思い出の場所 ①

「どうしたの、貴巳」

 朝起きて隣にいなかった恋人に驚き、峰岸貴巳は慌ててリビングへと向かった。

 向かった先にいたのは、いつもと変わらない美貌に、困惑の色と笑顔を乗せた東啓司。

「あ、いや。啓司さんいなかったから、驚いて……」

 夢見も悪かったから。

 と呟く貴巳に、軽視はやんわりとした笑顔を向ける。

「ごめんね。今日は一限が有ったから、早かったんだ。僕が一緒にいた時は、貴巳ぐっすり寝てたから。どうする?貴巳は今日はゆっくりで大丈夫だよね。もう少し休めるよ?」

 朝食の用意は、すでに二人分テーブルに置いて有った。

 啓司が作り、用意を整えた物である。

 一人分はすぐに食べれる様にしてあり、もう一人分にはラップがかけてある。

 啓司と違い、今日の貴巳はもう少しゆっくり登校でも、講義に間に合うのだ。

 つまり啓司は貴巳の分は作り置き、レンジで温めれば食べられる様にして、大学へ向かおうとしていたのだ。

「う、うん。……俺も一緒に大学行く。もう一回寝ても、さっきの夢見そうで嫌」

 着替えてくると、貴巳はリビングを後にした。

 三年の啓司と、一年の貴巳では、講義の取り方が全く違ってきてしまう。大学では、一緒にいる事が難しくなる程に。

 けれど、大体がどちらかがどちらかに合せる。

 今日の様に、貴巳が早くに大学へ行く、などして。

 講義が無くても、図書館でレポート書きや調べ物。無くても読書。啓司も貴巳も相手に合せて大学へ行った時は、そんな風に過ごしていた。

 おかげで啓司はレポートに追われる様な事も無く、貴巳はしっかりと課題を出す真面目な生徒として教授には見られていた。






 協調という言葉とは程遠い性格をしている貴巳が、啓司と出会ったのは今年の四月。

 貴巳が大学へ入ってすぐ、サークルの勧誘員に強引に連れて行かれた先の教室で、紹介されたのが啓司という三年の学生だった。

 容姿から人目を惹く彼は、貴巳を見て柔らかい笑顔を向け、一つの言葉を言った。

「雨はね、いつか止むものなんだよ、貴巳くん」

 最初からずっと、貴巳だけを見て微笑んでくれている啓司に、貴巳が懐くのは早かった。

 いつもなら近付くな、と振り払うはずの手。その手を振り払えず、当初は貴巳は困惑していた。

 普段なら近付く事もせず、また近付かせる事もしない啓司が、唯一手を差し伸べ続けた相手。

 お互いによく似ていた。

 気付いたのは啓司が先。

 気付かされたのは貴巳。

 それから二人は、離れる事無く共に生活している。

 二人が安心していられる場所。

 それは二人が一緒にいられる場所だったから。

 啓司の学友は、口を揃えておかしな現象が起きていると、二人が共にいる事を評していた。けれど最近は、二人が一緒にいる事に慣れた様で。

 貴巳をかまう年上の存在が、今は何人か増えていた。





「よ。今日も仲良く同伴出勤ごくろうさん」

 からかい交じりの挨拶は、啓司とよく講義を受けている式湊(しきみなと)。

「おはよう。なんだい、それは」

 笑いながら答える啓司と共に、貴巳も頭を下げる。

 啓司とよく一緒にいるという事は、貴巳にもよく会っているという事だから、貴巳の知り合いにもなる。

「見たまんま、見たまんま」

 おどけて笑う湊は、啓司の肩をバンバンと叩いてくる。

「痛いよ、湊。で、なんでまだロビーにいるの?」

 湊は遠くから通っている為、一限に間に合うように大学に来ようとすると、どうしても早過ぎる登校になる。さっさと教室に入りいつもの席を陣取って、読書なりをしているのがいつもの彼だ。

