第九話
「くそっ!」
事を、仕損じた。
そう判断するや、下男に扮していた男たちはその羽織を脱ぎ捨てて逃走した。
「逃がすな! 追えッ!」
グルルガンに助け起こされながら、サガラが甲高く声をあげた。
この世でもっとも嫌いな男の命になど従いたくはなかったが、星舟は誰よりも速く動いた。
混乱する会場で、出口めがけて向かってくる五人組。その中心かつ先頭に立っていた年長者の男めがけ、ホルスターから抜いた拳銃を定め、引き金をしぼった。
背を雷管で叩かれて打ち出された小粒な弾丸が、男のヒザを撃ち抜いた。
悲鳴をあげて転がった彼を、リィミィが投げた縄の輪が捕らえて縛り上げる。
端からそれて逃げようとした一名を、ジオグゥの膝蹴りが襲った。
精神的にあまり気味が良いとは言えない音とともに、哀れな若者は地面に昏倒した。
残る三人は、眼を血走らせながら懐から直刃の短刀を抜き放ち、振りかざしながら突っ込んでくる。
星舟が足下に数発の威嚇射撃を放つが、動揺する余裕さえないのか、ものともせず彼らふたりを突っ切った。
だが、星舟にしてもここで数で勝る相手と斬り結ぶ気は最初からない。すでに逃走経路を想定し、伏兵は配置してある。
――せっかく拾った若い命。ふたたび捨てさせるのは哀れなことだ。
……などという半端な慈悲など、もとよりこの隻眼の将にはない。
「訳知り顔と予備の捕虜は確保した。あとは全員殺して良い」
銃身を上に折り、弾倉を取り換えながら、彼は酷薄に嗤う。
何事かと入り乱れる使用人たちをかきわけ、あるいは刃で恫喝して退かせながら、渡り廊下を抜けようとする。
だが右手、開けっ放しになっている窓から、ふたつの影が飛び込んできた。
翼をかたどった光の粒子を拡げながら、飛来した彼ら……星舟麾下の鳥竜種姉弟は、逃れようとする男たちの横合いを襲った。
クララボンが靴底で逃げようとする一名の肺腑をえぐる。
身動きがとれなくなった彼の首筋を、腰から引き抜いた匕首で切り払った。
引いた血の糸が白い壁に真一文字をえがく。
キララマグはつまずきながら、逃れようとする斬敵の前に立った。
体勢を立て直している間に、ひとりを逃した。
「しまった!」
と、彼女は目で追いながら、もうひとりの刃の握り手をそのままつかんでひねり上げた。苦悶の表情でうめくその若者の足を払い、そのまま背に負って投げた。
「隊長すみません! ひとり逃しました!」
「相変わらず、姉御は飛ぶのヘタだねぇ」
「うるさいド近眼」
「遊ぶな! ……いや、ご苦労。あとはオレが追う!」
姉弟の肩を一度ずつ叩き、星舟は単騎で駆け出した。
遠のく刺客の背は廊下の角を折れて姿を消した。星舟は使用人たちの左手につらなる私室を素通りし、足を速めた。
装填しなおした拳銃を先に角の先へ突きつけると、かるく悲鳴があがった。
それから拳銃を構えたままに自身の身体も角へ入れた。
だが、拳銃相手におどろきの声をあげたのは、襲撃犯ではなかった。
小柄な獣竜の少年、シェントゥだった。
「お前か」
ひとまず緊張を解いて拳銃をホルスターへとしまう。
腰を抜かしかけていた少年の背に手を差し入れ、「すまなかった」と詫びる。
「いえ……あの……こっちこそ、ごめんなさい」
赤くなり、うつむきながら身を硬くした少年に、改めて問う。
「誰かこっちに逃げてこなかったか?」
と。
シェントゥはそっと両手で星舟を押し返しながら、首を振った。
「おれ、こっちから来ましたけど、誰も見てません。でも」
「でも?」
「臭いはします。……する、気がします」
そうか、と星舟は相槌を打った。
本人には自信がないようだが、星舟は、敵の侵入を察知し、味方の位置を割り出したこの新兵の嗅覚を、等身大に評価している。
言い直しはしたが、この気弱な斥候が断言しかけたのであれば、まだ近くに、確実に、奴はいる。
「…………」
星舟は、右の窓にちらりと目を向けた。
「死ねやぁッ人類の裏切者!」
刃を前倒しに、男は突っ込んできた。左手の部屋からドアをけ破り、左側の視力を失った男にとって完全な死角から。
シェントゥが隊長と鋭く呼ばわる。
……そして星舟は、彼の姿が映り込んだ窓越しに、それを視認した。
細州ごしらえの鞘からはしった白刃が踊る。
旋回させた軌道上にあった、男の上腕を刎ね飛ばした。
耳障りな断末魔が、爆風以上に耳障りだった。
ただ、もう一度この絶叫を聞くことはない。せいぜい騒ぐだけ騒げ、と心の中で許容する。
「相手の死角を突こうなんてときはな、そこが自分の弱点だってことを相手も把握してるってことを忘れるなよ」
今日、誰ぞに言ったことのないようなことを嘲笑交じりに改めて伝え、せせら笑いながら星舟はニの太刀を振りかぶった。
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