第8話『降り積もる』

 それからクラス委員室へと戻った俺を待っていた人物はおらず、携帯を見ると長峰から「先に帰ってる」とのメッセージが届いていた。


 まぁ時間も時間だし、仕方ないこと。ただでさえ外は寒いというのに、日が落ちると信じられない寒さになるしな。


 窓から見える景色は薄暗く、この分なら校舎から出る頃には日は沈んでしまっているだろう。


 俺はそんなことを考えながらカバンを手に取り、教室の鍵を閉める。あとはこれを職員室へと持って行って帰るだけ。


「お、丁度帰るところだった?」


「北見……先生」


「成瀬くん、前から気付いてるけどそのとりあえず先生って付ける感じやめてね?とりあえずの先生じゃなくて立派な先生だから」


「自分で立派とか言うと逆にそう見られなくなりますよ」


「相変わらず辛辣ね……それでどう?木之原さんと高村くんは」


「二人とも頑張ってます。冬木と雪がしっかり教えてるんで」


 俺の言葉に安心したのか、それとも違う意味なのか、北見は小さく笑みを浮かべていた。


 とは言っても北見が俺たちに依頼してきたことについては全くと言って良いほど問題はない。どちらかと言うと、同時に並行して起きている長峰の件が問題だろう。


「それなら良かった。やっぱり生徒の問題は生徒に任せるのが一番良いわね」


「……それって職務放棄では?」


「またそうやって……私とか他の先生が教えても良いんだけどね、それだけだと得られないものってあるでしょ?」


 それを聞き、脳裏に浮かんだのは勉強会グループのこと。確かに北見の言う通り、俺たちが声がけをして集めてなければそういう流れにもならなかっただろう。その流れが良いか悪いかは置いといてだが。


「けど、生徒だけだとどうしようもないことだってあるから。そういうときは遠慮なく頼りなさいね」


「じゃあこれ、鍵渡しときます」


 俺は言い、つい先ほど施錠をしたクラス委員室の鍵を北見に差し出す。


「抜け目がないわね……」


 呆れた顔をしつつ、北見はその鍵を受け取る。


 どうしようもないことは頼れ、か。


 正直なところそこまで当てにしているわけではないが、一応頭の隅には置いておこう。


「ああそうだ、北見先生」


「うん?」


「水原っていつも何時くらいに学校来てます?妹じゃなくて姉の方」


「雫さん?正確には分からないけど……バレー部は朝練してるし、早いんじゃない?」


 あいつ、バレー部なのか。それすら知らなかったな。


「……あ、もしかして気になってるとか?良いわねぇ学生の恋!でも成瀬くん、浮気はダメよ?」


「そうですね。それじゃあそろそろ帰ります」


「ちょっと適当に流さないでよ!先生の恋愛トークしようと思ってたのに!」


 そんなことを言う北見を尻目に、俺は帰宅するために歩き出す。そんな話を聞いていたら日が暮れるどころか日付が変わってしまう可能性があるし、何より北見の恋愛トークを聞いたところで参考になるわけもない。


 別に参考にしたいわけでもないが。




「やっぱり真っ暗か」


 それから校舎を出る俺。降り積もる雪はいつもより強さを増していて、突き刺すような寒さに身震いをする。


 案の定と言うべきか、日はすっかり沈んでしまっていて街灯だけが辺りを照らしていた。


「……ん」


 そんなとき、校門の前に人影が見える。傘を差し、ただ何かをするわけでもなく立ち尽くしている。そして、そいつには見覚えがあった。


「てっきり帰ったのかと思ってた」


「用事があったので。学校に泊まっていくつもりなのかと思いましたよ」


 そこに居たのは冬木だった。寒い中待っていたせいか、頬には赤みがかかっている。


「えっと……俺?」


「それ以外に誰を待つんですか」


 冬木は呆れたように言う。なんだか今日は呆れられてばかりだな。


「……あの、これ。成瀬君にはいつも助けられているので……そのお礼というか」


 冬木は紙袋を俺の方に差し出す。一瞬何のことかと思ったが、今日は似たようなことがあったのを思い出した。


「……バレンタイン?」


「……ですから、それ以外に何があると。不味かったら捨ててしまって構わないので」


 それを言われ、手作りなのかと尋ねようとしてやめた。言えばどうせ返ってくる答えは「それ以外に何があるのだ」というものだから。


 俺は紙袋の中に一瞬視線を落とし、そのあとまた冬木へと視線を向ける。流れで言えばさっき教室で渡せば良かったと思うものの、冬木としては渡しづらい空気だったのかもしれない。


