第16話『成瀬修一その6』

「ふう……」


 ベンチに腰かけ、温かいお茶を飲む。


 あれから長峰を無事に病院へと送り、手術室の前まで辿り着いた俺たちは看護婦から事情を聞かされていた。


 現在、緊急の手術を行なっていること。最善は尽くすということ。いつ終わるか、その見通しはまだ分からないということ。


 説明を聞いた長峰は取り乱してしまい、手術室の前で母親に向け言葉を並べていた。そのまま飛び込んでいきそうな勢いだったため、俺と看護婦で必死に宥め、今は落ち着き病院の中で手術の終わりを待っている。


 そんな状態のところに俺がいたとしても邪魔にすらなりそうだったから、俺は外で待つことにしたというわけだ。外は寒いが、それでも病院内の重苦しい空気よりはこちらの方が良かった。


 これで良かったんだと思う。長峰は既に後悔しているが、それでも何もしないよりは絶対に。


 俺は一人帰ることもできたけど、それをする気にはなれなかった。


『分かりました。学校の方にはうまく伝えておきます』


 冬木からのそのメッセージを確認し、携帯をポケットにしまい込む。長峰と俺は明日学校を休むということを伝えただけで、状況は冬木も知りたいだろうに何も尋ねてこなかったのは冬木の優しさだろう。


 ……俺は慎重になりすぎているのだろうか。俺には人の嘘を見抜く眼があって、対人関係においては有利ではある。今回もこの眼のおかげで長峰の手助けになれたと言っても良い。


 そこに俺という人間はいたのだろうか。成瀬修一という人間は……居たのだろうか。


「成瀬」


「ん、長峰か」


 そんなことをつらつらと考えていたそのとき、横から声がかかる。そこに立っていた長峰はいつもの完璧な長峰ではなく、目は充血して髪もボサボサで少し疲れている顔の長峰愛莉。


「どうだった?」


 出来る限り、平静を装いながら俺は聞く。これ以上長峰を苦しませないでくれと、そう願いながら。


「……大丈夫。手術もうまくいって、山場はなんとかって。安心はできないけどね」


「そっか。良かった」


「そのうち目も覚ますって。だからひとまず私は帰ろうかな」


「……会って話さなくていいのか?」


「行くよ。帰って、寝て、起きたらすぐに。それにきっと……お母さん、わたしが来たことに気づいてたから」


「気付いてた?」


「ドアの隙間からちょっと見えたんだけど、お母さん笑ってるみたいだったから。ま、あれだけ泣き叫べばそりゃ聞こえちゃうよね」


 長峰は屈託なく笑い、俺の隣に座る。どこか恥ずかしそうな笑みにも見えた。


 長峰は強い奴だ。俺なんかよりもよっぽどに。


 けど、一つだけ忘れてはならないことがある。そんな長峰でも完璧ではないということ。一人の少女だということ。表には滅多に出さないが……長峰は心を擦り減らし続けているということ。


「あ、一応言っておくけど……手術室の前でのあれ、誰かに言ったら許さないから」


「言わねえよそんなこと……それじゃ帰るか」


「そだね。帰りも運転よろしく」


「……マジ?」


「マジに決まってるでしょ。それともなに、私みたいな可愛い女の子に坂を歩かせるの?」


「お前な……分かった分かった、今日だけだからな」


 そうして、俺たちは帰ることにしたのだった。




 それから、長峰と二人で神中へと帰る。


 疲れている体に鞭を打ち、ようやく坂を登り終えてあとは下るだけの道。


 すっかり太陽は登り、辺りを明るく照らす中、山の上から見下ろす神中はいつもと変わらない風景だ。


「もしさ」


「んー?」


「実は俺には人の嘘が見えたり、思考を聞ける力があったとして」


「はぁ?なにそれ」


「んで、そのおかげで長峰のことにも気付けたって言ったらどう思う?」


 なんとなく、そんなことを聞いてみた。


「成瀬ってもしかして厨二病の真っ最中?」


「……真面目に聞いてるんだけど」


「真面目に聞くことがそれ?んー、そうだったとしても特に変わらないんじゃない?」


「変わらない?」


 長峰は俺の肩に手を置きながら、いつもと変わらぬ口調で口を開く。いつも通りの長峰とこうやって話をするのは随分久しぶりな気がして、柄にもなく嬉しかった。口が裂けても言わないけども。


