第20話『悪意というものは』

「そんなことがあったのか。 進藤の奴が忙しそうにしてたのもそれが理由っぽいな」


 その後、いろいろと案を朱里さんが出したもののことごとく失敗に終わり、今は結局学園祭のことに話題が映っていた。 渦中となったのはもちろん朝霧さんの一件だ。 成瀬君に余計な心配をかけたくなかったというのもあったけれど、どうしても私一人では難しい問題にも思えた難題。


「あ、そういえば進藤君とはうまくやれてますか? 困ったことなどありませんか?」


「冬木さん保護者みたい、あはは」


 私の言葉に朱里さんはケタケタと笑ってお菓子を頬張る。 そんな姿を睨みつけ、成瀬君は答えた。


「最初は絶対気が合わないと思ったけど、話してみると結構いい奴だったな。 こっちはどっちかというと水原姉の方が問題だよ、1回も手伝いに来ないで遊んでる。 進藤が言っても聞かないし、雪に言っても気まずそうに口ごもるしでどうにもならない」


「いつの間にか随分と仲良くなったみたいですね」


「ん、ああ、まぁ」


 ……いや、成瀬君が他の人と仲良くなるのは良いことだ。 悪いことではない、はず。 私の言い方が少し誤解を生んでいそうな気がしたので、すぐさま続ける。


「しかしそれにしても、クラスで取り組む行事を始めた瞬間に問題が二つ……ですか」


「目に見える限りだと、な。 見えないところで問題が起きてる可能性もある」


 成瀬君の考えはあながち間違いではないだろう。 北見先生は私と成瀬君にクラスがどれだけバラバラか、という話を以前してきたことがある。 最初はそんな風に思わなかったけれど、日を追う事に様々な問題と直面してきた身としては現実味がある話だ。 私と成瀬君に留まらず、秋月さん、長峰さん、水原さん姉妹、朝霧さんと西園寺さん、そして今回の戸田さんたちの一件。 何かがある度に何かが起きるということは、表面上はクラスという形になっているだけに過ぎない。 その中身は歪でバラバラだ。 ツギハギだらけでいつ綻んでもおかしくはない。


「これ以上問題が起きると考えると、頭が痛くなりそうです」


「できることから確実にやっていこう。 冬木の能力の方は……正直目処が立たないから、朝霧の方になるけどな」


 朱里さんの思いつく限りのことは試したが、失敗。 そして今はそんなことに多くの時間を割いている場合ではない。 そのことから、一旦私の問題については後回し。


「そうですね。 できれば戸田さんたちと一度お話をしたいところですが……」


「大変だねえ、おにいと冬木さんのクラス」


 ぼんやりと呟く朱里さん。 それに対し反応をしたのは成瀬君だ。


「お前も人のこと言ってる場合じゃないだろ、文化祭あるんだろ?」


「あるけど大丈夫だよ、東雲先輩が結構まとめてくれてるし」


 朱里さんはどこか自慢げに言う。 この余裕の態度はそのことがあったからだろう。


 東雲、というと東雲家の一人娘のことだ。 秋月さんや紅藤さんと並ぶこの辺りでは有名な家。 そして東雲家がまとめているのは主に学業であり、その一人娘は極めて優秀だと聞いている。 今は朱里さんの通う中学の生徒会長を努めており、歴代で最も優秀な生徒会になっている、と風のうわさで聞いたこともある。 私や長峰さんや秋月さんが三年のときに二年生で、そのときから少し目立つ生徒ではあったけれど。


「東雲って前言ってた奴か。 東雲って三年生だろ? お前とは関係なくない?」


「なんか全部のクラス見て回ってるみたいだね、失敗させたくないからって」


「本当にすごいやつなんだな……」


 普通であれば自分のクラスのことだけで精一杯だ。 今、私や成瀬君が直面している問題のようにクラスで行う行事というものはどこかで想定外のことが起きてしまうのが常である。 だというのに、全学年全クラスの管理を行うというのは並大抵のことではない。 私が聞いた話や思考、それらを組み合わせて考えると、東雲さんは完璧というほどに飛び抜けている。 いや、飛び抜けと言ったほうがこの場合は正しいか。


 ……そう、東雲結月という生徒は普通ではない。 あくまでも噂、あくまでも思考、あくまでもそれは私の予想でしかない、が。


 彼女に関して言えば、よくない噂を聞かないわけではない。 私としては少し警戒している相手でもある、まだ当分関わることはないだろうけれど、いつか私たちも彼女と対面するときが来るだろうという確信はあった。 それこそまだ当分先の話であり、いざその時期が来たら成瀬君や長峰さん、秋月さんには話しておいたほうが良いだろう、東雲結月は要注意人物だと。 一言で言えば彼女は人を人と思っていない、そういう人物だ。


 もちろん朱里さんには伝えておいたほうが良いのかも知れない。 しかし、現時点で特に問題は起きていない様子なので、むしろ言わないほうが懸命だ。 言えば警戒する、そしてその警戒は下手をすれば勘付かれる。


 とにかく今考えるべきは戸田さんたちの問題。 話し合うことは必要だと思うが、話し合ったとしても戸田さんたちが素直に受け入れてくれるとは思えない。 何よりも問題なのは朝霧さん自身が「それでも良い」という意思を表していることだ。 あくまでも衣装班の問題で、その当事者が問題ないと言っている以上深入りすることもできない。


