第十話
対尾港包囲軍が展開する最東端、
海と砂丘とに挟まれたその街道筋に、そこに張られた陣に、靴音と歌声が轟いた。
儀仗を手に、典雅な身のこなしで舞いながら、村祭りを想起させる音調を口ずさむのは、カミンレイ・ソーリンクル。
艦隊より分かれて進む陸上の部隊の、総司令だ。
いや、名分としてはその一万五千の軍を形成する雄藩から出し合った各代表者の合議によるものだったはずだが、藩王からの直命によってやってきたこの謎の女奏者が瞬く間に実権を得てしまっていた。
当然そこに異が唱えられる……はずだったのだが、最初から不自然なほどに反発は少なかった。
表立って声にした者らも、時に布陣や装備の出来を褒められほだされ、あるいはかつての過失や戦績不振、あるいは露見するはずのない罪状をちらつかされれば、黙らざるをえなかった。
何より、常にその背後に屈強な異国の士を引き連れていられれば、なおのこと。
が、それでも不満はくすぶっている。
たしかにここまで新造の連合軍を滞りなく進めてきた手腕や事前の根回しには目を見張るものがあるが、それと実戦とは話が別だ。このように童のように戯れる女に、生命を預けることなど出来ようか。
「……いにしえの白拍子でもあるまいに、いつまで舞の真似事などなさるおつもりか」
「すでに敵は二吉路先の海沿いの砂丘を手勢二〇〇〇にて抑え、それを中心に平野にぜっと見積もっても一万を展開している。真竜種がおらぬは
事実、みずから突貫してくる勇猛さ、その精強さは遠目にもわかるほどだ。
彼らは高所の利を最大限に利用し、砂丘側の攻め手を寄せ付けない。それどころか、逆に押し返さんとするほどだ。
だがしかし、誘いに乗って丘陵を下ることはしてこない。こしゃくなことに、存外冷静だった。
「よしんば本隊たる我らがここで悠長に足止めを食らい、出遅れるようなことがあれば、それこそ笑い話にさえならんと」
なお言い分をぶつけようとする彼の頭を、覆う影があった。
貴種ながら藩中随一の体躯の持ち主とされる彼を、その影は頭からつかみ上げた。
「悠長なのはキサマだ、島猿」
彼女自身よりはいくらか流暢さに欠ける、だが確かに聞き取れる声で、男は言った。
本邦の者とはやや色の異なる黒髪に、竜とも渡り合えるのではないかという巨躯。
たしかヴェイチェル・ウダアシアという、まるで憶えられそうにない名だったかと思う。年齢など、壮年という以外到底わかりそうにもない、無骨な顔つきだった。
眼前に、もうひとりの異人の将官が立ちはだかった。
白髪、いや銀髪の老人。筋肉こそ背後にいる男には劣るものの、その付き方には無駄というものが感じられない。
剽軽そうな細面にたくわえた顎鬚を撫でながら、身をかがめて周総へと目をすがめてみせた。
こちらはダローガ・ネヴィアとか言った。
「なぁオサムライさんや。前の会議ですでに指示は伝えたであろう。そのうえで、細かい調整は早馬を飛ばしたであろう。それにシンリュウが来ないのも、織り込み済みだ。マグレなんかじゃない。ならば何を案ずる? 何を留まっている?」
さしもの巨人ふたりに挟まれれば、いかな剛な者でも委縮はするだろう。
果たして自分自身がその通りになった周総は、枯れそうになる声を絞り上げた。
「その奇妙な踊りをやめよと申している! ここは戦場だ! さようにクルクルと手を動かされては迷惑千万!」
「あれは、ブヨウではない」
彼の抗議は、ヴェイチェルの低い一喝によって遮られた。
「ありゃ指揮だよ。よく見ろ」
ダローガはそう言ってみずから身体をずらした。
彼の言葉を脳裏に浮かべて改めてカミンレイを視た。
なるほど確かに、でたらめな
それも、遠く聞こえる喚声や砲声に合わせて、その緩急や調子は細かに変化していく。
そうして気心の知れたらしい異国の軍使が、各陣営へと飛ばされていくのだ。
「あぁして、戦場ゼンブの空気、感じてる。均衡を、操作している」
そう言われても、やはり見た目の可憐さも相まって、全体的には歌舞の印象をぬぐえないのだ。それこそ、戦を忘れて魅入ってしまいそうなほどに、キレのある美しさの。
「で、お前さんは何を突っ立ってる?」
「オマエのようなモノを、このクニではデクというのだろう」
「な――」
あまりにも直截的な罵詈に、言葉を詰まらせ、血をのぼらせる。
「周総さまは、私が下がらせました。すでに伊良子隊は三度の攻勢に参加しており、疲労も溜まっていたことですので」
