第七話

 汐津藩家老であり、侵攻軍の一司令であった令料寺れいりょうじ長範ながのりは、その夜自軍を率いてひそかに対尾港を出た。


 高速船に乗り込んだ彼らは敵船団を振り切り、潮流に従って西進、間道を抑えている竜軍の南方へと出た。


「荷は捨てよ。船もつながず流せば良い。生きて帰ることを想うな」

 上陸するや海岸添いに軍を進ませ、松林の陰に布陣している竜たちの背後に出た。

 吹き流しの旗が夜風に流れ、無数の尾を闇に流していた。


 なびく旗印を遠目で睨みながら、彼らは最低限の灯りをたよりに、自身の銃に装薬や、油で濡らした布に鉛玉を込めたり、それらを込矢で突いたり、準備をととのえていく。


「大丈夫でしょうか。連中、鼻がききます。もしやこの夜襲が露見しているのやも」

 武器の整備をしながら、懸念を示す部下に、令料寺長範は首を振った。笑みも浮かべていた。

「こちらが風下だ。臭いで気付かれることはあるまい。……そもそもすでに割れているようなれば、すでに我らの命はないであろうよ」

 そう剛毅さを見せる壮年の家老の頬には、不自然な力な加わった。声もかすかに震えていた。

 だがあのまま港に籠っていても、陥落は時間の問題であったであろう。そのまま犬死するならばまだ良い。だが、落とされた先には藩の政庁と、そこで戦況の推移を見守っているだろう主君、長砂ながすな元観もとみの身がある。到底座していられるような状況ではない。


 ――忌々しいが、『あの者』の策に乗るしかあるまい。


 その決意をあらたに、彼ら必死の銃士隊は、樹木や土地の高低を活かし死角を縫うようにして回り込む。射程の有効範囲すれすれのところまで接近した彼らは、身を強張らせながらも懸命に呼吸を整え、押し殺し、自身の胆力を余さずふるい、引き金に指をかけた。


