第十二話 宗歩千本桜

 ——壱——

 とうとう勝負に決着がついた。


「俺の負けだ。ありません」


 天狗が投了の意を告げる。

 ありがとうございます、と宗歩も頭を下げた。


 勝負を見届けた船頭は屋台舟を五条大橋の渡りにつけようとする。


「揺れるぞ、みんなしっかり掴まっていろ」


 宗歩が咄嗟とっさに柳雪の腕にしがみつく。

 柳雪も宗歩の手をしっかり握りしめた。


(本当に勝てて良かった——)


 宗歩は安堵してほっと息を吐いた。


 まず船から宗歩が降り、そのあとに柳雪と天狗も続く。

 そのまま川辺から土手を登って五条大橋に出た。

 橋の両端が奉行所の役人達によって封鎖されている。

 そのため民衆はその外側から何か大声を上げている。


「ほんま、ええもん見せてもろたで!」

「感動したわ。さすが麒麟児 天野宗歩や!」

「宗歩様、おめでとう!」


 前代未聞の船上公開対局に興奮した京の民衆が宗歩を讃えているのだった。


(あわわ、すごいことになったぞ)


 お疲れ様でしたと柳雪が宗歩にそっと声をかけた。

 宗歩は少し疲れた様子で何も言わずニコリと微笑み返す。


 と、そこに西町奉行松平定朝が群集を押し分けて五条大橋の真ん中までやってきた。

 周りには多数の護衛も引き連れている。


「二人ともご苦労じゃったな。大儀である」

「ありがとうございます」

「うむ、してこの者が天狗とやらか。さて……いかがいたそうかの」

「いかがいたしましょう。賭博は死罪にも値しますが」


 柳雪がそう答えた。


「俺の負けだ。好きにしろ」


 天狗は膝をつきうな垂れていた。もはや抵抗する素振りは見せない。


「そうですね。では……お言葉通り好きにさせていただきましょうか」


 柳雪がすっと前に出て護衛の帯に差されていた大刀を引き抜き奪った。


(え……、柳雪様! 何をするの?)


 天狗が焦って腰を抜かす。


「ちょ、ちょっと待て! 金は全部返す。なにもこんなところで殺すことはないだろう」

「問答無用」


 柳雪が刀を振り上げると、天狗は堪らず背を向けて逃げ出した。


「ひぃ!」


 そのまま立ち上がろうとしたが、橋の床板に蹴躓けつまずいて大層転んだ。

 その弾みで天狗の面が外れた。


 そこには——



 宗歩の知らない男がいた。


「た、助けてくれ。お、俺は頼まれただけだ」


 天狗の意に介さず柳雪の刃が振り下ろされようとした瞬間、


 ガン!


 刀が木刀に弾かれた。

 いや——、これは木刀ではない。

 船のかいだ——


「ほぉ、お主……」

「もうここまでにしてください、柳雪様」


 柳雪の刃を受け止めたのはあの船頭だった。

 船頭が狐のお面に手を掛けてゆっくりと外す。


 そこには——宗歩が小さい頃から良く知っているあの男が立っていた。


「——え……た、太郎松!?」

「久しぶりだなぁ、宗歩」


 市川太郎松はそういうと宗歩にニッコリと笑いかけた。


 ——弐——

「太郎松、あなたどうしてここに!? たしか1年前に江戸で行方不明になっていたはずでは?」

「宗歩、俺はな江戸を飛び出したあと全国を旅していたんだ。そこでお前が京都にいることを耳にして、居てもたってもいられずにやってきたんだよ。京に向かう道中で天狗の噂を聞いた俺は土産話にでもなるかと思い天狗に会いに行ったんだ。」

「貴方がいなくなったことを私は市川蘭雪様から伺ったわ。でも私は修行中の身分だから探しに行くこともできなかった。本当に……本当にすごく心配したのよ」

「なぁに俺は心配いらねぇよ。このとおりピンピンしてらぁ。」


 ハハハと高く響く声で太郎松は笑った。


「ああ、その男はな和田宗吉っていう在野棋士だ。江戸で賭将棋を生業にしてた男だよ。俺はな天狗に出会ってびっくりしたよ。なにせ俺が江戸でしょっちゅう鴨にしてた奴だったんだからなぁ」

