第十話

「そいじゃま、手っ取り早く方針をご説明願おうか、先生。完全な無策で我々を恃みとしたわけでもないんだろ?」


 あらためて連隊の駐屯地に戻るや、たちまちの内に兵が集まり始めた。

 頭数が揃ったところで、含みを持たせた丁寧な口調で、グエンギィはリィミィへと促した。

 自分で良いのか、という逡巡や謙遜に時間を割いている余裕はない。極力感情を排したうえで、リィミィは精鋭部隊と万夫不当の女傑たちに挟まれるかたちで直立した。


「現状、件の謀反人たちが領内を出たという報せは受けていません。察するに、敵も我らの動きを警戒し、残留する兵力が分散するのを待っているのでしょう」


 ただおそらく敵の誤算は、その集まる速さと数だろう。

 よもや第一連隊がほぼ全数行動可能になっているなど、考えてもいまい。


「そこで、一部を割いて領内の出入り口を封鎖。残る兵力でもって敵の隠れ家を強襲します」

「その言い方だと、ほぼ敵の所在を把握しているようだな」


 さすがに鋭い。グエンギィは今の説明の中であえて説明しなかった根幹の部分に、ざっくりと切りこんできた。

 対するリィミィは、鷹揚に首肯する。みずからの袖口から、老人たちにも用いたあの短刀を取り出す。


「これは私の考案した特殊な返しがついています。その返しの部分には、ノコギリの歯のような微細な突起があって、一度刺されば抜きにくく、無理に引き抜こうとすれば血管や神経を傷つけ、気をうしなうほどの激痛がはしります。取り出すには、しかるべき場所で切開手術をするほかありません」


 陽光を鈍く照り返すそれをあえて味方の衆目にさらしながら、息を吸い、続ける。


「そして私には、その臭いが


 それはいったいどういう言い回しか。一部の若い人間の兵は顔を同輩たちと見合わせたり、あるいは先輩に目で意図を問うたりしていたが、大半は考えたのは一瞬で、すぐさま納得した。


「……あぁ、あんたの祭具はそういう代物モノか。どうりで、戦場で力を振るわないと思ったよ」

 グエンギィが言った。

「珍しいですわね」

 ジオグゥが珍しく直接口を利いた。

「私が怪力になったり刃を研ぎ澄ましたところで、たかが知れているでしょう」

 そしてリィミィもサラリと返してのけた。


 女でも戦場に立てる者はいる……それを実証するためにその世界に飛び込んだリィミィだったが、それでも己の力量ぐらいはわきまえていなければ、道を踏み外す。


「聞いてのとおりです」


 満を持して、シャロンが進み出た。

 真竜である彼女が一方踏み出すごとに、場の空気の、緊張の密は増していく。


「細かい差配は、あなた方第一連隊に一任します。私も、グエンギィ隊長の指示に従い、夏山星舟救出の一助となればと思っています。これまでの彼の功は計り知れないほどに大きく、その労苦は私たちが知り得ないほどに深いでしょう。これからは、さらに労も功も積み重ねていくことでしょう。ですが、ここに命が絶えるようなことがあれば、それらの今も将来もなかったことになる。……私からもお頼みします。どうか、彼を救ってください」


 そう言って、真竜がはるかに位も力も弱い相手に頭を下げた。

 だが、それは決して侮りを生むことはなく、兵たちに与えられた士気とか義憤とか責任感というものはいやがうえにも高まっていく。


「ちょっと星舟寄り過ぎだけどな」

 頭を垂れて退がったリィミィに、グエンギィが耳打ちした。その視線の先に、苦い顔を作る侍女長の姿があった。


「……それはそうと、礼を言ってませんでした」

「え?」

「ご協力とお口添え、感謝します。グエン隊長」

 その揶揄を聞き流し、リィミィは謝辞を述べる。

 だが、対してグエンギィは不満そうに、というかスネたように目をすがめ、口元をゆがめた。


「それ、わざと言ってんの?」

「は?」

「なんだ、気づいてないのか。そこは策士らしいと認めてもよかったんだけどね」


 何かを言わんとしているのはわかるが、その意図が何なのかわからない。そんなリィミィの素の反応は、かえってグエンギィの落胆を招いたようだった。

 気まずい空気が両者だけの間に流れ、やがて、折れたようにため息交じりに連隊長は言った。


「っていうか、もし許されるなら私だって星舟を見捨ててたよ」

「えぇ……?」

「当たり前でしょ。いくら親友だって言っても、サガラ様は敵に回したくない」


 純粋に彼を案じ、自身の部下へと弁をふるうシャロンの裏で、さらりとグエンギィは言ってのけた。


「でも、お味方いただいた」

「だからホレ、そこがリィミィ先生の悪辣なところさ。もし面と向かって断ったりしてみろ。それで星舟が死ねば目の前のお嬢様は激発するだろうし、サガラ様はサガラ様で素知らぬ顔してその責任を私におっかぶせるだろうさ」

「それは」


 いくらなんでも考えすぎではないのか、と言い切ることのできない難しさが、今日における内外には存在している。


「つまり、この子狸ちゃんが迂闊にも用向きも聞かずあんたを通しちゃって、直談判を許しちゃったのがそもそもの悪手」

「それは申し訳ないと思いますが、尻を鷲掴みにしないで下さい……っ!」


 可能な限り抑えた声量で、出来うるだけの怨嗟を込めて、ポンプゥは抗議した。


 とは言え、とリィミィは思う。

 それでも、無理に断ることもできたはずだ。その無理をあえて通さないところが、グエンギィの懐の深さというか。踏み切らせないところに、星舟のなけなしの人徳があるというか。


 同時に、痛感する。

 自分は、保護されていたのだと。


 いなくなって理解する。

 今日まで。上司を介してではなくグエンギィと直接会話をするまで。


 煮え切らない半端者と内心失望を抱いていたが、実際は自分の知らないところでこんな怪物のような女どもとやり合い、成果をもぎ取ってきたのだろう。

 自分など、その成果の、さらに彼が精査し、漉した純粋な判断材料を座して待っていただけに過ぎないのではないか。


 ――才が、要る。

 強く、噛みしめる。


 リィミィにではない。夏山星舟に、別の智嚢が必要だ。

 所詮自分は、内を治める才でしかない。

 公平に資源や情報を分配し、運用するだけに過ぎない。そしてそれが限界なのだろう。


 だから、星舟の野心がどこに到達するにしても、別の種の参謀が必要となる。

 言うなれば邪智とも呼べるもの。

 他者を出し抜き、蹴落とす才。

 扱いを間違えれば毒ともなりうる劇薬。

 だが、戦うためには必要な智慧。


 だがいったい、そんな逸材など、どこにいると言うのか。

 万が一いるとして、果たしてそれは、誰なのか?

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