「ありがとう」


「……成瀬君から素直にお礼を言われると気持ちが悪いですね」


「俺をなんだと思ってるんだよ……」


 少なくともお礼は言えるし、謝りもできるんだぞ。えらいだろ。


「遅くなったし、家まで送るよ」


「いえ、そこまで気を遣わなくても……」


 俺と冬木の家は正反対。冬木を家まで送るということは家から遠ざかるということでもあるのだ。それはもちろん冬木も知るところで、申し訳なさそうにそう口にする。


「冬木と話して整理したいこともあるしな。それなら良いだろ?」


「……では、お言葉に甘えて」


 冬木は言いながらマフラーを少し上に上げる。さっきまでは口元が少し見えるくらいだったが、今ではその口もすっかりマフラーに埋もれてしまっている。


 そんな冬木と並んで歩き出す。俺も冬木もあまり喋る方ではないので、しばらくの間無言が続いた。その時間を使い、俺は自分の思考を整理していく。


 冬木は何も言わず、ただ前を向いて歩く。気まずいとか、何か話題を出さないととか、そういうことは一切思わなかった。きっとそれは冬木も同じで、だからこそ冬木と一緒にいても疲れることはない。こんな時間の流れも俺は好きなのだ。


「冬木が言ってた高村の秘密、今日直接相談されたんだ」


 少し経ち、俺はようやく口を開く。どこから話そうかと考えていたところ、時系列的に話すのが一番楽だと判断したからである。


「……なるほど、私が言わなかった理由も分かったということですね」


「ああ」


「私の予想は当たっていましたか?成瀬君が聞いたとしても興味はないと」


「まぁそうだな。ていうか、高村もよりによって俺に相談しなくてもな……」


 俺の言葉に冬木が笑う。きっと冬木は今「本当に」などと考えているのだろう。俺にはその思考は聞こえないけど。


「高村君も男子ですから。成瀬君には相談しやすいんですよ、きっと」


「そんなもんかな。女子もやっぱりそんな感じなの?」


「雪さんとはよく話しますよ。今度二人で出かける約束もしたんです」


 おお……いつの間に。俺の知らないところで冬木の交友関係が広がっているのは素直に嬉しい。


「……当たり前のことではありますが、みんなそれぞれに悩みがあるんですよね」


「どうした急に」


 冬木は地面を見ながら歩く。真っ白な雪は次々に降り注ぎ、俺たちが付けてきた足跡も既に薄くなってきているほどだ。


「高村君にも、雪さんにも、木之原さんにも。できることなら全部解決できればと思うんです」


 冬木は今まで人との関係を断っていた。そして聞こえてくる思考にも耳を傾けずにいた。それが今では変わり、その思考にも耳を傾けている。だからこそ、その一つ一つが冬木の感情を揺さぶっていくのだろう。


「一人じゃ難しいだろ」


「そうですね、とても私だけでは解決できません」


「だから高村の方は任せてくれ。もちろん相談はするけどさ」


「はい。雪さんの方は私ができる限りやってみるので」


 今回のような悩み事を解決する場合、冬木の力はかなり有利に働いてくれる。口には出さない本音というのを聞けるからだ。


「それと成瀬君、水原雫さんのこともですよ」


「……丁度、相談しようと思ってたんだよ。その件は冬木にも手伝ってもらうことになりそうだから」


 今日聞いた話。どうやら考えていたよりも物事は複雑になっているようで、もしも長峰に対する嫌がらせの犯人が単独ではなく複数だった場合、俺だけの能力では限界がある。


「それは詳しく聞きたいところですね」


 冬木はそう言ったものの、気付けば冬木の家に着いていた。比島楽器店という看板に電気が灯った店内。ここが冬木の暮らす家でもある。


「……ん、成瀬か」


 と、そこで丁度比島さんと遭遇した。見ればどうやら店を閉めるところだったらしく、シャッターに手をかけている。


「今日はもうお店を閉めるんですか?」


 そう尋ねたのは冬木。以前までは比島さんとすら話も中々していなかったという冬木だったが、最近では比島さんとの関係も良好らしい。


「この雪だしな。もう客も来ないだろ」


 比島さんの言う通り、雪は弱くなるどころか強さを増している。いつもは少し賑わっているこの辺りも、既に閉めている店も多く、人通りもほとんどない。


「……寒かっただろ、成瀬も少し暖まっていけば良い」


 比島さんがそう言い、店内を顎で指す。俺は迷惑だから断ろうとし、口を開こうとしたところで冬木が小声で話しかけてきた。


「久し振りに成瀬君と話したいんだと思います」


「……断るに断れなくなったな」


 そう言われてしまったら、俺にはもう拒否するという選択肢はなかった。

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