第十六話

 山間部を抜けた英悟の本隊が見たのは、五十亀川の流れ、そこにかかる船橋が、投じられた松明によって焼け落ちる様。


 そしてその川向かいに陣する、夏山の星旗。


 それを見た瞬間、英悟は思わず吹き出してしまった。

 知らぬ間に本営を川向かいに移し、物資を移送し、その俵や土嚢を塁壁としている。


 何という弱腰か。及び腰か。

 端緒から勝負を捨ててなければここまで周到な逃げ方が出来ようはずもない。


 なんという浅慮で惰弱な抵抗か。

 あの類の低さ脆さはどうだ。自分たちの技術力に遠く及ばない。

 橋を落として進路を塞げば、戦意と足が鈍るとでも考えたのか。あの程度の水深や流れですくわれるような脚を討竜馬が持っているものか。


「進め進め! 一気呵成に、渡河して突き崩せ!」


 今までは英悟の差配を疑問視していた者どもも、異論を挟むことなく付き従う。

 もはやこの段階にあっては戦果なく退くという選択肢はなく、武人として、騎場の士として渡河の上で相手を蹂躙する自信があった。


 こと、追撃軍の中核を成す汐津ほかの面々にとっては葵口で散々に自分たちを翻弄した怨敵夏山である。その戦意も一入ではあった。


 飛沫をあげて騎兵隊は川へと突入した。

 粗悪な銃器から、ばらばらと散発されるも射程外である。速度を緩めるには値しない。


 再装填の時間的な隙をすり抜け、片目男の張り詰めた面持ちが確かめられるほどになった。

 偉大なる女王に歯向かったというその傲岸不遜な面に軍刀を突き立て、その流血の上に旗を翻す光景を夢想する。そして女王に武功を称賛され、共に寄り添いながら手を取り合って並び立つ未来を確かに視た。


 しかし、意識の浮遊感は肉体のそれへとすり替わった。

 夢想は現実に打ち消された。


 一瞬の隙から目覚めた時、英悟の肉体は横転する最中だった。

 水面に叩きつけられた。起き上がろうとしたが、腿のあたりは倒れた討竜馬に下敷きになっていた。


 後続の軍人たちも同様の状態に陥った。

 いったい、なにが起こった? 自分が空想に在ったその刹那に、なにが。


 水面に顔を押しつけられて、あがく。

 必死に手のつくところを模索する手が、川の底に達した時、水とは別の硬く冷たい感触に行き当たった。


 土砂が混じって濁る水の中に、瓶が石で固定されてあった。

 ご丁寧に均等に。馬脚に嵌るように。


 ――こ、こんな……こんな単純な罠に!?


 嘶きと悲鳴が頭上で交錯している。

 進むにしても退くにしても、指示を出さねば。

 冷静になるように自戒しながら、重しが足にのしかかったままに、必死に顔を水上に出した。

 だが、そうしたことをある意味では英悟は後悔した。


 対岸に、夏山隊が先よりは世代を次に進めた銃を揃えて、引き金を絞っていた。


 〜〜〜


 現有戦力でもって考えられる最大の効果引き出す射角に展開した鉄砲隊が、その弾丸が、トルバと騎手の身体を穿っていく。


 瞬く間に血染めとなった川の流れを目の当たりにし、随伴していたキララマグは思わず

「すごい」

 と、畏と敬を込めて呻いた。


「まさかトルバにこんな対処法が存在するなんて」


 まるで革新的なような物言いをしたキララに、考案者たる片目の青年は不満げだった。


「馬の進撃を罠でもって止めて一斉射撃。こんなもん、騎兵対策としちゃ初歩も初歩、古典も古典。略して……ショホコテだ!」

「は?」

「略して……」

「は?」

「……すまんオレが悪かった。まぁともかく、この場合相手が馬鹿正直過ぎただけだな。しっかしここまでキレイにかかってくれるとはな。お陰でいくつも拵えた次善策がご破算の空回りだ」


 足止めを食らった部隊の中心点。そこに溺れるごとく足掻く少年の姿があった。偵察に出た時に見た。彼こそが敵の首魁、網草英悟だった。その時は若くして将器を感じさせたが、今の彼にはその尊厳の欠片も見受けられない。


「あいつ、今日に至るまでに相当調練を重ねたんだろうさ。最新の兵備を整え、機動戦術を学び、一糸乱れぬ精鋭部隊とやらを練り上げたんだろうさ」


 そんな彼を冷ややかに馬上で見上げながら、星舟は言った。


「だが、網草は三つ思い違いをしている。第一に、調練ってのは打ち止めの長所を伸ばすためにやるんじゃない。弱点を把握し、可能な限り減らすためにやるんだ。第二に、その練度ゆえに他隊と連携が取れていない。合わせる気さえない。だから一つでも予想外の綻びが生まれると、たちまち孤立して脆い」

「もう一点は?」

「教本のごとく、人間同士同等の技術力でしのぎを削ってるわけじゃない。相手は、オレたちだ」


 かつての星舟なれば、賢しらげな嘲笑を浮かべていただろう。だが、今の彼は一笑だにしなかった。これもまた、キララ含めた配下が感じている、微妙な変化だった。


「とうに騎馬による戦闘技術が廃れて久しいから仕方ないとはいえ、結城だのの前時代の史書に、馬の潰し方なんぞいくらでも先例があっただろうに。温故知新、最新の知識がすべて通用しないってわけじゃないが、それを敵に合わせて調理しないからこういう結果を生む」


 そう言い放つ星舟もまた、眼前の敵を見ていないのではないかとキララは批判的な目で見ていた。

 いや少なくとも意固地になって渡河を敢行した相手よりかはマシではあるのだが、新しいものにばかり目を向け旧き者を取りこぼした、かつての己自身を彼に重ねている気がする。


 もっともこれはあくまでキララの所感であって、踏み込んで詮索する気はなかった。そこまで親しみを感じる仲でもない。


「さぁ仕上げだ。一気に仕留めるぞ」


 星舟は右目を持ち上げ、敵の背にそびえる峰を視た。

 その麓にて変化が起こったのは、まさに彼の見積もり通りの時刻だった。

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