第三話

「警備に抜かりはないか。館の内部だけじゃなく、外や搬入物にも気を配れ」


 あいさつも終わり、宴もたけなわという頃合い。人の輪からも竜の群れからも外れたところに、数人の男女がいた。

 彼ら、第二連隊より選抜した兵に星舟はあれこれと指示を与えていた。


 俺たちも飲みたい、客ばかりずるい。

 そう文句の声があがるのに対し、


「オレが一番りたい」


 と返した。一同の愚痴が、笑いに変わった。


「まぁこれが終わったら奢ってやる。好きなもん頼んでいいぞ!」


 そう豪語すれば、笑いがさらに歓声と雄叫びに変わった。

 だが、それが良くなかった。いくつもの重なり合った声によって、背後から忍び寄る足音に気がつかなかった。

 声がひととおり止んで星舟が違和感をおぼえたときには、気配は彼の死角、左後ろの至近に立っていた。

「ッ!?」

 あわてて振り向いたその顔に、


 ぷに


 と、指が頬に突き刺さる。

 あどけない笑みが、後ろにはあった。


「隙だらけー」


 えへーと屈託なく歯を見せて、金髪の女竜は言った。

 戦場ではいろいろと障りになるからと髪を束ねていたが、下したままというのが本来の彼女ごのみらしい。

 白い肩を露出させたナイトドレスが似合う二十歳過ぎの立派な『成竜おとな』だというのに、その笑みのかたちも、性分も、出会ったころとなにも変わらない。


 ――だからこそ、調子が狂う。

 東方領主の長女、シャロン・トゥーチの傍近くにいると。


 星舟は苦さを、繕い笑顔で覆い包んだ。

 それとなく、彼女の手を自分の頬から外し、頭を下げた。


「……これはこれは姫。こたびの初陣と勝利、おめでとうございます」

「うん。セイちゃんのおかげでね」


 公然とその愛称で呼ぶな、と内心で毒づきつつ

「とんでもございません。皆さまもおっしゃっていたように、すべては大将たる領姫様の功でございます」

 と褒めた。


 やや誇張は入っているが、その賛辞は本音だった。

 二十歳という遅まきの初陣ながら、聞くべきは聞き、決めるべきはおのれで決定し、適材適所、均衡をよく保ち部隊を運用した。まさしく、大将としての資質は十分だと感じさせる采配だった。

 そしてそれは、戦局だけの話ではなく、政治的な均衡においても打倒なものだった。出陣したものほとんどが戦功を立てた反面、際立って活躍したものがいないのが、その証左だろう。

 もっとも、そこまで踏み込んだ思考ではなく

「功を立てられない方々がかわいそうだ」

 という程度の温情なのかもしれないが。


 ――おかげで本隊付のオレの活躍の場がなくなって、多少強引なやり方で功を挙げるはめになった。


 それでも、聞く耳を持たない無能であるよりかはよほど良い。


「……隊長、そろそろ任に戻ります。何かあればお申し付けください」

 リィミィが体裁をととのえた口調で言った。

「あぁ、悪かった」

 と星舟がその気遣いに詫びると、一礼とともに連隊を引き連れて彼女は離れていった。


 一同が去った後には、気まずい沈黙が残った。

 いや、そう感じているのは星舟のみで、目の前の娘はそうした距離感や壁というものを感じている気配はなかった。


「もう、十年かぁ」


 感慨深げに彼女は言った。


 シャロンがそうやって無邪気な笑みを見せるたび、十年前の光景が頭をよぎる。

 食物をほどこす竜の少女。それに飛びつきむさぼる人間の少年。

 自分にとっては切り捨てたい、忌まわしい恥部。

 何者でもなく、何も持たなかったみじめな野良犬だった頃。


 ほかの誰かに同じ話題を切り出されて嗤われようと、かんたんに流すことができるというのに。


「あのころから、セイちゃんはいろいろ頑張って来たよね。何かご褒美あげなきゃだよね。何がいい?」

「……さすれば姫様、ひとつお願いがございます」

「ん? なに?」

「今後、このようなおふるまいは公的な場ではお控えくださいませ」


 え、とひきつった声で聞き返す姫に、星舟はうやうやしく臣下の礼をとって、

「ほかの方々の目も、ございます」

 そう、付け足した。


 これは事実だった。

 彼女の性格を承知している者も多いが、あきらかに他者と違う態度に周囲の客からは不審のまなざしが向けられていた。

 そしてそれは、そのまま星舟への悪感情へと変化する。「姫に付け入って甘言を弄する佞臣」などといういわれなき風評には我慢がならない。

 媚びるにしても、立身するにしても……そして奪うにしても、それはあくまで己自身の知識、才覚、器量でもってのことだ。


 それに、シャロンにしても、いつかは婿をとる身だ。

 こうした振る舞いは、その支障となるだろうに。


 星舟の念がどこまで通じていたかは知れない。

 だが、居住まいをただして笑顔を引き締めた彼女は、領主の娘の気品をもってうなずいて見せた。


「無礼を働きましたね、夏山殿。貴殿の忠告を容れ、今後は気をつけることとします。……ほかに、何か不足なものはありますか?」


 その彼女の姿を受け入れつつ、星舟は首を振った。


「ありがたいお申し出ですが、すでに論功を終えたことですし、ご無用に願います」


 では、ときびすを返した瞬間、


「公的な場でなければ、良いのですね?」


 と、姫は問うた。

 星舟は顔の右半分をシャロンに向けた。

「ね?」

 いや、それは彼女の中で確定済みの、念押しだった。

 星舟はぎしぎしと笑みを強張らせつつ、明確な返答は避けた。


 ~~~


 ――そうだ、お情けでほどこしてもらうモンなんて、もう何もねぇ。

 シャロンから離れたあと、星舟はおのれのうちにある願望について振り返ってみた。


 ――土地、家柄、兵力、人材。必要な種はすでに手に入れた。そこからどう花を咲かすかはオレの才腕しだいだ。


 そしていつかは、手に入れる。

 十年前にあの日見たこのまばゆさも、星天もすべて。


 ――だが、トゥーチ家の面々は厄介だ。

 才があれば種族の別なく登用し、また彼ら自身の政治的軍事的手腕は、ただ力に恃む他の竜よりも、いや人間たちよりもはるかに抜きんでている。

 月並みな栄達や生活を望むのであれば、これほど絶好な環境もあるまい。

 だが、それを飛び超えるとなるとすれば、話は別だ。


 ――偏見で凝り固まったような駄竜ってのもイヤだが、賢すぎるのも、問題だ。

 とりわけ、アルジュナよりも、シャロンよりも面倒なのが……


「ご嫡男、サガラ・トゥーチ様、帝都よりお着きでございます!」


 扉口からやや緊張がはしった声があがったのは、そんな折だった。

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