第6話

 気が付くとカリンは走っていた。

 薄もやのなか、口と背中に違和感を覚えながら、カリンはひたすらに足を動かしていた。

 口の中の変なものを吐き出そうともがくけれど、ますますそれが口の中に食い込んできて、唾があふれて垂れていく。

 手足を闇雲に動かし、カリンは腹と口に受ける衝撃に驚きながら駆けた。

 目の前に広がっている景色は見覚えのないものだった。薄もやが広がる四方に建物や木々はなく、紫がかった白いもやで視界がさえぎられている。

 足元の道らしきものはアスファルトなどではない、硬質感のある白磁器もしくは白い金属のように見えた。

 次第に自分が手足を使って走っていることに気付いた。まるで犬のように走っているのだ。そして、背に乗っかっている何者かが、自分よりもずっと小さいことにも気付いた。

 ムカムカと怒りが沸いてきた。

 走るのなんかやめてやる! 

 カリンは思い切りのけ反ったり、跳びはねたりして、背中の邪魔者をふるい落とそうとした。

「どうどう」

 男の声が馬をならすような調子で聞こえた。

 カリンの堪忍袋はパチンと破裂した。

 もう我慢ならない。 

 カリンは立ちあがり、ひどく背中を揺さぶった。

「うわぁ!」

 無礼な男はカリンの背から転げ落ちた。罵声が薄もやから響いた。

「一体どうしたんだ !?」

「口の中の変なものを取ってよ! あたし、手が上がらないのよ!」

 もやに紛れて自分の声が聞こえてくるが、自分自身がどんな姿なのか、全く分からない。ふるい落とした男の姿も勿論見えなかった。

「もう覚醒したのか !? まだ予定より早すぎる!」

「早いも何もないわよ! 早くどけてよ!気持ち悪い!!」

「文句ばかり言うドラゴンホースだな」

 ざりざりと音がし、男が近づいてきた。カリンは身構えて、緊張して待った。

「そんなにはみがいやなのか?」

 目の前に現れた男は、やはりあの黒づくめの変人だった。

「いや !? いやも何もこんな痛くてまずいものなんか口ん中に入れないでよね! それになんなのよ! あたしのことどうするつもりなのよ !?」

 怒鳴りながらもカリンはおびえていた。

「ドラゴンロードを探すんだ」

 男はカリンの口からはみを外した。

 はみは金属臭くて、カリンは恥ずかしさも忘れて、地面に唾を吐き続けた。けれど、うまくいかない。まるで自分の口じゃないみたいだった。

 すると、男がふいに手を伸ばし、カリンの額の石に手を触れた。

 そのとたん、カリンの体中がズクズクとうずき、自分自身が変化していくのが感じ取れた。あっと言う間に男がでかくなり、カリンの背が奇妙なくらい縮まり、あれほど頑張っても上がらなかった手が頬に触れていた。

「参ったな……ドラゴンストーンは人間が吸い取るはずじゃなかったんだ」

 カリンには男の言うことが分からなかった。第一、ここがどこかも知らない。この変人のことさえも分からない。それなのに、自分は男の言いなりになるしかない。ひどくはがゆい思いと、腹立たしさにカリンの体は震えた。

「ドラゴンストーン!?」

「何百年に一度、天から降ってくるんだ。ドラゴンの腎臓とも言われてる。ドラゴンロードを見つけ出して、ドラゴンの元まで連れて行ってくれる道案内なんだ。俺の行ける界域では本当に久しぶりだった。まさか人間がドラゴンストーンを拾うとは思ってなかったんだ」

「ドラゴン!? ドラゴンロード!?」

 カリンは金切り声を上げた。この変人は何を言ってるんだ。

「ドラゴンストーンを体内に吸収したものは、ドラゴンロードを見つけ出すドラゴンホースになれるんだ」

「ドラゴンホース!? 何言ってんのよ! そんなこと信じられるわけないじゃない!」

 こんな変人なんかほっといて、帰り道を探そう。カリンは男を無視して、一人でさっさと歩き出した。

 白いもやで道の四方はわからなかったが、きっと脇道があるはずだと思い、カリンは道から外れようとした。

「危ない、待てっ!」

 男は慌ててカリンの後を追い、その手をつかんだ。

 とたん、カリンの体がずるりと道から落ちた。カリンは悲鳴を上げた。

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