 栄美の父が、栄養補助食品を売っている会社から独立したときに着いてきた古参である。栄美の父が社長をしているプラスアルファが抱える代理店の中でも最大手だ。


 ちなみにプラスアルファが行っているのは、「特定商取引に関する法律」で「連鎖販売取引」と定義される商品の販売方法を取っている、いわゆるマルチ商法である。インターネットでも商品を販売しているが、基本的には対面で商品を売るのがメインだ。


 まず最初に一般会員として、紹介してくれた代理店から定価で商品を買う。ある程度購入実績が増えると、特約店となり、一割引きで商品を買うことができるようになる。そして三ヶ月連続でかなりの数をさばけるようになると、代理店となって商品を売ることができるようになる。自分用の商品購入は二割引き。そして一般会員や特約店に卸した商品の差額が収入になるのだ。


 つまり、れっきとしてマルチ商法だが、法律は遵守している。ついでに、特約店や代理店になるために必要もない商品数を購入するように会員に勧めることは厳禁。


 栄美の母親で常務の秋保あきほは、それが長く続いている秘訣だと言っている。実際、目立ち過ぎず、かといって売れ行きが落ち込むこともなく、母曰くちょうどいい位置で会社は続いている。


 この荒川がその代理店最大手で、他の代理店のリーダー的存在だ。


「お疲れ様です。荒川さん、今日はまた会員さんのところですか?」


「岡山に行って、新規の人に商品の説明をしてきます。先生はまた大阪だそうですね」


 慌ただしく商品を片付けていた父が手を止めた。荒川と栄美を見る。


 父はにっこりと笑った。紺のスーツ姿、五十歳過ぎでサラリーマン、課長か部長のような風情だ。白髪が混じった短い髪をしっかりと撫でつけ、外見は文句のつけようがない「真面目そうな男」だ。

 会員が「あんなに真面目でしっかりした人が社長さんの会社だから安心できるでしょう」と連れてきた人に言うことも多い。荒川も父も、そのためにスーツをびしっと着ているのだ。


「ええ。これから大阪です。大阪の安田さんから、ぜひにと請われて説明に行かねばならないので。……栄美、いつも留守にして申し訳ないね」


「大丈夫」


「わたしは会員さんたちと晩御飯食べたら、あと一件あるんだけど、栄美も晩御飯来る?」


 母親が栄美に訊く。

 母親は明るいオレンジのスーツ。実年齢は四十歳過ぎだが三十歳前半に見えるきれいな肌で、ばっちり化粧をしている。髪にはパッと見分からない程度に軽く茶色を入れていて、背中までふんわりと伸ばしている。茶色を少し入れて重い印象にならないように工夫しているのだ。


 栄美は苦笑いして首を横に振った。


「ううん。明日小テストがあるから、勉強しなきゃいけないの。コンビニで晩御飯買って帰って家で食べる」


「そう。……栄美が連れてきた男の子、心の教室、来てくれそう?」


 隼人の帰り際に、母が声をかけて心の教室に誘ったのだ。だが隼人は、困ったような表情で返事を濁していた。


「うーん、ドン引きはしてたけど、意外と優しいから、お願いすれば来てくれそう」


「高校の同級生だっけ? だったら親が出てくると面倒だから、ムリしすぎないで、……そうね、最初は『会場設営だけ手伝って』ってお願いしてみるとか、そっちからいった方がいいかも」


 母に言われて、栄美は頷いた。


 栄美が連れてきた隼人は明らかにドン引きしていた。しかしその表情は、栄美を非難するものではなく、どちらかというと困惑が大きかった。口は悪いが根は優しいのだ。


「うん、育ちはよさそう」


「そういう子は取り込めたら力になるから、離しちゃダメよ。向こうが引くようだったら、しばらく誘わないで声だけかけて細く長く友達関係続けて、大きな休みとかにもう一度声をかけてみるといいかも」


「うん」

 母親のアドバイスに、栄美はおとなしく頷いた。


 この手の商法では、声をかけて芳しい反応がなければ次の人に行くというのが基本らしい。しかしそれではあっという間に声をかけられる対象も限られてしまう。


 そこで、栄美の両親が始めたのが、主に未成年を対象にした「心の教室」である。


 先祖を敬い食べ物に気を使い、……そして、栄美の父が経営する会社が売っている栄養補助食品を買う下地を作る。既存の宗教とはかち合わないように、心の部分はあくまでも表象的にしか扱わない。


 未成年対象と言いつつ、最近は大学生にも対象を広げている。

 いきなり値段設定高めの化粧品や栄養補助食品を買うのはハードルが高いけど、という学生が集まってきている。


 港町市周辺には国公立大学や偏差値の高い私立大学も多く、あちこちに学生街があり、一人暮らしをしている大学生も多い。しかし偏差値の高い大学に通っているからといって、学生がマルチ商法などに関する知識があるわけでもない。しかも親の監視がなく人恋しい状況に陥っている学生もかなりいて、人を集めやすい環境なのだ。


「じゃあ勉強がんばってね」


 母親に言われて、栄美は笑顔で手を振った。


 父親はこのあと大阪、母親はファミリーレストランで会員と食事。どちらも「仕事」だ。

 中学でも、両親の仕事のことがすぐに知れ渡り、親しい友達はできなかった。高校では「心の教室」に誘ったりしろと言われれば、余計にそうなるだろう。


 栄美の人生に「友達」ができる日は一生来ない気がする。


 栄美はそう思っている。


 近場に大学がたくさんあることもあり、両親は家から通える大学に行くように、栄美に言っている。


 でも本当は。


 ……遠くの大学に、行きたい。家から離れて、誰も両親の仕事を知らない人たちの中に入って、そして。──友達が欲しい。


 両親の「仕事」が、栄美の塾代や生活費になっているのは判っている。だから手伝う。だけど。


 ……だけど、本当は。


 そのあとの言葉を、栄美は飲み込んだ。 

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