第8話

 走り出してからものの数分で妨害は始まった。

 眼前に目に見えない粘つく壁ができ、ナイトホークをカリンの背から引きずり降ろそうとした。

「カリン、火を吹け!」

 と言われても、火なんか吹いたことすらないカリンは、精一杯ゲーゲー喉を鳴らした。

「火なんか吐けない! どうすればいいのか分からない!」

 そのうちにナイトホークはカリンの背から落ちてしまい、粘つく物体に体をひねられている。ナイトホークはかすれ声でもう一度叫んだ。

「火くらい吐ける! 信じるんだ、カリン!」

 カリンは口を開き、闇雲に息をはいた。ぷすぷすと黒い煙が口から漏れるだけだった。

「大丈夫! カリン、できる。自分を信じろ! 諦めるな!」

 自分を信じる……!

 諦めない……!

 あたしは火が吹ける!

 カリンはもう一度試みた。自分の口から火柱が立つのを想像した。

 一直線の火炎が、カリンの口から吹き出した。体をねじられ、失神寸前だったナイトホークに絡まる粘つくものは、回りの霧と共に蒸発して消えた。

「やった! できたよ、あたし、できた!」

 ナイトホークは咳ごみながら、カリンの背に飛び乗った。

「竜魔士である俺たちの体は霧でできている。だから火に弱い。カリンの炎は俺には効き目がない。また襲われたら頼むよ。俺は信じてる」

 ナイトホークの言葉に、カリンの心にわだかまっていた何かが晴れた。

 やればできるんだ!

「さぁ、このまま駆けて行けば霧は晴れてくる。急げ」

 確かに霧は晴れ始め、今まで走って来た道が何だったのか、はっきりと現れた。

 白磁器の道の脇には地面こそないが、白濁した沼が広がり、草などは一切生えていない。

 ソテツやシダのような形をした灰色の植物らしきものが、にゅっと沼から頭を出して林立している。

 どう見てもそれは岩の塊のようで、あたり一面が灰色にくすんでいる。

 しかし、ドラゴンホースであるカリンの目には、白磁器の道のほかに虹色の道がはっきりと見えていた。虹色の道はずっとはるかかなたまで続いているように思えた。

 カリンの乱れた息遣いに気付き、ナイトホークはカリンから飛び降りた。

「少し休もう」

「でもすぐにドラゴンを見つけなきゃ」

 ナイトホークの顔色は暗かった。なにか思い悩むように眉間にしわが寄っていた。

「本当はここからが正念場だ……今までのはダークウルフのお遊びみたいなものだ。カリンのお陰で助かったけれど、ダークウルフは何千年もドラゴンストーンを待っていた。奴はドラゴンホースの炎だけでは散らせない……もしも俺が死ねば、おまえを元の界域に戻してやる奴がいなくなる」

