第23話『答え』

 数日が経った。 朝霧さんとは順調に準備が進められており、この分ならば問題なく間に合わせることができる。 成瀬君のほうの問題、水原さんの件もどうやらなんとかやっているようで、成瀬君曰く「条件付きで協力してもらってる」とのこと。 その条件というのも幸いなことに私や成瀬君にとってもメリットがあることだったのだ。 ずばり、水原さんが成瀬君に提示したのは「長峰さんに攻撃している犯人を見つけること」だ。 段々と悪化している今、長峰さんの友人でもある水原さんも見過ごしたくはないという意思が見て取れた。


 しかし同時にそれらを行うのは困難を極める。 そこは成瀬君がうまくやってくれたようで、犯人探しは学園祭が終わったあとに行うことになっている。 もちろん、長峰さんに知られれば必ず止められるということから長峰さんには伏せて行動するという方針になったようだが。


「考え事?」


 今日も今日とて空き教室で私は朝霧さんと衣装作りに励んでいる。 そんな私の手が止まっていることに気付いたのか、朝霧さんがそう口を開いた。


「あ、すいません」


「いや私がとやかく言うことじゃないし、良いけど。 冬木のおかげで時間はあるんだし、少しくらい休んでも良いんじゃない」


 咄嗟に謝ると、朝霧さんがそうフォローしてくれた。 朝霧さん自身は手を休めることなく作業に没頭しており、私から口を開かなければ話しかけてくるということも滅多にない。 良くも悪くも朝霧さんは必要最低限しか関わろうとしてこない、距離感というものが必ずそこには置いてあり、一線を引いている。 だが、その距離感というのは嫌な感じではなくむしろ私にとっても丁度良く、心地の良いものだ。


 ……しかし、そのままでは駄目というのも事実。 この距離感に安堵し、満足しているようでは何も変わることはない。 踏み込んでいくという行為はやはり中々に怖いものだ、こんなときは成瀬君のズカズカと踏み込んでくる無神経さが少し羨ましい。


「朝霧さん、お願いがあります」


 私は言い、それを切り出そうとする。 三好さんたちと一度話をして欲しい、と。 必要であれば私も同席することはできるし、進藤君だって断りはしないだろう。


「三好たちと話をして欲しい」


 だが、私が言う前に朝霧さんは真っ直ぐと瞳をこちらへ向けてそう告げた。 その一言で理解する、朝霧さんは最初から私の目的なんて知っていたということを。


「別に怒ってないよ、冬木の立場だったらそうするなんて猿でも分かることだし。 ねえ冬木、ちょっと付き合ってくれない?」


 朝霧さんは衣装を片付けながら言う。 どこかへ向かう、ということは分かったが……衣装作りを放置しても大丈夫だろうか。 あまり時間はないものの、余裕という余裕はだいぶできている。 しかし長峰さんや秋月さんや西園寺さん、成瀬君や他の人が頑張っているときに別のことというのは。


「……いたっ」


「なにボーッとしてんの。 置いてくよ」


 そんなことをつらつらと考えているとき、不意打ちのように朝霧さんにデコピンをされた。 額を抑えて彼女を見ると、彼女は小さく笑いながら既に教室から出ようとしているところだった。


 ……仕方ない、心の中でみんなに謝り、私は朝霧さんに付いていくことにした。




「どこへ向かっているんですか?」


 校舎内、もしくは学校の敷地内でのことだと思っていた私の考えは、迷うことなく学校から出ていった朝霧さんによってものの数秒で打ち砕かれた。 とは言っても放課後、あくまでも自由になる時間帯ではある。 その行為自体には問題はない。


「いいから」


 尋ねてみても返ってくるのはそんな返事だ。 それに、そもそも最初の話題はどこへ行ってしまったのだろうか。 もしやそれを受け流すために今の行動をしているのだろうか? ……もう一度尋ね直した方が良いのだろうか。


