「東さーん。雨降って来ちゃいましたよー」

 バイトの女の子に声をかけられて、事務所の窓から外を見上げる。事務処理に集中し過ぎて、雨に気付かなかったらしい。

「本が濡れないように、ビニールの袋に入れる様にして下さいね」

「はーい」

 少しだけ茶色に染めた明るい髪を、綺麗に一つに纏めている彼女に、一応の対応の仕方を言う。僕以外にもあと二人社員はいて、今日は全員出勤している。彼女は多分事務所にいる僕に一応の報告として、言いに来ただけだろうから。それほど気にはしないでおく。傘立てなんかは、他の社員が出しているだろう。

 今日は朝から曇り空だったから。そういえば、貴巳は今日は休みの日だったけど。……外に出てなければ良いんだけど。あの子は一人で出かけると、傘を持って行かないから。

 子ども扱いすると怒るくせに、本人はかなり子供っぽいからねぇ。

 事務所にいるのが僕一人なのを良いことに、僕は一人でクスクスと笑みをもらしてしまった。

「東、そろそろ上がれよ」

「あ、はい。整理もう少しで終わるので」

 先輩社員が事務所に入って来た事で、物思いを振り切って書類に向き直る。そうそう難しい仕事でもないし、もう終わりかけだ。

 客が多ければ残業も有るけれど。今日は天気の所為か、客足は少ない。こういう時には、さっさと上がらせてもらえるのは、本当にありがたい。社員で順番に早く上がれたりを管理しているのが、今事務所に入って来た先輩だ。

「今日はもう、客があんま入らないだろうな」

 煙草に火を付けて、一服してから言う先輩に、

「そうですね。どうしても、雨の日は。それ以前に、立地条件も有る気がしますけど」

 と答えておく。

「車でないと来れないってのは、やっぱ難点だな。どうせ車なんだし、雨とか晴れとか関係なさそうだけどな」

「やっぱり、傘が面倒なんじゃないですか?」

「そうか……。屋根ある駐車場なら、また違ってくるか。だがまぁ、そんな予算は下りないだろうな」

「そうですね」

「それ、もう終わりそうだな。俺も今日は早上がり。お前なんかこの後予定有る?」

 僕の手元を見て言う先輩に、僕は少し困った。予定は無いが、早く帰りたいのだ。貴巳は出かけていたとしても、きっともう帰って来ているだろう。貴巳をあまり一人にしておきたくはない。というか、僕が一人にはなりたくないというのも、有るんだけど。

「予定は、無いですが……」

「よし!飲みに行こう」

 僕の言葉を遮って話す先輩に、僕は苦笑して続きを言うことにした。

「無いですが、家で待っている人がいるので、帰ります」

「東、お前恋人いたか?」

 驚いた顔の先輩に、僕は頷いて答えた。

「いますよ」

 と。

「ちくしょう。そうか……恋人いたか」

「先輩?」

 少しだけ、がっかりした様な先輩が不思議で、顔を除き込みながら聞いてみる。

「いや、気にするな。んじゃ、俺は一人寂しく飲みに行くとするかな。今度暇な時は付き合えよ」

 ヒラヒラと手を振って、僕の視線から逃れる様に立ち上がると、先輩は「お先に」と事務所から出て行った。



「それってその先輩、啓司さんの事が好きなんじゃないの?」

 家に帰ると案の定、少しだけ雨に濡れた貴巳がいた。

 このくらいは平気だよという貴巳を、風呂場に追いやって、夕食の準備をする。

 風呂場から出て来た貴巳と、夕食を食べながら先輩の事を話した後に、貴巳が言ったのが先の一言だ。

「それは無いよ」

 苦笑する僕に、貴巳は「絶対そうだって」と言い切る。

「啓司さん綺麗なんだから、ノンケの人が転んじゃっても、仕方ないよね。俺もそうだけど」

「あのね……」

「その人と飲みに行ったりなんかしたら、絶対に駄目だからね」

 僕の反論を許さない貴巳に、僕は黙るしかなかった。

 こんな事で口論なんかしたくないし。実際僕もあれ?とか思ったりしたのも事実だし。

 その話しを貴巳にしたら、きっと職場を変われとか言い出しそうだ。

「啓司さんのシンパって、いたる所にいるんだから」

 少し怒ったように言う貴巳に、僕のシンパ……ねぇ?と考えてしまう。周りが、その他大勢ばかりだったが為に、自分に好意を持ってくれている人も、そうでない人も、全てが一緒だったから。僕自身ではわからなかったりする。

「何か有ったの?」

 何だか怒り方が、僕の話した事以外にも理由が有りそうで。貴巳の心を感じ取ることは出来るから。それは最初から、なんとなーくみたいな、いい加減さでもなく。それでも、何か有った事は、聞いてみないとわからないから。

「大学の、あのサークルの人たちに会ったんだよ。啓司さんと俺の間の人たち。何か集まって飲み会するみたいでさ。もうずっと、啓司さんの事聞いて来るの」

 嫌そうな顔を隠しもせずに、貴巳は言いつのる。

「色々聞かれて、嫌だったの?」

 話すことが、最初から好きではないのだ。貴巳は。

「そうだよ。あの人たちに呼び止められなきゃ、俺は雨に降られずに帰れたのにさ」

 雨に濡れた事も、貴巳のイライラの原因の一つになっているようだ。

「貴巳は本当に雨が嫌いだよね」

「そうだよ。啓司さんは、理由知ってるじゃん」

 ブスくれたまま、貴巳は僕に返答してくる。

「そうだね。でも言ったでしょ?貴巳の雨が有るから、僕の心は乾ききらないでいるんだよ、って」

 ニッコリ笑って僕は貴巳に言う。

「そう、だけど、さ」

 拗ねた態度の貴巳は、僕にとってはどうしても可愛い存在だ。

「そんなに拗ねないで。僕だって、貴巳が一番だよ。明日は二人一緒の休みになったから、ね」

 機嫌を取る様になってしまうのは、仕方ないだろう。

 可愛い貴巳は、笑っている方が可愛いんだから。

「え?嘘。休み取れたのか?」

 体を乗り出して聞いて来る貴巳に「取れたよ」と頷く。途端に貴巳は笑みを浮かべてくれた。

「雨、止んでくれるかなぁ」

 ワクワクした表情のまま、貴巳は窓の外を見る。

 僕は基本的に雨は好きだけれど。それでも休日に雨になってしまえば、どこにも出かけられずに終わってしまいそうだ。それは僕もやっぱり嫌だから、反射的にテレビを付けていた。

「あぁ、ちょうど天気予報だ」

 着けたテレビは天気図を出している。

 二人して、テレビをじっと見てしまっていた。

「雨、止まないんだ」

 残念そうな貴巳の声に、僕はテレビから視線を移した。

「雨でも良い所に行けば良いじゃない」

 行きや帰りは車で。

「例えば?」

 思い付かなかった貴巳が、僕に視線を移して聞いてくれた。

「水族館とか。建物の中で見れる物を、見に行けば良いんだよ」

 あー、なるほど。と頷いてくれた貴巳は、明日が雨だと知った時の、沈んだ顔はもうしていなかった。

 本当に、表情がよく変わるようになったと思う。それはきっと僕も同じ。まぁ僕も貴巳も、二人でいる時限定だけれど。

 貴巳の沈んだ顔は、あまり見たくない。見るなら今みたいに、あーでもないこーでもないと、楽しそうに考えている顔が見たいんだ。

 二人でいるんだから、そんな貴巳を堪能しても良いよね。僕だけの特権だ。

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