 ナイトホークの不吉めいた言葉に、カリンはおびえながらも励ました。

「そんなことない、きっとできる! きっとドラゴンは見つかるよ! 危なくなったらあたしを元に戻せばいいじゃない。そんなに気弱でどうするのよ!」

「俺が死んでしまえば、カリンが人間に戻っていたとしても同じことだ」

「そんなことない! ナイトホークだってさっきあたしに言ったじゃない! 諦めるな、信じろって! きっとなにか方法があるはずだよ、ここまで来て諦めちゃだめだよ!」

 ナイトホークの体がぼんやりと透けて見え始めた。

「もう……だめだ……俺が死んでしまえば……」

 ナイトホークの体が白い霧に戻りかけている。やっとカリンはナイトホークの様子がおかしいのに気付いた。

 座り込むナイトホークの背中にしっかりと黒い染みがしがみついている。

 カリンは思い切り炎を吐いた。

 しかし、黒い染みは消えなかった。カリンの吐く炎の威力が弱すぎるのだ。

 そうしているうちにナイトホークは霧に返っていく。

「ナイトホーク!」

 カリンは口のなかに炎をためた。

 轟音と共にカリンの口から丸い火炎が噴き出された。

 ナイトホークが消えかける前に、黒い染みは散り散りに消し飛んだ。

「ナイトホーク!!」

 カリンはナイトホークの耳元で大声で叫んだ。何度も呼ぶうちにナイトホークの姿が戻り始めた。

「カリン……」

「ナイトホークの背中に黒い奴がしがみついてた。炎で消し飛んだけど……あたしが馬のまんまだったからよかった」

「ああ……そうだ……俺は自分に自信がなくなっていくのが分かった。大きな力の前に屈服しそうになった。何も変えられない……もう方法はないと思いかけてた……」

 だけど、変えられた。方法はあった。カリンは思った。あたしは勝手に自分から何もできないようにしてた。卑屈になってた。だれかのせいにしてた。

 カリンはナイトホークを見つめた。見ているうちに勇気が沸いてきた。

 諦めてしまうことはないんだ。諦めなければ、いろんな道が開かれるんだ。それを選ぶのも選ばないのも、自分が決めることなんだ。

 カリンとナイトホークはまた歩き出した。

 沼地は相変わらず続いたが、石化した植物は途切れて、四角柱の灰色の建造物が規則正しく並び、虹色の道はその柱の一つへと続いていた。

 もはや竜魔士である霧は見当たらなかった。

 しかし、行く手に黒い霧がわだかまり、カリンたちを待ち受けていた。

 カリンは身構え、ナイトホークに呼びかけた。が、ナイトホークはそのままカリンの背から落ち、沼地に横たわってしまった。

「ナイトホーク!!」

「ナイトホークはわたしが眠らせた」

 カリンは真正面の黒い影をにらみつけた。黒い影は形を取り始めた。ナイトホークに似た姿形だったが、何とも言えない冷気が漂ってくる。

「そいつよりもわたしの魔力の方が強いのだ。そいつは戦わずしてわたしに負けたのだ。ドラゴンストーンは勝った者のものになるのだ」

 ダークウルフはカリンを手招いた。その手招きに強い魔力を感じ、カリンは必死でそれに抵抗した。

 カリンは苦し紛れに火炎を吐いた。火炎は火柱になり、一直線にダークウルフを貫いた。

 しかし、ダークウルフの前には見えない壁が何列も並んでおり、ダークウルフの元に届くころには炎は小さくくすぶるだけだった。

 カリンはくじけそうになった。もう本当にだめなのだろうか。勇気が見る間にしなびていくのを感じた。

「来るのだ、ドラゴンホースよ……心配は要らぬ。ドラゴンを我が手に収めた暁には、おまえを元の界域に戻してやろう。嘘は言わぬ。その未熟な竜魔士に比べれば、わたしに従うほうがより良いと悟るだろう。来るのだ……おまえに選択の余地などないはずだ」

 そうなのだろうか……? カリンは心弱く考えた。けれど、ナイトホークは何と言っていた? ダークウルフには炎だけでは勝てない。

 カリンは勇気を奮い起こした。この竜魔士の言うことは嘘だ。選択の余地はある。ただ自分の努力が必要なだけだ。努力せずに屈服してしまうなんて、自分自身の弱気に負けてしまうなんて……! 