「…………ッてぇ!」


 長範の号令一下、前装式の施条銃が火を噴いた。

 間の空を埋め尽くすほどの弾丸が、野営地を襲う。

 そこに寝そべっていたであろう兵士や、そこに貼られた陣屋陣幕の類を貫く。


 その轟きはそのまま衝撃となって、射手たち自身の臓腑を熱く震えさせる。恐怖を、頭の中から打ち消し、奮い立たせてくれる。


「つづいて第二射、放て!」


 弾を撃ち尽くすのに合わせ、長範は新たな辞令をくだす。

 陣太鼓の連打となって浸透していく指示に従い、装填手たちが新たに先込めした銃を選りすぐりの名射手たちに手渡していく。

 撃つ。込める。その命令と実行の反復は、彼らが携行していた弾を打ち尽くすまで行われた。


 もうもうと、白い煙が自陣を埋めていた。

 自分たちですら目と耳と鼻とをふさがれるような世界のなかで、彼らはその総攻撃の結果を見守った。


「……やったか?」

 そこに立ち上がる者はいない。通常の人や獣、いや生物であれば、そのはず。そうあるべきなのだ。


 薄らいでゆく煙幕。その中に、長範は影を認めた。噛んだ奥歯が、ギッと軋みをあげる。


 立っている影はひとつふたつだけではない。壮絶なまでの銃撃のあとにも関わらず。


 松の樹上や陣の上に、獣を司るという竜がのぼっている。

 鳥を司る竜が、中空に在る。

 そしてその主たる真なる竜は、分厚い『鱗』をまとって地上に整列していた。さながら、その一匹一匹が、小型の城塁であるかのように。

 彼らを射貫けなかった弾丸が、その足下に散らばっていた。

 夜闇においても煌々ときらめくのは、色とりどりの双眸。それらが視線だけで焼き殺すかのような烈しさで、一斉に視認していないはずの自分たちを見返していた。


「バケモノめ……ッ」


 漏れ聞こえれば士気に関わるのは承知しているが、長範はそう呻かざるをえなかった。


 だが彼は、その至上の怪物たちの背の向こうで、篝火が近づいていたのを見つけたのだった。


〜〜〜


 荒涼とした潮風が、塊となって陣屋の隙間から吹き込んでくる。それに当てられる形で、星舟は醒めた。


 その塊は、人の形で枕元に立っていた。飛び起きるや、撃鉄を起こした銃をそこへと突きつける。


 だが、訪れていたのはなじみの深い、ふてぶてしい面構えの、偵察に遣っていた部下だった。


「脅かすな、経堂」


 その顔つきのままに第二連隊屈指の銃撃手は、酒を飲んでいた。

 自分がひそかに取り寄せた、秘蔵の逸品を。

「いい酒ですね」


 咎める間もなく彼は手酌で二敗目を杯へと汲み、「うん、いい酒だ」と口にする。

 文句のひとつも言いたくなったが、彼の帯びた、捨て鉢気味で荒れた雰囲気と、どことなく非難めいた独語の響きが、星舟をためらわせた。

 むしろ、何かを聞きたがれたがって、この男はあえて反骨の姿勢を見せているのではないかと直感した。


「何があった? ……いや、何を見た?」


 その男の変調に、星舟は直截に切り込んだ。

 杯を干して棚の上に置いた経堂は、酒気をかすかに帯びた呼気で、淡々と告げた。


「二日前、令料寺長範が一隊を率いて港を出た。で、ブラジオ殿の隊に夜襲を仕掛けました」

「あぁ、あれがそうなのか。てっきり要人を乗せて本国へと逃げ帰ったのかと思ったが」


 それがここまで自軍を誘引せしめた敵の切り札……とは思いがたい。

 戦局を打開せしめるどころか、一矢報いられるかどうかさえも定かではない危険な賭けであり、万一成功しても旨みは少ない。せいぜい包囲の一角が弱まる程度だ。


「が、結局ブラジオ勢に大した打撃は与えられなかった」

「だろうな」


 予想通りの顛末に、星舟は納得を示した。

 だが、それならば何故その知れ切った結果に、この肝の太い奇人が動揺しているのか。そのことを訝しんでいると、さらに声がかぶせられた。


「……問題はその後。ブラジオ殿たちがその奇襲部隊に気を取られている間に、七尾藩が出撃した。ひそかに、山をくだった彼らは、まっすぐにその背を突きました」

「ついに動いたか。で?」


 経堂はふと視線をそらした。

 棚に置いた杯をふたたび手に取ろうとして、やめた。ただもう片方の手には、徳利を抱いたままにしていた。


「……ブラジオ勢およびその友軍に、被害が出た」

「はっ……ハハ」


 星舟は笑った。心の奥底から突き出た衝動のままに、笑った。

 あの何者にも譲らぬ、劣らぬという気構えの男が、そしてその同種の生き物たちが、泥を舐めた。そのことを祝わずして、何を寿ぐ? 酒が経堂の手になければ、


「まず、獣竜の部隊長であるファンガドンが討たれた。ついで、真竜種のモルンゴルスも」

「真竜種にまで被害が出たのか? うっかり『鱗』を解いたとこでも狙撃されたか? なんにせよこりゃ相当の痛手だな。今後東方領内のヤツらの発言力にも、影響が出るぞ」


 と、星舟は興奮で声を弾ませた。

 だが、対して経堂の表情は、沈鬱なままだった。

 彼とて、熱心な竜信奉者というわけでもなかろうに、うなだれたまま、ボソボソと報告をつづけた。

「同じく真竜種、アーグドレム・アーカム戦死」



 え、とかわいた声が星舟の吊り上がった口端から漏れる。


「同じく真竜種首長、テレックス・ドラン討死。その子、参陣していた親類縁者も同じ。フルディングス兄弟も死亡」

「待て」

「他、南方梅香園ばいこうえんのギガナーブラ勢も、当主を死なせて敗走。ブラジオ殿は友軍をふくめて四割近い損害を出して後退。今、敵の追撃を受けてるからさらに被害は倍に増えるかも」

「待て、待て! 待てッ」


 星舟の目元を口のあたりから余裕の笑みが消えた。

 気が付けば千里を走ったかのように呼吸は乱れ、動悸が抑えられずにいる。


「なんだそりゃ……なんなんだそれ!? それじゃ、まるで」

「アンタほど聡い人なら、そこから先は言わんでもわかるでしょうよ」


 ずいと経堂の顔が間近に寄る。

 酔いもまざって血走った眼に気圧されるようにして、星舟は後退して壁に手をついた。そしてそんな彼の反応などまるで知ったことじゃないという風に、経堂は無慈悲に真実を告げたのだった。




「真竜種を真っ向から殺せる人間が、現れた」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る