夕暮問答

 屯所内に設けられた道場に常葉が足を向けてみれば、丁度袴姿の帯鉄が出て来る所だった。

「ああ、梓、お疲れ」

「将宣か。どうした、仕合うか?」

 額に汗を浮かべながらも平然と言ってのけた帯鉄に思わず苦笑する。

「いや、良いよ。制服のままやるのも据わりが悪いし」

「そうか」

 言いながら、帯鉄は高く結い上げていた髪を解いた。ふわりと重力に従って、真っ直ぐな黒髪が彼女の背に流れていく。窓から差し込む夕日が、朱色の輝きを乗せた。そうすれば、普段のきつい印象が緩み、何処か良家の令嬢めいた雰囲気を漂わせた。しかし、切れ長の目に宿る光は相も変わらず刀のように鋭い。常よりのものだ。彼女がその厳格な態度を崩すことは、一日では片手で数えられる程度しかない。

「しかし、ならば何故ここまで?」

「散歩」

 常葉がそう言うと、分かりやすく帯鉄の眉が寄った。

「さぼりか」

「やることはやってる」

 事実だ。書類の処理に、得物の手入れ、自身の研鑽。今日の内に行うべきことは全て済ませている。

「お前だって、今道場にいたじゃないか」

「隊員に稽古をつけていたんだ」

 頬に掛かる横髪を払いながら、咎めるように帯鉄は目を細めた。

「お前は隊員を放っているものな」

「そういう主義なんだ」

 稽古をつけてもらいたいのなら、自分から言い出せば良い。その胆力もないのなら大人しく、自分で鍛錬を積んでいれば良い。どうせ青龍隊は実力主義。碌に禍者も狩れない実力の者は必要ない。そして、そうした力は自分で手にするものだ。そう、自分やこの帯鉄のように。

「お前は放任が過ぎる」

「お前が甘過ぎるんだよ」

 苛烈と言っても差し支えないだろう青龍隊とは裏腹に、帯鉄の率いる朱雀隊は隊長の眼が行き届いている。時間があればこうして隊長が直々に稽古をつけるし、実力がなくとも意志さえあれば彼女は決して隊員を切り捨てたりはしない。根本的に部隊の方向性が違うのだろう。常葉は考える。個々の力を求める青龍隊と、集団での戦闘に重点を置いた朱雀隊。自分が冷徹だとか、帯鉄が甘いだとかいう問題ではないのだ。

 それは、彼女とて理解しているのだろう。

「これが私のやり方だ」

 一つの動揺もなく、帯鉄は言う。その黒々とした瞳には微塵の揺らぎもなかった。

「お前のやり方も解っているつもりだ。だがな、たまには飴を与えてやっても良いのではないだろうか」

「やっているつもりだけど」

 強ければ様々な面で勝手を許しているし、実力がある者の言い分はきちんと聞き入れている。そも青龍隊斯く在れとしているだけの覚悟は持ち合わせているし、青龍隊がどう在るべきかを体現してきているつもりだ。即ち、何ものにも屈しない揺るがぬ強さを。現に、青龍隊の面々はそれなりに己を慕ってくれている、と思う。

「お前の背を無垢に追う者は、いないだろう。真にお前に並び立つ者も」

「それで? 何か問題があるかい?」

 その帯鉄の発言で、何とはなしに察した。

 確かに、青龍隊の面々に向けられる視線から畏怖が抜け落ちたことはない。

 だが、それが一体何だというのだろうか。

「確かに、青龍隊にはいないかもしれない。でも祓衆にはお前がいるじゃないか。お前は、俺に並び立ってくれるんだろう?」

 そう、自分には彼女がいれば良い。強くしなやかで、常葉将宣のことを良く理解してくれている帯鉄梓がいれば、それで全てが足りる。わざわざ青龍隊の中に見出す必要などありはしない。背を追う役目も、彼女は担ってくれている。

「青龍隊と朱雀隊は二つで一つ。半身のようなものだ。合わさり良く力を発揮出来るのなら、それで問題ないだろう?」

「……お前はまた、そんなことを」

 深い溜息を、帯鉄は吐き出した。しかしそれ以上話を長引かせるつもりはないらしく、頭を振って、歩き出した。

「まあ、今はそれでも良いさ。私はそろそろ失礼させてもらう。湯浴みをしなくてはならないからな」

「そうか。じゃあ、また」

 手を振って彼女を見送る。彼女から何もないのは、何時も通りだから気にすることはない。黒髪を揺らして去って行く帯鉄の背中が見えなくなると、常葉は元来た道を引き返した。

 屯所の廊下は、夕日に赤く照らされていた。


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