VSマルチ!

はやせまこと

■五月十日(日) 隼人

「私は山村先生のおかげで、ご先祖様に手を合わせるという習慣が身に付き、また、自分の健康に気を配るという、人として当然のことができるようになりました。山村先生には本当に感謝しています。反抗期だった娘も、心の教室で先生から大切なお話を伺い、今ではすっかりいい子になりました。これもすべて山村先生と秋保あきほ常務のおかげです」


 壇上でしゃべっているのは、中年の女性。黄色のスーツ姿で、厚化粧。宙を睨んでいる目が正直怖い雰囲気だ。


 ……宗教?


 隼人はやとはパイプ椅子に腰を下ろして腕を組み、眉をひそめた。


 林田隼人はこの春に高校生になったばかりだ。父親の他に兄姉も卒業した県立港町みなとまち高校。


 港町高校は、旧制一中であり、学区が細かくあった頃はトップ校だった。今は港町市内で二番手に甘んじている。とはいえ、旧学区内の駅には『港町高校に行こう!』と書かれた塾のポスターが貼ってあったりして、まだまだ人気は根強い。


 隼人をここに連れてきた山村栄美やまむらえいみは、その港町高校で隼人の親友と同じクラスだ。


 最初は本当に、親友に用事があって栄美たちの教室に行っていたのだ。そのうち、クラスの生徒たちのはしにいる栄美に気が付いた。いつ見ても、ごくごく親しいらしい女子と二人でいるか、一人。いくら港町高校の女子が一般的に独立心旺盛とはいえ、ここまでの子は珍しい。

 最初はそう思った。


 長くてまっすぐな黒髪に、短くしていないスカート。そこも隼人の好みど真ん中だった。

 隼人が話しかけると、普通に返してくれる。友達ができないわけではなく、簡単に誰かとつるまないだけだ。隼人はそう思った。そこも好みだ。


 そんなある日、彼女から誘われたのだ。


 ──イベントがあるんだけど、主催の人から、人が集まらなくて困ってるって言われたの。林田くん、一緒に行かない?


 イベント、という言葉に引っかかりは確かに感じた。デートじゃないことは判っていた。


 しかし。

 ここまでがっつり宗教系だとは、思っていなかった。この会場だって普通の公民館の一室だ。会議用のパイプ椅子に長テーブルが並んでいる。会社の研修が行われても不思議はない場所だ。


 ……しかも、反抗期の子供がいい子にってどうよ。


 隼人はため息をついた。


 栄美は、隼人から見ると向かいの席に座っている。主催者側だ。

 この公民館に入った途端、あちこちから「お嬢さん」と声が飛んだのだ。

 淡い緑を基調としたアースカラーの重ね着。黒のロングヘア。歩いているときに、ふわっとスカートが舞うのもかわいかった。


 だが、信者らしい人たちは、主催者のことを「山村先生」と呼んでいる。


 隼人を連れてきた子は山村栄美。何らかの血縁関係が考えられる。


 ……あの場で逃げるべきだったかなぁ。


 デートだと思ったわけではないが、買ったばかりのシャツを着てきた自分がバカみたいである。隼人は頬をゆがめた。


 ……イベントがあって、知り合いが開催して、人を集めなきゃいけない、って言ってたよな。


 嘘ではない。言ってないことがあるだけで。


 隼人はため息をついた。


 ちらっと栄美を見ると、栄美は微笑を浮かべて壇上を見ている。隼人の方には見向きもしない。


 ……そりゃさぁ、デートじゃないって判ってたけどさぁ。


 隼人がまだぐちぐちと考えていたときだった。


「先生から、健康について考えるように言われて、プラスアルファでお仕事を始めました。最初は人数も増えなかったのですが、あるとき、顔の広い方を紹介していただいて、それからすぐに代理店になることができ、ビジネスが軌道に乗るようになったんです」


 ……うん?


 ただの宗教だと思っていた隼人は、男の言葉に引っかかって壇上を見た。いつの間にか、さっきの女性ではなく、二十代くらいの若いスーツ姿の男がしゃべっている。


「今の食べ物から必要な栄養素をきちんと摂るのは至難の業です。それこそバケツ何倍分もの野菜を食べなければ、必要な栄養素は摂れない。私たちはそんな時代に生きているのです。……しかし! 我々プラスアルファの栄養補助食品を摂ると、その足りない栄養素を補うことができるんです。これを判ってもらえるようになると、買っていただけることが増えました!」


 芝居がかった男の言葉。しかし会場の半数は、頷きながら話を聞き、拍手までしている。


 隼人は脚を組んだ。腕を組んだまま、男の言ったことからこのイベントについて考えてみた。


 ……つまりこのイベントは、宗教と健康食品の二本立てってことか?


 マルチ商法、という言葉は、小説で見たことがある。しかし隼人の周囲でそういう商売をしている大人を見たことは、まだなかった。


 隼人はまじまじと壇上を見つめた。


 スーツ姿の男。何も知らなければ営業でもやっているサラリーマンかと思うところだ。……いや、いわゆる「営業」ではあるのだろう。


「日本では摂取が難しい南国産のフルーツからポリフェノールを抽出したこのPデラックス! これを食べてから、身体が軽くなったように感じ、仕事もうまくいくようになりました。それまでは正直ついて行くのに必死だった仕事も、辞める直前には物足りなさを感じるくらいになり、今はこちらのプラスアルファ一本でやらさせていただいています」


 隼人は呆然と男を見つめた。本人が言うようにステップアップしたという感じはしない。むしろ。


 ……商品薦めまくって、会社で居づらくなったとか?


 そう考えて隼人は眉をひそめた。


 その男が壇上を降りると、次は赤いスーツの女が立った。やはり三十代くらいだろうか。なかなかかわいらしい感じの雰囲気である。


「私はプラスアルファの化粧品、プレミアムシリーズがご縁で、こちらを知りました。最初は、ただのすばらしい化粧品だと思っていたんです。でも派遣の契約が終わって悩んでいた頃、スペシャルシリーズのジュースを知り、こちらのよさを実感して、お友達に勧めたところ、その輪が広がって、今はプラスアルファメインでやらせていただいています」


 女が見せたのは、薬局などでよく売っている茶色の瓶に入った栄養ドリンク的なものだった。


 ……今ここで帰ったら、栄美ちゃん、怒るかなぁ。悲しむよなぁ。


 うんざりして隼人が栄美を見ると、栄美はにこにこ笑ってその女の話を聞きながら、壇上の女が何か言うたびに、ひとつひとつ頷いていた。


 ……まあ、行くって言っちゃったし、最後までいるか。


 隼人は小さくため息をついて、腕を組み直した。

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