 カリンは自分の勇気が額の宝石に集まってくるのを感じ取った。持てる力すべてを石にたぎらせた。

 額の石に熱がこもり、石が変化していく。

 石が研ぎ澄まされ、長く伸びていくのを感じる。

 オパール色の一角を掲げ、カリンはダークウルフ目がけて突っ込んだ。

 薄い氷が何枚も割れるような音が続き、カリンの角はダークウルフの胸を貫いていた。

 ダークウルフの魔力はドラゴンホースには何の効き目もなかったことを、カリンは悟った。何もかも、自分の心弱さが原因だったのだ。

 ダークウルフの体は薄れていき、空気に溶けていった。

「カリンが助けてくれたのか?」

 振り向くと、ナイトホークがぼうぜんと立っていた。

「ダークウルフなんて屁のカッパよ。それにナイトホークがいないとあたし馬のまんまだし、帰れないじゃない」

「そうだ、これだけはどんなに努力しようと変えられない事実だ」

「ところで、ナイトホークってどのくらい未熟なの?」

 ナイトホークは不思議そうな顔をして、カリンを見つめた。

「なぜ?」

「ダークウルフがそう言ったから」

「俺は生まれてからたったの百年しか生きてない。まだ赤ん坊同然なんだ。だから最初にカリンを見つけられたのは何千分の一かの可能性だって言っただろ? 奇跡に近かったんだ」

 そう言って、ナイトホークは初めて笑った。 

 濃淡鮮やかなエメラルド色の縞の石柱のゲートをくぐり、カリンはナイトホークを背に乗せ、暗い道を進んだ。

 どうやらここは深い穴蔵のようだ。冷たい水の匂いと感触が漂い、その暗い中、虹色の道だけが辺りを照らしている。

 ふいに虹色の道は途切れた。途切れた道の端に黒い光沢の台座があり、そのうえにドラゴンの石像が鎮座していた。

 滑らかな石の台座に、はっきりとドラゴンホースのカリンとナイトホークの姿が映っている。

 ドラゴンホースは馬というより、爬虫類ににていた。形は馬だけれど。

 カリンはドラゴンの石像を見た。

 ドラゴンは見上げるほどに大きく、穴蔵いっぱいに体を丸めていた。粗い灰色の石像からはひとかけらの生気も伺えない。背中の巨大なこうもりのような翼は力なく垂れ、身体を覆っている。

 ナイトホークはカリンにまたがったまま、呪文を唱えた。両手を広げ、大きくドラゴンに差し伸べた。

「眠れる主なきドラゴンよ、永い眠りより解き放たれよ。永き眠れる果ての道を見つけよ、そこに主の立つ姿が見えるであろう」

 しかし、何も起こらない。

 ナイトホークはもう一度呪文を繰り返した。

 ドラゴンはピクリともしない。

 ナイトホークはカリンの背から降り、台座に近づいて、低くうなった。

「どうしたの?」

 ナイトホークの肩が震えている。

「ナイトホーク、なにかあったの?」

「す……すまない」

 ナイトホークは背を向けたまま、つぶやいた。

「俺はカリンを生きて帰してやる事ができなくなった。こんなこと……考えてもみなかった……」

「だから何のこと? 生きて帰せないって、どういうこと? はっきり言ってよ、ナイトホーク」

 ナイトホークは振り向き、

「ドラゴンを目覚めさせるには呪文ではだめなんだ。カリンの……ドラゴンホースの血が必要なんだ……」

 そして、その手には今まで持っていなかったはずの黒い剣が握り締められていた。

 カリンはおののいた。

「ま、まさか……ナイトホーク、嘘よね? だって……あたしたち、そんな……」

 言葉が続かなかった。カリンの育ててきた大切な何かがみじんに砕かれた。

「そんな……嘘よ!?」

「呪文には続きがあった。目覚めにはドラゴンホースの血を捧げよ、霧は影に、影は闇に、闇を貫き、虹色の光がドラゴンを眠りから解き放つであろう」

 カリンは叫んだ。

「嘘つき! ナイトホークの大嘘つき! なによ、役目が終わったらあたしのうちに帰してくれるって言ったじゃない! 結局、自分が大事なのよ。諦めるな、信じろなんて言って、あたし、信じたのよ! 信じてたのに!」

「まさか、こんなことになるなんて、俺も知らなかったんだ。俺はカリンを殺したくない。カリンは俺を救ってくれた。消滅しそうになった俺を助けてくれた。分かってる! 分かってるんだ! こんなこと、俺の望みじゃない。どうすればいいんだ !?」

「殺せばいいのさ」

 澄んだ男の声が響いた。

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