第四話

 帝都の学問所は、十万冊の蔵書があるという竜の国では最大規模の学府だった。

 実際に数えたわけではなかったが、光龍四十年。星舟と名を与えられた隻眼の少年もまた、そこにいた。


 といっても、正式な学生ではなく、あくまで留学生兼人質として派遣されていたシャロン・トゥーチの付き人としてであり、当然十万余の書物には触れることさえかなわなかった。


 本来であれば、だ。

 だからみずからが仕える令嬢が借りた本や教材を、その目を盗んで宿舎から持ち出して、裏庭や階段の隅で夜毎に読んだ。


 可燃性の石を取り付けたランプにともし、自身や本とともに布で覆い隠しながら、右目を凝らしてかじりついた。


 ……ある夜、裏庭の草むらで読んだのは、竜と人の興亡についてであった。


 ~~~


 百年近く前、この大地を二種類の知的生物が支配していた。

 それが竜と人であった。

 竜が三、人が七割を占め、それぞれ西と東とに棲み分けながら、長い間不干渉でいたのだった。

 

 それ以前の記録はとぼしい。

 そういう盟約が存在していたのか、はたまた暗黙の了解であったのかはしれない。

もちろん、平和的な交流や技術の提供などはあったようだ。竜の『牙』や『鱗』を模したものが人間で言うところの刀剣や甲冑である。

 もっとも、人間たちは自分たちの派生物こそが竜であり、自分たちこそがその起源だと主張している。


 だが、そうした約定は、人の竜への畏敬とともに薄れていった。

 それまで群雄割拠の様相であり、人間同士で争っていた彼らだったが、結城ゆうき家なる武家のうち、真次まさつぐなる傑物がわずか十八歳にしてその領内を平定。

 十万を超える大軍。当時最新鋭の装備。若き初代藩王は考えた。


「これがあれば、竜でさえも屠ることができるのではないか」


 後世からの目ではあるが、野心旺盛な彼が竜たちの豊富な水や鉱山資源に目を向けることは、自明の理であった。


 彼は長征軍を編成した。

 当時無双の武をほこったとされる弓手、井栗谷いぐりや武室ぶしつ。軽妙果敢な機動戦でもって真次の片腕として働いた己館みたて風ノ助かざのすけ。あざやかな外交手段で戦乱の世をくぐり抜け、鬼謀でもって真次の覇を支えた盟友葛城くずしろ高明たかあきら

 その他彼らとしのぎを削り、あるいはその高い志に感銘を受けた英傑たちが、その挙に参じた。


 彼らは神速でもってまず獣竜種たちの村や関を奪取。彼らを追い立て、殲滅しながらそこに人間の民を入れた。

 そうして悠々勝利を重ねながら竜たちの城に向かった彼らに、包囲されるまで、その長たる真竜種たちは穏健な対応を見せていた。

 もし兵を退くのであれば、我らも貴君らを許す、と。

 だが、それを彼らは自分たちに恐れをなしたと見た。使者であった獣竜を斬り、その首を答えとして送り返した。

 得意の絶頂にあった結城真次は、こう宣言したと言う。


「藩王というにはまだぬるい。僕こそが、人竜王、結城真次だ」


 ……それが、竜たちの最後通牒と知らず。

 自分たちの指先が、すでに彼らの逆鱗を触れていたともしらず。


 使者を斬った翌朝、竜たちが城から討って出た。それを待ち望んでいた結城軍十五万は、高明の采配による遊兵を作らぬ鮮やかな陣立てに変化しつつ、それを取り囲む。

 井栗谷、己館の部隊が戦法として左右から挟み込み、それぞれの剛弓利刀を手に提げて、勇ましく突っ込んだ。




 負けた。




 十数万人の軍勢は、異形の外殻にその身を包んだ竜たちに、散々に打ち破られた。


 真っ先に突撃を仕掛けた井栗谷、己館は真っ向から頭を叩き割られてさっさと死んで、混乱する兵たちが後続を押しのけて逃げ惑った。


それを鼓舞する立場にあった結城真次は、味方に押し寄せられてもみ合いとなり、首の骨を踏み折られて、美貌をほこった顔は踏み潰され、カエルのような醜面となって圧死した。


 先鋒どころか総大将まで喪った葛城高明は、わめきながら逃げ惑ったあげくに首を斬られた。

 それから先のことは、あえて語るまでもない。

 いかなる大軍も、装備も軍略も人材も。

 本気で怒った竜たちの前ではまったくの無意味だった。


 竜に破れた人は辛うじて結城家の一門から二代目を擁立した。

 かと言って、国内の事情から先代の掲げた竜打倒の看板も下ろすこともできずにいる。

 

 その戦略戦法は消極的なものになり、反攻と報復を名目に進出してくる竜軍に出血を強いつつ、自身はその間に竜が奪った土地を奪回する。


 そんなことを繰り返し今日に至る。


 ~~~


 この節まで呼んだ瞬間、星舟の側頭部に鈍い痛みがはしった。

気がつけば身体が横倒しになり、読んでいた資料は、『リィミィ』という編者の名をさらしながら地面に散乱した。


 自分が足蹴にされたのだと理解したのは、地面の感触が頰に当たった時だった。


「これはまた、珍しいものを見たな。ドブネズミが生意気にも本なんか見てるよ」


 自分を蹴った相手は、自分と同じく闇夜に溶け込む暗い髪色をしていた。

 だが、その燃えるような双眸は人のものではなく、残忍な光をたたえて少年を見下ろしていた。


 先に監督生として入学していたその青年こそ、東方領主アルジュナ・トゥーチが嫡男、若き日のサガラ・トゥーチだった。


 彼は起き上がろうとする星舟の前髪を引っ掴むと、そのまま宿舎の塀へと叩きつけた。

 星舟は義眼が割れていないか。まずそれを恐れた。それほどに、サガラの暴力には容赦がなかった。

 そのまま彼は、足下で燃えるランプを拾い上げると、少年の頰へと押し当てた。

 残る右眼さえも焼くかのような光と熱に、星舟は苦悶の声をあげた。


「こんなとこで火なんてつけるんじゃないよ。燃え移ったらどうするんだ? そんなことも理解できないような低脳がな、生意気にも読書なんてする資格、あると思うか?」


 肉体的に、精神的に彼を追い詰めながら、サガラは星舟を地面に引きずり倒した。


「こういう馬鹿は、ちゃんと楯突かないようしつけておかなきゃ、な!」


 無防備にさらされた腹部に、強烈な蹴りが一発見舞われた。

 呼吸さえ忘れるほどの衝撃が、星舟を襲った。

 逃れようとする彼の足を押さえつけたまま、二度、三度と立て続けに蹴たぐられる。


 そしてそれは、星舟が動かなくなるまで、執拗に続けられた。

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