「和田宗吉……」


 和田宗吉と呼ばれたその男は、俺は頼まれただけなんだ、と繰り返し謝り続けている。


「そいつに聞けば天野宗歩との船上対局を計画しているらしいじゃねぇか。俺はこれは何かあるなと思って、秘密にする代わりに協力を申し込んだってわけさ」


 それを聞いた宗歩は、少し前から今回の天狗騒動について何か言葉にできない違和感を感じ始めていた。

 町奉行所の手はずの良さ、鞍馬寺での住職の要領を得た説明、船上での公開対局、そしてここが五条大橋であるということ——


 そのとき、宗歩の目に何かが飛び込んだ。

 太郎松が右手に持っているお面だった——

 ああ、思い出した。そうだあれは……


 ——それは宗歩が六歳だったときのこと。

 五歳で大橋本家に入門した宗歩には実家に帰ることが決して許されなかった。

「将棋指しは親の死に目にも会えない」当時本気でそう言われていたほど将棋の世界は厳しかった。

 決して後ろを振り向いてはいけない——

 師匠にも厳しくそう言われていた。

 そんなある夏の夕暮れ、宗歩がいつものように道場の前で座って泣いていた。


「ひぐ……ぐす…うう」

「おい。弱虫」

「ひ」

「宗歩、いやおりゅう

「あ、松兄まつにぃ……」


 そこには太郎松が立っていた。

 独りで泣いてたらいつも駆けつけてくれる、あたしの大切な幼馴染——


「また、負けたのかよ。お前ほんと弱いな」

「ひぐ、ひっく……」

「お、おいぃ泣くなよ……ったく弱ったなぁ。こっちこい」

「あっ」


 太郎松に腕を引かれて宗歩が連れてこられたのは——

 夏祭りをしていた近くの神社だった。

 握った宗歩の手を引きながら太郎松は人混みをかけ分け屋台に向かった。


「ほら、これでもかぶってろ」


 そういうと、太郎松は宗歩にお面をかぶせた。

 それは狐のお面だった——


「あ、ありがとう」

「へへ、

「えへへ、そうだね」


 夕陽を背にして二人でずっと笑っていた幼かったあの頃のこと——

 ああ! そうだあの狐のお面だったんだ——

 松兄まつにぃだ。



 そのとき、宗歩の脳裏に一つの光明が見い出された。


「そうか……そういうことだったのか」


 宗歩の中で今までの出来事が一つずつ繋がり始め、そして全てを読み切った。

 宗歩は後ろを振りむき、そこに立っていた男にこう告げた。


「あなたが——黒幕だったのですね。」




 将棋天狗——いえ、


 宗歩は柳雪を真っ直ぐ見つめた。

 柳雪もまた宗歩のことを氷のような瞳でじっと見つめている。


「さて? なんのことでしょう」

「とぼけないでください!」

「……」

「お奉行様からの突然の呼び出し、いきなりの宿泊だったはずなのに準備の整った宴会、翌日の鞍馬山ではまるで私を待ち構えていたかのような将棋天狗との見得口上、そしてあらかじめ用意されていた屋台船に、最後は天狗を切り捨てる立ち振る舞いまで……。今回の一連の騒動はあまりにも

「そうでしょうか」

「そして、そのすべてにあなたが絡んでいました」

「ただの偶然でしょう」

「ええ、最初はそうかもしれないと思いました。でも確信したのです。」

「ほぉ、一体何を?」


 宗歩はすっと自分の耳に手を当てて、

「あなたは耳が聞こえない。だから読唇術を使う……。だったらどうして


「!!」


 柳雪の目が一瞬見開かれた。だが直ぐにもとに戻る。


「つまりこの一連の騒動のすべては、事前にあなたによって仕組まれていたということです」

「……」

「柳雪様、どうしてこんなことを……」

「……」

「ねぇ、どうして!」

「——あなたが、妬ましかったからですよ」

「え!?」

「廃嫡された私と違い、貴方には輝かしい未来があるから……。衆目に晒して恥をかかそうとしたのです。私がかつてそう仕打ちされたように」


 柳雪は恐ろしいほど冷たく宗歩にそう言い放った。


 ——二代目大橋宗英の襲名披露、その直後の廃嫡


 宗歩の脳にそんな言葉がチラつく。


「——!! なんでそんなこと……どうして……」


 宗歩の目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。


「まぁ、この天狗があまりにも弱すぎたことが、ただ一つの悪手でしたがねぇ」


 宗歩の心の中に怒りとも悲しみとも似つかない感情が芽生えた。


(そんな、そんなことって……苦しくて声が出ない……)


 誰も傷つかない、人を踏み台になんてしない、そんな将棋家を創ること——

 それが柳雪様の夢だったはずなのに——            

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