第九話

「馬鹿な!」

「そんなこと、あってはならん!」

「そうだ! 何らかの幻術を施したに違いない」


 敗軍を収めた、事の顛末を公表する報告会に呼ばれた。

 竜軍の反応は、星舟の予想通りの言葉から始まり、予想通り否定の流れで終始した。


 ――つうか、今時幻術って。


 目付けという立場上、呆れて傍観するほかない星舟の前で、これまた予想の範疇の流れになっていく。

 すなわち、無様な敗北者への転落したブラジオ・ガールィエへの責任追及である。


「ブラジオ殿とのあろう御方が、何を愚かなことを……」

「おおかた、敵の破れかぶれの一撃が、打ち所悪かっただけであろう」

「しっかりと現実を見据えられ、確かな報告をなされよ」


 ――現実を見据えてねぇのはお前らだろう。


 現に、偶然や過失で済まされないほど多くの真竜種が、未だ戻ってはきていない。

 彼らとて、薄々は感づいているのだ。だからこそ、頑なにその現実を結果を超えて頭ごなしに否定をしようとしているのだ。


 真竜種を殺せる人間の登場を。

 長く続いた自分たちの蜜月の終了を。


 隻眼の人間は嗤う。

 なんてことはない。それを呑むほどの精神的な受皿が、彼らにはなかったというだけの話だ。


 ブラジオはどうか。星舟は衆目に晒される彼を視た。

 自らの報を信じようとしない幕友たちに、目を見開き、握り拳をわななかせ、明らかに憤りを募らせている。だが、この直情の雄には珍しく、恫喝まがいの反論はしなかった。


 彼とてその天敵の存在は、在り得てはならない、認めてはならないのだろう。


 結論の出ない、不気味な沈黙が続いた。

 ――仕様がねぇ。潮時か。

 出しゃばるのも得にならない汚れ役も、できれば御免被りたいところだったが、逼迫した状況で停滞させるのはまずい。

 聞こえないよう微細な嘆息を漏らし、星舟は立ち上がった。


「実は、自分も偵察に部下を遣っていましてな。その者からも、同様の報告を受けております。その辺りは、直接の言葉を交わしたブラジオ殿もご承知のはず」


 ブラジオが星舟を見返した。彼を囲む視線の一部が、星舟へと移った。


「黙れ夏山!」

「貴様の寄せ集めの雑兵の戯言など、信じられるか!」

「その目と性根と同様、貴様の部下も物事が歪んで見えるようだなっ」


 予想通り。

 あーあーあーあー、と星舟は小さく嘆いた。

 だが個人的な呆れはともかく、全体を強引にでも動かさないことには始まらない。彼は、


「身分も所属も種族も違う者がまったく同一の凶報を持って来た。その理由を、見たものが事実であるという以外、自分には思いつきませんが……ただまぁ、いずれにせよ理外の敵です。迎撃ないし反撃の準備は、急ぎしておいた方が良いでしょう。軍監という立場上、私にできることは報告をそのままサガラ様にお伝えして判断を仰ぐことのみです。この先陣の総大将は、ブラジオ殿でありますれば、向後の方針と編成は、お任せいたします」


 返事はない。

 ただ二三言、星舟への悪態が飛んで来ただけで、あとは彼の言うとおりになった。


 事態の転換によって、急激に膨れ上がった課題。それに頭を痛めながら、星舟は退出しようとした。

 後に残っているのは、鬼の彫像のごとく、最初に立って地点から微動だにしないブラジオのみである。


「……あれは、なんだったのだ」

 その通りすがりぎわ、立ち尽くしている彼から声がかかった。


 否、こちらに向けた問いではなかっただろう。思わず口から出た、そして初めての敗走の道中、その分厚い胸の内で反復していたものであったろう。


「……さぁ、自分は直接見ておりませぬゆえ何とも。それは」


 あまりに悄然とした彼の姿に、数日前までの存在感は見当たらない。星舟は、苛立ちとも焦燥ともとれる感情を覚えた。嗤いを心底から忘れ 、思わず声をかけた。


 燃石のごときその目に、わずかに輝きがやどり、星舟へと向けられた。


「では、人とはなんだ?」


 投げかけられた問いに、隻眼の人間は答えることができなかった。


〜〜〜


 月が出ていた。

 洋上にて遊ぶがごとき停滞を見せていた艦隊があった。


 旗艦の名を、鯨風げいふう

 現藩王が海外渡航中に在って、前藩王の指示により外国に発注していた新型艦であった。


 通常砲十門、施錠砲十二門、計二十二門の備砲を持つ鉄張りの木造鑑であり、巨魚くじらの名を持つに相応しい様相である。さながら、海に浮上した城塞といったところか。


 藩王直属艦隊の総司令、日ノ子ひのこ開悦かいえつは最終調整を完了したとの報せに、軍帽を仰いで胸を撫で下ろした。


「このまま行けば朝には敵さんの背を衝けそうです。にしても予定と寸分違わんとは、あの音楽家の姐さん、恐ろしいヒトですな」

「ここが大一番の見せどころだからな。入念に入念を重ねたのであろうよ。そもそも、これの生みの親は、あの女の父だ。『弟』の無様は見せられまい」


 だが、今回は操艦こそすれ、洋上における大部分の方針は同乗している別の人間が出すことになっていた。今、隣に並び立ち、明高自身はその人物にへりくだる形となっていた。

 ましてそれが女ともなれば少々の不満は残るが、相手は上客も上客だし、自分が出張りたい気持ちも理解できる。一回り年下の小娘に腹を立てるわけにもいかないから、あえてここは自分が大人になって飲み下すしかあるまい。


 その彼女は、この船の生まれた国でこしらえたという軍服をぴっちりとまとい、外套を肩から打ちかけ、潮を孕ん夜風でなびかせた。


 陣太刀で甲板を叩いて屹立すれば、なるほど風采のあがらない中年の小男よりも、よほど海の覇者だの女王だのと呼ぶに相応しい。


「さぁ、一狩り行こうかッ」


 人の王の号令一下、潮流とともに、対尾港を主軸とした大局は、大きく転じようとしていた。

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