■五月十日(日) 夏凛 1

 夏凛かりんは指定された喫茶店に入った。レジが一階の入り口脇、二階と三階まである大きめの喫茶店だ。博之がLINEで知らせた場所は三階だった。

 三階まで一息で上って、店内を見回す。


 夏凛は真っ赤なミニのパンツに青のパーカー、同じく青のニーハイソックスを履き、赤の靴。おかっぱ頭で、顔には薄く化粧をしている。派手な色合い服だが、近所の量販店で揃えたものだ。


 すぐに夏凛を呼び出した男、安達博之あだちひろゆきが見つかる。


 博之は二十一歳。ボックス席で、何やら熱く語っている。今日はオフだと言っていたが、仕事とは関係なくいつもの作業着姿。髪が短くて金髪なのも相まって、かなりいかつい外見だ。

 まだ博之は夏凛が来たことに気づいていない。


 それを確認して、夏凛は博之の周りの人間を観察した。


 まず浦口望うらぐちのぞむ。博之の左横で、はらはらした表情。博之と、真向いの男を見較べている。

 夏凛より一つ年上の高校二年生。だらしのないジャージ姿で黒い短髪、いかにもワルそうな雰囲気だ。

 だが本当はそんなにワルくないことを夏凛は知っている。


 次に目に入ったのが、博之の向かいにいる男。

 おそらく五十歳前くらいだろうか。まだ五月だというのに半袖の黒い開襟シャツを着て、腕をソファの上に置いている。

 この男を中心に話題が展開しているように見える。なかなか整った顔立ちに穏やかな表情を浮かべている。背が高いようで、隣の男よりも頭半分高い位置に顔がある。


 その男の隣にいるのは三十歳代くらいの男。

 博之の右横にも見知らぬ二十歳代くらいの男がいる。


 この二人は無視してもいいだろう。


 そう判断して、夏凛はそのボックス席に乗り込んだ。


 話題の中心にいる五十歳前後の男の胸ぐらを掴む。


「てめえが親玉か!!」


 夏凛の高い声が店内に響く。意外とかわいい声だ。


「いくら博之がバカだからって、騙して許されると思うなよ!!」


「うわっ、夏凛!?」

 博之がびっくり目で夏凛を見る。


「待った、夏凛、違う」

 止めたのは博之の横に座っていた望だった。


 博之の前にいる親玉は、夏凛に胸ぐらを掴まれているというのに、まったく動じる様子がない。


 夏凛にシャツの胸元を掴まれたまま、男は小さく笑った。


 その表情に、夏凛はカッとなる。


「ふざけんな! そりゃこのバカはバカだけどな! おまえらが騙していい法はないんだよ!!」


「だから夏凛、違うって」


 後ろで博之のおろおろした声が聴こえる。


 そのとき不意に、夏凛の目が熱くなった。

 泣いてしまった、と気づいたのは涙が溢れて男の服に落ちた時だった。


 男が苦笑いして、夏凛の手首を軽く掴んだ。


「気持ちは判るけど、少し落ち着いて。俺はむしろ、おまえ寄りの立場だと思う」


 低い声で、男が夏凛の目を見る。まっすぐな目。


「……あたし寄り?」


「こっちはこのバカが」

 男は右手で拳を作り、親指で博之の右横に座っている三十歳代くらいの男を指した。


「怪しげなネットワークビジネスにハマってるから、辞めるように説得してくれって言われて来たんだ。こっちで話してたら、おまえんとこのバカが入ってきて、うちのバカとそっちのバカが意気投合して」