諍いに発展しそうなのを、儀仗を回しながらカミンレイが遮る。
「それよりお前はどうなのですダローガ? 指示、聞こえていましたよね」
「
飄々としたほうの異人は肩をそびやかせ、銃身が剣のように長いライフルをかつぎ、進み出た。
彼女がふたたび『指揮』にもどって間もなく、彼の率いる七〇〇がばかりの兵が砂丘の南側へと踊り込んだ。
剽悍な兵だった。錬度の高く、彼女の意を行動に反映させるまでが異様に速い。
砂丘の背後に回り出ようとする彼ら異国の小隊を止めるべく、敵の後詰が動いた。
――だが……
周総は首を振った。
「あなたは竜たちの力をご存知ない。彼らに比べれば、我々の鍛錬や技量の優劣など児戯にもひとしい。竜を斬れる人間など、見たこともない」
「……竜を斬れる人間、ねぇ」
「は?」
「まぁ何事にも例外はあるものですけど、その考えにはおおむね賛同しますよ。竜は手ごわく、そして速い」
獣竜種で大半が構成されたであろう五〇〇〇の部隊は、縦列を作って追った。
そしてダローガ隊は丘陵を落とすことに拘泥しなかった。接敵する前にあっさりと退いたという報がもたらされる。
「ただ無理に歩調や力で競う必要などないでしょう。あくまで相手が激しい『踊り』を望むのであったとしても、それに合わせて先んじれば良いだけのこと」
縦列になった追撃部隊は、その砂地に足を取られて遅々として進まない。
それでも常人たちのそれより行軍速度がはるかに勝るが、それでもかろうじてダローガ隊が反転するほうが速かった。
散兵にて隘路の東口で待ち構えると、頭を出した獣竜部隊に左右から容赦なく弾丸を浴びせていく。
自分が強敵と明言した相手が、赤子のようにバタバタと倒れていく。
その有様を唖然と見守っていた周総だったが、気が付けば近くにヴェイチェルの姿がなかった。
直後、轟音が背から聞こえてきた。
敵の別動隊か。身をすくませた周総の目にうつったのは、自分たちの側面を通過していく、黒い塊だった。
長い脚、漆黒の毛肌に、白銀の鐙。赤い鬣が、血潮の異臭が色濃い戦風になびく。
鉄蹄が地を踏み抜き揺らす。人を乗せて。
「……馬……!?」
唖然とする彼をよそに、四〇〇〇ばかりの騎馬団は平地に向けて突撃を開始した。
先陣を切るのは、あの黒髪の巨漢であった。彼は鉛色に鈍く光りを放つ、鉞とも槍ともつかぬ奇妙な武器を手に、狂気さえ感じさせる雄叫びをあげた。
それをひとたび薙げば、人であろうと獣竜だろうと、嵐や雷光のごとくに一息に粉砕していく。
馬蹄が黒い煙をあげながら、敵を寸断し、蹂躙していく。
周総が幼いころ軍記や講談で熱をあげ夢想し、かつ現実ではついぞ見ることのかなわなかった光景が、そこにはあった。
「そのまま平地を突破した
儀仗が天へと突き出される。円を描く。小柄な身が独楽のように合わせて回る。
「予備兵力をすべて投入。南の戦線の押し上げ拡張。獣竜を退けたのちには過度な追撃はひかえ、そのまま砂丘を横合いから突いて落とせ」
そのたびに、周囲を取り巻く声や気配の色が移り行く。演じる曲目が変わるがごとく。
「三方より本隊を包囲。鳥竜種は優先して殺せ。今後の戦争における彼らの重要性を、自身が気づくその前に、出来るかぎり数を減らすように」
儀仗が天より下がった。靴音と歌声が止んだ。
そして眼前に残ったのは、長期戦を危惧されていた膠着した戦場ではない。
勝利に沸き立つ味方と、その足下の
――やはり、歌舞ではないのか。
血なまぐさい現場ながら、彼女の部下から否定されながら、どうしても周総はそう結論づけざるをえなかった。
布石を打ち、下積みを重ねたうえでの合理的かつ手際のよい戦略、基本を抑えながらも千変万化の用兵術。そこは認めるしかない。ただそれでも、その際立った精妙さは、本人の俗世ばなれした美貌もあいまって、もはや戦という枠組みを超えていた。
戦場を舞台に、銃器や鉄器を、あるいは人材や兵士たちの動きそのものを、楽器に見立て、それらを余すことなく自身の芸事へと昇華させる。それこそが、カミンレイの戦。
――いや、戦のみならずそれは……
「さてと。それでは進みましょうか。第二楽章を奏でに、対尾港へ」
――というか、口ぶりから察するに、自分は音曲を奏でる者だと言いたげだった。
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