「成瀬が聞きたいのって、そういうズルをして私のことを知って、私のことを説得したからってことでしょ?」


「……まぁ」


「朝霧さんにバレたのは予想外だったけどね。でもそんなに変わらないよ、やっぱり」


 どうやら長峰は俺の例え話を朝霧から聞いた件と結び付けたようだ。それは合っているようで合っていないんだが、それでも俺が知りたいこととは違っていない。


「だって知ったとしても、言葉をくれたのは成瀬じゃん。嘘を見抜けたり、私の思考を聞けたり、それがどんなものであれ変わらないでしょ」


 長峰は続ける。


「過程なんてどうだっていい。私は成瀬やみんなが言ってくれた言葉が嬉しかったんだから」


「……珍しく素直だな」


「私はいつだって素直ですけど?いやー、でもほんとに嬉しかったなぁ。友達なんてやめてやる!舐めんじゃねぇぞ!って」


「……」


 無視をすることにした。確かに俺が言ったことではあるものの、今になって改めて掘り起こされると顔が熱くなる思いだ。そして厄介なのが長峰が俺がどんな反応をするか知ってて口にしているということ。


「いやいやほんとに。録音しておけば良かったーって後悔してる。みんなで聴き直せたのに」


「お前もう降りて歩いて帰れ!先に帰る!」


「冗談だって冗談。嬉しかったのは本当だから」


「いじれるネタが増えてだろ、お前の場合は」


「それももちろんあるけどね」


 あるのかよ。


「……成瀬にも、冬木さんにも、秋月さんにも、美羽にも朱里ちゃんにも迷惑かけちゃったね」


 俺がふと一瞬だけ後ろを見ると、長峰は風で流される髪を片手で抑えながら、神中の景色を眺めていた。


「迷惑なんて誰も思ってないし、別に良いだろ。友達なんだし」


「友達……かぁ。困ったなーほんとに」


「俺みたいな奴が友達で?」


「なんでそんな自虐的なの。じゃなくて、この先高校生活もまだ続いて、卒業したら大学に行くかどうかはともかく……まだ人生って長いじゃん」


「そりゃまだ子供だしな、俺たち」


「そんな長い人生で、一番な友達ができちゃったんだもん。人生の楽しみが一つなくなっちゃった」


「……分かんないだろ、それは」


 恥ずかしさから声は小さく、長峰には届いていなかったかもしれない。しかし、それは杞憂だったようですぐさま長峰は返事をした。


「分かるよ。分かる」


 それから少し沈黙が続く。しかし、それは居心地の悪いものではなく……逆のように感じた。


 先ほど長峰が言ったこと。それは俺にも当てはまる。俺にとっても冬木や長峰、秋月のような友人はこの先できることはないだろうという予感があった。それは最早確信めいた何かがあるほどに。


 とは言ってもまだまだ長い高校生活。喧嘩をすることも似たようなことが起きることもあるかもしれない。俺たちの関係ないところで問題が起こることもあるかもしれない。


 が、この四人がいればどうにかできる気もしている。一人ではどうにもならなかったとしても、この四人であれば。


「あ!!成瀬ストップストップ!大事なこと忘れてた!!」


「は?大事なこと?」


「良いから一回止めて!早く早く!」


「分かったから暴れるなって!」


 俺はブレーキを握り、自転車を止める。いきなりなんだと思いながら長峰の方に俺は顔を向けた。


 その瞬間だった。俺の顔は回す途中でその動きを止める。顔に、頬に何かがぶつかった気がしたからだ。


「……は?」


「お礼、まだだったでしょ?ありがとね、成瀬」


「……は?お前今、お前今何した!?」


「なにって、キスだけど。嬉しいでしょ?」


「お前……お前なぁ!!そういうのを男子に気軽にするんじゃねぇよ!!」


「気軽になんてしてないって。だって今のファーストキスだし……あ、頬だから違う?でも頬にするのも初めてだから、一緒か」


「そういう話じゃねえよ!!お前女子で俺男子!!オーケー!?」


「水くさいなぁ。そんなに文句言うなら返してよ」


 長峰は言うと、俺に向けて頬を突き出す。こいつは頭がおかしいのか、いやそうに決まっている。


「するわけねぇだろ!」


「ふーん、じゃあ私のキスをしっかりもらってくれたってことで。ほらお礼も済んだんだし出発出発!」


 俺の背中をバンと叩き、長峰は言う。俺は更に何かを言おうとしたが、長峰には何を言っても言い負かされてしまう気がした。


 そんなわけで。


 納得はいかないが、俺は長峰からのお礼を素直に受け取っておくことにしたのだった。

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