雨戯言
雨に打たれながら、彼女は静かにそこに佇んでいた。ざあざあと、雨の音が煩い。
夕暮れの頃だった。
「梓……」
俯き、濡れた黒髪に隠された表情を見ようと、彼は近付き、手を伸ばした。
その手を、彼女は乱暴に叩き落した。ぴりりとした痛みが手の甲を走る。それには構わず、彼はただ、彼女を見ていた。
「一体何が、そうだ、傘を」
「要らない」
傘を差しだそうとした手すらも止めて、彼は息を呑んだ。常は凛と、一つ芯の通ったものである筈の彼女の声。しかし、今、絞り出すように吐き出された声は、擦れてひび割れていた。
「梓、どうしたんだい、そんな」
「
彼の言葉を拒むように、彼女は言葉を紡ぐ。
「もしも私が弱ければ、お前は、どうした?」
「弱ければ……?」
彼は、刹那眼前の彼女のことも忘れて、露骨に眉を寄せた。
「どうして?」
「……どうして?」
「どうしてそんなことを聞くんだい? お前は強いじゃないか」
彼女は強いのだ。彼女は力を持っている。それが現在の彼女だ。もしもの仮定なんて、考えるだけ無駄だし、考えられない。だから彼は、心底不思議そうに首を傾げてみせた。
彼女の昏い瞳が、そんな彼の仕草をじいっと見て、そしてまた伏せられる。
「そう……だな。ああ、そうだ。私は強いよ。そう在ろうとしてきた。他ならぬ、お前の為に」
「嬉しいことを言ってくれるね」
「嬉しい、か。そう、だろうな」
ふっと、低く乾いた笑声を一つ零して、彼女は、顔を上げた。
雨に濡れた白い顔。雨粒が、丸い頬を伝い、落ちる。
彼女の面には、何の感情もなかった。
「なら、今からお前は私を嫌うよ」
「何を、言って」
「将宣」
彼の言葉を遮って、彼女は。
「すまない、お前のことが、好きだ」
くしゃりと、顔を歪めて、そっと、地面に落とすように、告げた。
雨が、ざあざあと降る。
彼女はまた俯くと、くるりと踵を返して走り去っていった。屯所へ、全身をずぶ濡れにして。
彼はただ、動けなかった。
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