第七章 池田菊
第二十八話 御城将棋
「なんですって、天野宗歩が弟子を取ったと? 宗桂殿! これはまことの話でございますか!?」
「……」
大橋本家の屋敷の奥座敷——
分家の大橋宗与に詰め寄られながらも、大橋宗桂がさきほどから無言を貫いていた。
御城将棋の組合わせを協議するために本家の屋敷に集まっていた大橋宗与と伊藤宗看に、大橋宗桂が一通の文を見せたのはついさきほどのことだった。
その文は、今朝届いたばかりの吉田市舗からの報告書だった。
文の中には「大坂で天野宗歩が将棋家に無断で弟子をとった」と伝えていた。
「ふん! やはり腹に一物もっておったか。あの若造め」
と、伊藤宗看がイラついたように扇子を弄んだ。
文にはさらに、宗歩が上方の有力者を後ろ立てに、大坂の在野棋士を掌握するべく計画を企てているとも書き連ねられていた。
「ええい、何を考えておるのだ。これは将棋家に対する立派な反乱ぞ、宗桂殿!」
「……」
弟子の不始末は師匠の責任とでも言いたげな大橋宗与に対して、大橋宗桂は一矢も乱れる様子がない。というかたぶん聞いてない。
「まぁよいわ。あの者が大坂に留まると言い出したときから、これは何かあるなとは思っておった。どうせ、小林東伯齋あたりにたぶらかされおったのだろう」
と、伊藤宗看がさもありなんという素振りを見せると、大橋宗与が苦虫を嚙み潰したような顔で伊藤宗看を睨みつけた。
(嘘つけ! あなたは『宗歩殿は立派だな、ははは』と手放しで褒めておったではないか!)
調子の良い伊藤宗看と馬耳東風の大橋宗桂に、大橋宗与は痺れを切らしたかのように、
「宗桂殿、宗看殿、いずれにせよあやつを一度江戸へ呼び戻して問い詰めねばなりませぬ。ええい、忌々しい!」
大橋宗与からの口撃をさらりと聞き流しながら大橋宗桂は、とうとう来るべきときがやって来たことを覚悟した。
幼い宗歩を探し出して無理やり弟子に取り、
(父上、ようやくここまできましたぞ――)
大橋宗桂は、障子の隙間からはるか西の方角を覗き見た。
毎年十一月十七日、将棋家は江戸城御黒書院において将軍御前対局を行う。
世に言う「
この御城将棋、当初は実際に将軍御前で対局していたものの、あまりにも時間がかかりすぎるという理由で、今では事前に対局を済ませその結果だけを披露する方法へと変更されていた。
多忙な老中たちが夜遅くまで対局に付き合わされるのを嫌がったのだろう。
対局の組合わせは、二ケ月前に将棋家が起案して寺社奉行が決定する。
今日はその案を協議するために、三家の当主とその嫡男が集まっていた。
「今年の御城将棋には、分家の
大橋宗桂が淡々とあらかじめ用意された書状を読み上げる。
すでに他家の当主とも調整済みということだ。
「宗珉よ。精一杯励むのじゃぞ」
「はい」
大橋宗与の後ろに控えていた凛々しい顔つきの青年が、威勢よく返事をした。
今年で十八となるこの若武者は、大橋宗与の嫡男でその名を大橋宗珉といった。
大橋宗珉は少年期においては棋才を十分に発揮できず、他の門弟たちの中に埋没するしかなかった。
「鬼宗英」の血を引く宗珉にしても忸怩たる思いをし続けたが、決して諦めずに粘り強くこれまで精進をし続けた。
年を重ねるにつれて、宗珉の棋才も徐々に際立たち始め、そのたぐいまれな才能が一挙に開花した。
今やその棋力は、天野宗歩が去ったこの江戸において、「宗珉に勝る者なし」と噂されるほどである。
父親の大橋宗与も、宗珉の突然の才能の開花に狂喜乱舞し、息子を次期名人とするべく凝りもせず布石を打ち続けている。