「博之をバカって言っていいのはあたしだけだ!」


 夏凛は男を睨んだ。


 男が少し驚いたような表情になる。それから、ふっと表情を緩めた。意外と優しそうに笑って、男は夏凛から手を離した。夏凛もつられて男から離れる。


「まあ座れよ。おまえ、いい奴だな」


「あたしは別にいい奴じゃない」


 答えながら、夏凛は博之と望に向かって顎をしゃくった。二人が同時に左右に動き、二人の間の場所を空ける。当たり前のように夏凛は二人の間に腰を下ろして足を組んだ。


「こんなかわいい妹分泣かせてまで、やりたいか? ネットワークビジネスとか言ってるけどただのマルチ商法だろ」


 からかうような男の言葉に、夏凛はキッと男を睨みつけた。


「悪い悪い。……で、夏凛? 何夏凛? 俺は西尾厳にしおいつき。こっちが」


 西尾は自分の左隣に座っている男を指さした。


「俺の後輩の弟分の後輩で、こいつに泣きつかれて、こっちのバカにネットワークビジネス辞めるように説得しに来たんだ」


皆川夏凛みながわかりん


 夏凛が顎を上げて西尾に答えた。西尾は小さく頷く。


「まだ中学生か高校生だろ?」


「高校生だよ!」


 ひそかに童顔なのを気にしている夏凛は、声を荒らげた。それを見て西尾がおかしそうに笑う。


 一瞬、また突っかかろうかと思ったが、博之に裾を引っ張られて、夏凛はソファに体重を預け、腕を組んだ。


「後輩の弟分の後輩って、要は他人だよね?」

 とりあえず夏凛は口を開いてそう言い、西尾を見た。西尾が苦笑いする。

「まあね」

「……西尾さん、冷たい」


 夏凛に「他人」と言われた男が、すねたようにジュースをストローですする。


「本当に赤の他人だと思ってたら来ねえよ。俺、今日は本当は久々の家族サービスデーだったんだぜ。そっち断って来たんだからほめてほしいくらいだ」


 家族サービスデー、という言葉に、夏凛は思わず顔をひきつらせた。博之と望も凍っている。


 それに気づいたらしい。西尾が真顔になる。


 何か言いかけてやめる、という仕草を二度ほどくり返したあと、西尾はあきらめたようにため息をつき、目の前のコーヒーを飲み干した。手を上げて、店の端でこちらの様子をうかがっていた店員を呼ぶ。


「コーヒーお代わり。……夏凛も何か頼めよ。おごるぞ」


「え、本当におごってくれるの? じゃあパフェ」


「そっちか。……パフェも頼む」


 西尾の言葉に、店員は一礼して席から去った。


「で、博之はネットワークビジネスなんかやって、どうしたいんだ? 金持ちになりたい感じ?」


「……夏凛の、大学入ったときにかかる学費を俺が出してやりたい」


 博之がぼそぼそと西尾に答える。

 夏凛は露骨に顔をしかめて博之を睨んだ。


「おまえに学費出してもらうほど落ちぶれてねえよ」


「国立に受かったって学費は高いし、奨学金って言ったって返さなきゃいけないのがほとんどだって言うし、だったら俺が夏凛のために金出してやりたいんだよ」


「高いのは知ってるけど、おまえに出してもらおうとは思ってねえよ!」


 夏凛が甲高い声を上げる。それに頓着せず、博之は夏凛の肩を軽く抱いた。西尾に向かう。


「こいつ、頭いいんですよ。高校だって港町高校だし。だから俺、夏凛は絶対に大学に行かせてやりたいんだ」


「……すげ」


 西尾の「後輩の弟分の後輩」が呟く。だが西尾は困ったように笑って、小さく肩をすくめて、夏凛の目を見た。


「何年生?」


「一年」


「なるほど。……返さなくていいタイプの奨学金もあるし、そこを、あんまり判ってなさそうな博之が金出そうとしたら、今度はまた別の詐欺に引っかかるぞ」


 腕を組んで西尾がからかうように博之を見る。


「でも夏凛は自慢の妹分だから、出してやりたいんだよ!」


 博之が半泣きで西尾に食ってかかる。


「だったら本業に精を出すんだな。ネットワークビジネスなんて、出て行くばっかりで入って来ないだろう? 今入ってきてないってことは、これから先も入らないってことだよ。いい加減、判れ」


 西尾の言葉に、博之は唇を噛んだ。

 それでも博之は、やめるとは言わなかった。

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