第十四話『二つの想い』

 紙送りまで一週間と差し迫った。 事前に準備しておいた物を鞄に押し込み、朱里に少し出かけてくる旨を伝えて家を出る。 向かう先はもちろん紅藤家だ。 紅藤さん曰く今日なら父親は家にいるとのことで、俺が何をしようとしているかまだは聞いてこなかったが、紙送りの一件で動いているということは分かっているだろう。 だからこそ迷わず俺にその情報を渡してくれた。


 家を出ると、既に辺りは夕方と言っても差し支えないほど暗くなり始めていた。 まだ時刻は17時前だが、暗くなるのが早いと少しずつ冬が近づいてきているのを感じる。 前に冬木が言っていたが、紙送りが終われば学園祭だ。 学生身分でこんなことを言うのもおかしいかもしれないけど、気付けばあっという間に冬になっているだろう。


 俺は少し歩いて一度鞄の中身を確認する。 道明から送られて来た写真が数枚、それをプリントアウトしたものが封筒の中には入っている。 紅藤を脅す上で必須の物だ。 一枚は紅藤が石泣神社を訪れている場面。 一枚は紅藤と石泣神社の当主が会話をしている場面。 そして一枚は紅藤と石泣神社当主の二人が喫茶店でやり取りをしている場面。 これだけでは到底証拠という呼び方はできないし、ただ話していたと言われてしまえば普通はそこで終わりだ。


 だが、俺には人の嘘が見える。 たとえどれだけ隠そうとしても、その嘘が悪意によって生まれたものなら例外なく見抜くことができる。 それを下にして紅藤を揺さぶっていけば良い、あたかも俺が全て知っているかのように装って。


 当然ながらこんなことをするのは初めてで、果たして俺にそんな真似ができるのかという疑問はあった。 けど、不思議と不安や緊張というものは存在しなかった。 これがやらなければならないことだからか、冬木が言っていた「仕事」と「プライベート」の切り分けみたいなものだろうか? もしもそうなら、冬木が仕事だと感じることでコミュニケーションに問題が出ないのは少し納得できるものだった。 しかしそれとは別に、万が一失敗したとしても被害を受けるのが俺だけだろうということに安心しているのかもしれない。


 そんなことをつらつらと考えながら俺は川沿いの土手を歩く。 紅藤の家は歩いてそれほど遠くない位置にある、あまり遅くなると朱里が心配するだろうし、下手したら怒り出すことも考えられるから幸いだった。


 そのときだった。 ふと前方から俺の名前が呼ばれる。 あまりにも聞き覚えのある声で、俺は驚きながら顔を上げる。


「成瀬君、何をしているんですか」


 冬木空がそこには立っていた。 長めのスカートにコートを羽織り、風でなびく髪を抑えることなく俺を見ている。 俺が今、最も警戒していた人物だ。 俺の行動に対しほぼ確実に反対するであろう人物。 物事を隠す際、危険度で言えば長峰や道明よりもよほど上なのが冬木だ。 冬木の思考を聞いてしまう力は本人の意思など全て無視して思考を聞いてしまう。


 だから考え付いてからは冬木の前では思考しないようにしていた。 それが完璧にできたかと言えばそうだとは言えないが、できる限りの可能性というのは排除できていたはず。 それが、なぜ。


「散歩だよ、散歩。 偶然だな」


「それは奇遇ですね。 ただ、成瀬君が本当に散歩だと言うのであればですが。 もしもそうでないなら、偶然ではなく必然です」


 その言葉によって確信する。 冬木は俺が何をしようとしているか、知っている。 だとしたらどこで聞いたのか、俺のどの思考を聞いて辿り着いたのか。


 ……いや待て、何も俺の思考を聞いたとは限らない。 俺の行動、考えを知っている人物が一人居る。


「道明に聞いたのか」


「半分は正解で、半分は間違いです。 成瀬君、私は予め道明さんに言っておいたんです。 もしも成瀬君に紅藤さんのことで依頼を受けたら断らないで欲しいと」


「予め? けどそれならどこかで気付いたってことだよな」


「気付いたのではありません。 もちろん、思考を聞いたわけでもありません。 私が成瀬君ならそうするだろうと予測し、手を打ちました」


 手を打った。 それは当然俺の行動を止めるためだ。 分かっていたことだが、冬木に知られた場合はやはり冬木は止めにかかってくる。 こうなった場合、冬木を説得するのが困難なのだ。


 しかし予想外だったのは、冬木が能力も他人の力も借りずに俺の行動を予測したという部分。 冬木の言葉に嘘はない、だからそれは真実なのだ。


「改めて聞きます。 何をしているんですか、成瀬君」


 冬木は今一度俺の顔を見て言う。 まるで問い詰められているようだ、だが冬木にここで嘘を吐いても悪い方向にしか転んでいかない。 その場凌ぎの嘘もときには必要だが、ここでそれをするのはデメリットしかない。 俺は観念すると、目を一度閉じてゆっくりと開く。


「道明からは聞いてないのか?」


「私が道明さんに依頼したのは「成瀬君からの依頼を受けて欲しい」ということと「成瀬君が行動する日を教えて欲しい」という2つだけです。 どのような依頼を受けたかまでは聞いていません」