 その彼が、まだロビーにいる事に、不思議を感じて啓司は手をはらいながら問いかける。

「あー、教授もさぁ、もっと前に告知してくれれば良いのに、って事が起きててな」

 そうしたらもっとゆっくり寝れたのにな、と何故か貴巳に同意を求めている湊。

「つまり、一限が休講になったんだね?」

 確認する啓司に、湊は首を縦に振る。

「そゆ事。俺が何時に起きてると思ってるんだろ、あの教授。今度抗議に行ってやろう」

 まぁ、遠くから通っている分大変なのだろう。部屋を近場で借りる気の無い湊は、壊滅的に家事が出来ないのだ。

「朝にネットで確認しなかったの?」

 自分の事は棚上げで、啓司は問いかける。

 啓司たちも、ネットで配信されている休講連絡等、見てもいない。

「出てくる前に?そんな時間無い無い。それに俺がここ来てからだもん。あの張り紙事務員がするの、俺ここで見てたもん」

 啓司たちが家を出る頃には、ネットには出ていた情報になる。

 啓司は苦笑するしかなかった。

「湊が可愛い言葉遣っても、可愛くないよ」

 もんとか普通に言ってるけど。貴巳が言えば可愛いのにね。と啓司は思っている。

「うるせ。ま、ここにいりゃ、お前ら来るだろうと思ってな。どっかに時間つぶしに行こうぜ」

 啓司も貴巳もネットで確認作業をしないことは、湊にはバレている。

 だいたい休講知らせは、湊が自発的に啓司に連絡をしてくることがほとんどだ。啓司は近場に住んでいる事もあり、自分の目で掲示板を確認してからでも、それほど困らないのだ。貴巳の場合は、啓司と共にいることが増えた為、一年の授業の休講の張り紙が有ると、誰かしらが「この講義受けてるなら、休講になったぞ」という旨のお節介メールを送ってくる。まぁ、主に湊がだが。

 湊は一人で時間つぶしが出来る人間ではない。誰かと騒いでいるのが好きなのだ。騒ぎ過ぎる人間でもないし、乗り気の無い人間を無理に誘う事はしないので、どの学年の人間にも好かれている。学祭等の祭り事には欠かせない人間だ。

 つまり、湊が休講を知って、啓司に連絡を入れていれば、啓司たちはもう少しのんびりしてから大学に来ていた。が、湊は一人でいる気が無い。という考えから、湊は啓司に連絡を入れず、二人を大学に来させたという事になる。

「湊、君ね……」

 半分以上当てにしているのは、啓司の乗っている車だろう。

 それ以外なら、別の人間と時間つぶしをしているはずだ。

「まぁまぁ、良いじゃん。俺一人って嫌なんだよ。頼むよ。な、良いだろ?貴巳」

 顔の前で手を合わせ、頼み込んでくる湊に啓司は苦笑した。

「俺は、別に……啓司さんが良いなら」

 貴巳は普段、湊にも世話になっているとは思っている。だから、断りの文句は出ない。

「おお。さすが貴巳。啓司、な、お願い」

 貴巳の肩を、遠慮なく叩いて、今度は啓司に目を向ける湊。

「そんな風に言ってくるって事は、行きたい場所がすでに決まっているの?場所によっては、行かなくもない」

 貴巳から丸め込む湊に、啓司はため息しか出ない。

 貴巳と二人の時間を邪魔してくるのが湊でなければ、啓司はそんな譲歩案を出さない。

 湊は啓司と貴巳の関係を知った上で、関係を変えない数少ない友人といえる存在だからだ。啓司と貴巳の結びつきの理由を知っている、唯一の人物でもある。

 啓司は貴巳に会う前までは、湊を一番近い人物としていた。頑なだった啓司の態度を緩ませる事の出来た、貴重な人物なのだ。だから貴巳も、湊を啓司の次に近しい人と位置付けている。

 簡単に言えば、啓司も貴巳も二人ともが、信頼しているのが湊だ。二人とも、本人に言う気は無いが。

「本屋!図書館でも良い。あ、でも、出来れば本屋……」

 湊が読書家なのは、通学してくる長い時間を、本を読む事で静かに過ごす道具としているからだ。

 大学にいる間は友人に囲まれていて、本を開いている姿など、一限の始まる前にしか見た事は無い。

「本屋か。たしか新刊が出てたかな」

 啓司の読書は、活字中毒な故だ。

 一人でいる事の多かった啓司は、読書をする事でその孤独な時間をやり過ごしていた。

「そうなんだよ。俺が呼んでるのも新刊出ててさ。帰りに寄ろうかと思ってたんだけど、こうなるともう、早く読みたい」

 どうせ読めるのは、帰る時だろうに。大学で本を開く気も時間も、きっと持てないだろのに。と思いつつも、啓司は承諾した。

 貴巳はあまり本を読まない。が、最近啓司に誘発されたのか、短編などすぐに読める話は読むようになっていた。

「今何読んでるの?」

 車の後部座席に座った湊に、啓司が問いかける。

「うん?ミステリ?だと思う物」

「なんだよ、それは」

 苦笑しながら、啓司はバックミラーで湊を確認する。安定した座り方をしているのを確認してから、車を発進させた。

 貴巳は助手席だ。

 二人の荷物は後部座席の港が座っていない方に、無造作に置いて有る。

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