「まったく、宗与殿が羨ましいな。儂の倅は宗珉殿と比べ頼りにならぬわ。」
伊藤宗看がそうぼやきながら、くくくと不敵に笑って、手に持った扇子で皺くちゃの自分の顔をあおいだ。その扇子には「荒指し」と揮毫されている。
名人に自分の名を呼ばれ水を向けられた宗珉は、「滅相もございません」と畳に手を付き深く頭を下げて恐縮した。
「そう謙遜せんでもよい。ぬしの実力は折り紙つきだ。だがな、この度伊藤家にも有望な若者を養子に迎えることが決まってな。この場を借りて皆に紹介したいのだ」
伊藤宗看はそう宣言して、「入れ!」と襖の向こうに激を飛ばす。
静かに開いた襖の奥に、利発そうな少年が正座していた。
目ははつらつとし、天真爛漫といってよいその顔には、まだあどけなさすら残っている。
「この者は……確か本家にいた門人ではないか?」
「そうだ、名を上野房次郎という。このたびご当主殿のお許しを得て、当家の養子に迎えることになったのだ」
「皆さま初めまして! 上野房次郎と申します」
将棋家では跡継ぎが見込めないときに、他家が人材を供給することがあった。
大橋本家も先々代の時代に嫡男を途絶えさせたことがあり、その際に伊藤家の嫡男を養子に迎えた歴史もある。
そういった伊藤家への長年の借りをおもんばかってのことか、大橋宗桂は上野房次郎を伊藤家の養子に出すことについて特に反対しなかったそうだ。
「儂も息子二人に先立たれ、後の一人は勘当寸前。全く後継者にこうも苦労するとは思わなかったぞ」
はっはっはと豪快に笑って見せる伊藤宗看だが、周囲の者は伊藤家の事情をよく知っているだけに複雑な表情を浮かべるしかなかった。
そのときである。
突然、大橋宗桂が口を開いた——
「当家からも、入門者をひとり紹介いたしたい」
「なに、入門者だと?」
この場は、当主と嫡男のみが列席する場だ。
上野房次郎を伊藤家の跡目として遇されることには理解できる。
が、たかが入門者をわざわざここで紹介する大橋宗桂に、大橋宗与も伊藤宗看も首を傾げた。
大橋宗桂が「入りなさい」と優しく呼びかけた。
上野房次郎がいた方とは反対側の襖がすーっと開く。
そこにはひとりの少女がいた——
「な! お、女ですと」
大橋宗与が素っ頓狂な声を上げて驚く。
すると伊藤宗看が、
「ふん、将棋はそもそも実力だ。男も女も関係ない——が、それにしても驚いたな」
この時代、在野の将棋指しや囲碁打ちに女性がいたことは良く知られている。
座敷の隅の方から一部始終を見ていた大橋宗珉は、将棋家に入門をしたという話はほとんど聞いたことがなかった。
「お初にお目にかかります。池田菊と申します」
そう言って顔を上げた少女の眼光の鋭さに、大橋宗桂を除くその場にいた全員が戦慄した。
あの歴戦の強者、荒差しの伊藤宗看ですら彼女の目に恐怖を覚えたほどである。
(こいつは腑抜けた将棋家の人間達とは違う)
(そう、野に放たれた獣の目だ——)
将棋家は今、二百五十年続いた徳川幕府とともに衰退しゆく運命にあった。
この運命に抗おうとする三人の若者がいた。
江戸期最強の名人「鬼宗英」の孫にして稀代の長考派、大橋宗珉
伊藤家の跡目を継ぐため大橋本家から養子となった俊英、上野房次郎
そして——
後の世に「史上最強の女流」と謳われた、池田菊。
この者たちを中心に、将棋家もまた風雲の戦国乱世の時代へと移りつつあった。
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