「ほら、あそこ」


 しかしそれを聞く前に朝霧さんが声を上げる。 私が顔を上げると、朝霧さんはとある方向に向けて指を指しており、そこにあったのは小さな駄菓子屋だった。 私や成瀬君の家とは逆方向ということもあり、あまりこちらへは足を運んだことはない。 こんなところに駄菓子屋があったのかという印象を受ける。 こじんまりとはしているものの、周りに家が多いことからそこそこの客は望めるのかもしれない。


「……朝霧さんのお家ですか?」


「行けば分かるよ」


 とことん私の質問には答えてくれなさそうだ。 若干不満そうな顔付きをしてみたものの、朝霧さんは何食わぬ顔で歩き始める。 仕方なく、私はまたしても朝霧さんの後に付いていく。


 お店の中へ入ると、駄菓子屋の甘い匂いが鼻腔をついた。 私としても駄菓子というのは嫌いではない、寂しい話になるがたまに一人で買って食べているくらいだし、そもそも駄菓子屋の雰囲気というのも好きなのだ。 店の奥にはお婆さんが座っていて、私たちがやってきたことに気付いたかのように顔を上げる。


「お婆ちゃん、来たよ」


「おぉ……今日も来てくれたのかい。 また一段と美人だねぇ、今日も」


「あはは、うまいなぁもう。 これ貰っていい? 水飴」


「いいよいいよ、好きなだけ持っていきなさい」


 しわがれた声でお婆さんは言う。 会話からしてすぐに分かる、どうやらやはり朝霧さんのお婆ちゃんのようだ。 朝霧さんの口振りは西園寺さんと話すときともまた違っていて、家族に向けた砕けた態度のようにも見える。 朝霧さんの意外な一面かもしれない。


「冬木も食べる? 水飴」


 朝霧さんは包装紙に包まれた水飴を私に差し出す。 私は一度頭を下げ、朝霧さんのお婆さんにも一言伝え、それを受け取った。


「可愛い声だねぇ、今日はお友達も来ているのかい」


 ……目があまり見えていないのだろうか。 先程目が合った気はしたのだけれど、そう思っていたのは私だけだったようだ。


「はい、冬木と言います」


「そうかいそうかい、そりゃ嬉しい。 これからもと仲良くしてやってくれ、冬木さん」


 お婆さんは言い、ニッコリと微笑む。 私はそれを聞き、咄嗟に朝霧さんへと顔を向けた。 由紀子というのは朝霧さんの名前ではない、別の人物だ。


「お婆ちゃん、お金数えとくよ」


「ああ、いつも悪いねぇ」


 朝霧さんは口元で人差し指を立てる。 何も言うな、というジェスチャー。 私は喉まで出かかった言葉を飲み込み、朝霧さんの姿を目で追った。 店の奥は畳になっており、お婆さんの後ろにはお金が入った金庫が置かれている。 朝霧さんは戸惑うことなくそこまで行き、手を伸ばす。


 ふと、悪い予感がした。 お婆さんが朝霧さんを誰かと勘違いしていることは明白で、そのことをもしも朝霧さんが悪用しているのだとしたら? 駄菓子をタダでもらい、あろうことかお金にまで手を出しているのだとしたら? そうなのだとしたら絶対にそれは止めなければならない、人の善意を踏みにじるような真似なんて、成瀬君ではないが見過ごせるわけがない。


 が、次に視界に映ったのはまさに真逆のものだった。 朝霧さんはパーカーのポケットからお財布を取り出し、数十円ほどの小銭を金庫へと移している。 それがなんなのかはすぐに理解した。 先ほど私と朝霧さんがもらった水飴のお金だ。