「まぁそれなら朱里の方は余裕ってわけか、羨ましい」


「そう? 問題起きてこそクラス一致団結! ってチャンスじゃない? 雨降って地固まる、みたいな」


「確かにそれは言えているかもしれません。 今回のことをピンチでなくチャンスと捉える……学園祭をそれで成功させれば、北見先生のクラスをまとめるという依頼を達成するのに大きく近づけるかと」


「頑張ってみる価値はあるってことか。 なんだかんだ良い奴多いしな、今のクラスは」


 おお、成瀬君からとても意外な言葉が出てきた。 同じクラスで過ごすこと半年と少し、様々な出来事があって様々な人と関わり合って、もしかしたら成瀬君の心境にも変化が生まれているのかもしれない。 とにかく、成瀬君がやる気になっているのは大きなことだ。


 今日こうして、成瀬君と話し前向きになれたことは良かったと思う。 朱里さんの言葉もあり、物事を後ろ向きで考えがちな私にとっては非常に有意義な時間だったとも言える。 ピンチではなく、チャンス。 人と人が関われば問題事というのは常に起き続けているものだ。 私も成瀬君と喧嘩をすることなんてないだろうと高をくくっていたが、事実それは起きてしまったのだから。 しかし、そうすることによってお互いの気持ちを知ることもできた。 単純に思考を聞くだけでなく、嘘を見るだけでなく、言葉として交わすことでその関係は一歩進めたのだと思っている。


 次の日の朝、学校に向かう足取りは軽かった。 衣装班の問題を解決できれば、より一致団結し学園祭に望むことができる。 それはきっと楽しく、素晴らしいことなんだと。


 だが、教室に辿り着いた私は身を持って知ることになる。 いや、正確に言えば思い出したと言えばいい。


 ――――――――人は悪意を持ったとき、降りかかるデメリットなどかなぐり捨てて行動に移すのだ。




 教室内は騒然としていた。 いつものようにいくつかのグループに分かれていたものの、その視線は一つに集まっていた。 教室に入った私に誰一人として気付かないほどに注目を集めていたのは、長峰さんだ。


 丁度長峰さんも教室に入ってきたところだったのか、自分の席の前で鞄を持って立っている。 そして、長峰さんの視線は自身の机へと落ちている。 その周りには長峰さんが仲良くしている水原さんたちがいて、教室に入ってきた私を睨みつけた。


「冬木、あんた愛莉に変なことしてない?」


「……変なこと、というのは」


 水原さんから話しかけられたのは、高校になってから初めてのことだ。 随分と久しぶりに話す彼女はどこか威圧的に言葉をぶつけてくる。


「あんたが一番愛莉のこと恨んでそうだから言ってんの。 嘘吐いたらただじゃおかないから」


「雫やめて。 冬木さんはそんなことしないし、別にどうだって良いよ」


 今にも掴みかかりそうな勢いで私を問い詰める水原さんを長峰さんが止める。 それを受け、水原さんはもう一度私を睨むと一旦離れていった。


「……一体何があったんですか?」


 答えてくれそうなのは、長峰さんくらいだ。 秋月さんも成瀬君もまだ教室には来ておらず、交流がある西園寺さんと朝霧さんはいつものように窓際で二人話し込んでいる。 そのことから長峰さんの元へ歩いていったところで、私は気付いた。


 長峰さんの机には無数の罵詈雑言が並べられていた。 黒いマジックで殴り書きのように書かれたそれらは、汚い言葉で長峰さんに対する誹謗中傷が並べられていた。 紛れもない、長峰さんに対する悪意の表れ。


「ごめんね冬木さん、雫には後で謝らせるから」


「いえ、その必要は……それよりも、これは」


 私も昔、同じようなことはされたことがある。 しかしそのときとはまた違う、私の場合は誰も私を見ようともしなかったけれど、長峰さんの場合は否が応でも注目を集めてしまう。 私に起きていた「当たり前」と長峰さんに起きた「悪意」は、種類が全く異なってくる。


「モテる女の宿命ってやつ? ま、放っておけばそのうち飽きるでしょ」


 言う長峰さんの表情はいつも通りだ。 いつもと変わらない声色にも聞こえるし、調子も変わっていない。 だが、それが真実なのかは分からない。 私には長峰さんの思考が聞こえない。


 それよりも今の言葉で分かったのは、これが初めてではないということ。 以前の臨海学校でそのような話は聞いている、しかしこんなにも表立って長峰さんに対して攻撃を仕掛けてくるというのはなかったはず。 それが今、このタイミングで明確に悪意を向けてきた。 ここ最近の長峰さんの行動や言動が切っ掛けとなった可能性が高い。


「冬木さん、気にしなくていいからね。 今は学園祭でしょ。 適当に机変えてくるから自分の席行きなよ」


「……そう、ですね」


 長峰さんの言葉を受け、私はひとまず従う。 ここでこれ以上言葉を交わしても周りから余計注目を集めるだけだ。 それは長峰さんにとってみればあまり面白い状況ではないだろう。


 ……昨日、成瀬君と朱里さんと話していたことが現実になってしまった。 表面上に出てきた問題が一つ増え、更に水面下では更にいくつもの問題があってもおかしくはない。 高校初めての学園祭、雲行きはどんどんと怪しくなっていった。

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