 ……自分が少し恥ずかしい。 一瞬だったとしても、私は信用するべき相手を見誤って疑ってしまったのだから。






「あのお婆ちゃん、ボケて私を孫だと思ってる。 本当の孫はもう十年くらい前にここから出てってるっていうのに。 結構前に姫と行ったときからかな、勘違いされてるのは」


 それから私と朝霧さんは少々の時間を過ごしたあと、道端にあったベンチへと腰掛けた。 ここは少々高台になっており、神中の町並みが見渡せる。


「朝霧さんは毎日あそこへ?」


「毎日じゃないよ、たまに。 姫は「あんなボケたババアに構うな」って言うんだけど、放っておけなくてね。 冬木が私だったらどうしてた?」


 朝霧さんは水飴の棒を咥えながら言う。 朝霧さんも自分が正しいとは思っていないようで、そんな問いを私に投げかける。 西園寺さんはこれに対して「構うな」という結論を出したのだろう。 それも否定されることではない、そして朝霧さんの方法というのもまた、否定されるべきものではない気がした。


「……私であれば、話していたと思います。 放っておくことはできませんし、うまくやり過ごすこともできませんので、正直に話して理解してもらおうとするかと」


「そう、ならそれが冬木の答え。 それで私の答えはさっきの通り。 それでこの話は終わり、そうでしょ? 答えが出ている問題を掘り起こして考えるなんて、学者や研究者だけで充分でしょ」


 朝霧さんは座る私の真正面に行き、柵に背中を預けて私を見る。 片手はパーカーのポケットに入れ、片手はフードを頭へとかぶせ、押さえていた。


「……つまり、三好さんと話をしないのも朝霧さんの答えだと、そういうことですか」


「そ。 言っても理解してくれなさそうだったから、実際に経験したほうが早いかなって。 損得じゃなくて当人がどう捉えるか。 どうでも良いんだよ、私は嫌な気分にもならないし、ただ私の中で勝手にあいつらの評価が決まるだけ。 もちろん三好たちも私からの評価なんてどうだって良いだろうし」


 お互いがどうでも良いと思っている、だからこの問題は既に終わっており、続いているものではない。 朝霧さんの言い分はそういうことだ。


「本当にそれで良いんですか? 複雑に考えなくとも、どちらがおかしいことをしてどちらが被害を被っているかなんて分かることではないでしょうか。 朝霧さんだけが被害を受ける理由がありません」


「今じゃ冬木も、でしょ? それについては別にいいよ、私はね。 まぁあんまやりすぎると姫がキレるかもしれないし、無責任なことってのは必ず自分に返ってくるから。 私がそうだったからよく知ってる」


 朝霧さんはそのまま私に背中を向け、柵の上で腕組みをし顎を乗せる。 その背中はどこか寂しくも感じ、私は一瞬視線を落としたものの、すぐに上げて朝霧さんの横へと行った。


「分かりました。 それが朝霧さんの答えなら、私もこれ以上は何も言いません」


「なら良かった。 そういうことだから、明日から冬木もしっかり自分の仕事しといてね。 無駄な時間取らせちゃったのは謝るよ」


「何を言っているんですか? 明日『も』私は衣装作りのお手伝いをします。 それが私の答えです、文句はありませんよね」


 朝霧さんの答えがそうであるなら、私の答えはそれだ。 誰が何を言おうと、朝霧さんの手伝いをする。 頑固な朝霧さんへの当てつけという意味も少しあるけれど、その多くは私が感じている責任からだろう。 曲がりなりにもクラス委員、私がもう少ししっかりしていれば、クラスはまとまっていてこんなことも起きなかったかもしれないから。 見過ごし、見落としてきた私の責任でもあるのは間違いない。


「……くく、あはは! まさかそう来るとは思わなかった、私の負け。 いいよ、明日からもよろしく。 冬木……じゃなくて、空のほうがいいかな」


 その呼び方は少しの気恥ずかしさと、少しのむず痒さと、少しの違和感と、そして嬉しさが入り混じった不思議な感覚を私に与えるのだった。 朝霧さんの問題は何一つ解決していない、解決していないけれど……違った方向で進めたのは確かだと、そう思う私であった。

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