 だが、そこまでするということはおおよその予想は付いているはず。 それでも尋ねてくるということは、その予想を真実として紐付けしたいのだろう。


「……紅藤を脅す。 証拠も道明から貰った、俺の眼があればさぞ全て知っている風に装って話を進めるのは容易だからな」


「なるほど」


 聞いた冬木は驚いたような仕草はしなかった。 やはり冬木は分かっている、俺のしようとしていたことを。


「その鞄の中には何が入ってるんですか?」


「道明から貰った写真が入ってる。 これを使って脅すつもりだ」


「見せて頂いてもいいですか?」


 ……断ったら断ったで冬木を説得するのに更に時間がかかりそうだ。 あまり時間が経ってしまえば、紅藤も出かける可能性がある。 なるべく早く済ませたいという思いの下、俺は素直に冬木へ鞄を手渡した。 冬木はそれを受け取ると、中から写真の入った封筒を取り出し、鞄だけ俺へと返す。


「……毎度、道明さんに手際の良さには驚かされますね」


 写真を眺め、冬木は言う。 俺も俺で既に準備してあると言われたから驚いたものだ。 道明にとって当たり前のことであっても、俺や冬木にとっては呆気に取られてしまう出来事だ。


「成瀬君、先に謝っておきます。 ごめんなさい」


 と、突然冬木は俺に向かって丁寧に頭を下げる。 その意図が読めずに俺が尋ねようとした瞬間、冬木は手に持っていた写真を唐突に破き始めた。 俺は一瞬の間を置いて、声を上げる。


「おま、何してんだ!?」


 慌てて冬木の手を掴むも、既に写真は細切れのように細かくなっていた。 冬木は一瞬申し訳無さそうな顔をするも、すぐに俺へと視線を変える。


「絶対にそれだけはさせないと心に誓って待っていました。 成瀬君に嫌われても構わないと思って、待っていました」


「一体どういう……くそ」


 冬木が持つ写真は既に使い物にならない。 繋げたとしてもゴミ同然でしかなくなった。 道明がまだ予備を持っていれば良いが……時間的に間に合うかどうか。


「どういうつもりですか、成瀬君」


「それはこっちのセリフだ。 どうして邪魔をするんだ」


「……私が聞いています、秋月さんを助けるためですか? 紙送りを無事に済ませるためですか?」


 冬木は一瞬視線を落とすも、すぐに俺へと向けてくる。 そこで改めて冬木の顔を見たが……どこか、冬木は怒っているような様子だった。 きっと、それは勘違いなどではないと思う。 冬木空は、俺に対して怒りを見せていた。


「助けるなんて大層なことは言えない。 ただ、秋月との約束がある。 どうにかするってあいつとは約束したんだ」


「秋月さんがこのような形を望むと思いますか? 納得すると本気で思っているんですか」


「しないだろうな。 冬木もしないだろ、だからバレずにやろうとしていた」


 冬木はそれを聞くと、唇を噛むような仕草をする。 ここまで露骨に冬木が怒っていると感じるのは初めてのことかもしれない。 まぁ冬木に話さず、こそこそ裏で済ませようとしていたんだ。 怒るのも無理はない。 しかし、このやり方では被害を受けるとき最小限に抑えるのが一番良い。 その方が冬木や秋月にとって間違いなく最善でもあるのだ。


「っ……成瀬君は何も分かっていません、どうして分からないんですか。 その方法のどこが、最善なんですか」


 思考を聞いたのか、冬木は顔を伏せたままで続ける。 夕日の赤い光が冬木の姿を覆っていて、その表情は伺えなかった。 冬木の影は俺を覆うように伸びている、夕日が少し、眩しい。


「被害を最小限にって意味だよ。 恨まれる人数が二人や三人より、一人で済むならそれで良いだろ」


「そういう問題ではありませんッ!!」


 冬木の声が響き渡り、俺は意外な反応に驚いて一瞬身動ぎした。 冬木は感情という感情を曝け出すことは殆どない。 だが、今の冬木は違っていた。 俺に対して怒っているのだ、そのくらいはさすがに分かる。


「成瀬君は何も分かっていません、全部全部……分かっていません。 私は誰に恨まれようと憎まれようとどうでも良いんです、秋月さんだってきっとそうです。 成瀬君は、私のことや秋月さんのことを考えているようで何も考えていない」


「……なんだよそれ。 考えた結果こうしてるんだろ、いらない被害を増やす必要がどこに――――――――」


「それで私と秋月さんが傷付くとどうして分からないんですかっ! 黙ってそんなことをされて、まるで私が必要ないみたいではないですか、私は居ても居なくても何も変わらないではないですか! だったら最初から別々で調べていれば良かったんではないですか!?」


 顔を上げ、冬木は言う。 その瞳には涙が溜まっていた。 冬木の言っていることが正しいのか間違っているのかは分からない。 だが、俺はそのときこう思ったのだ。


 冬木の言葉は確かにその通りだ。 そこまで言われるなら、最初から一人でやっていればよかった、と。


「……ッ! 私は成瀬君のことを友達だと思っています。 けれど、成瀬君は違ったようですね」


 一瞬冬木はその整った顔を崩しそうになるも、すぐさまその表情を元に戻す。 そして冬木の発した言葉は俺としては受け入れられないものだった。 逆なんだ、俺は冬木を友人だと思っていたからこそ、納得はしないものの冬木なら分かってくれると思っていた。 だからその言葉は胸を締め付けるように渦巻いて、反響して、それが不快で、俺は逃げるように言った。 きっと、ここまでならまだどうにかなったんだと思う。 お互い冷静になって話せば、きっと分かり合えた話だったのだ。 しかし、口にしてしまう。


「……勝手に思考を読むなよ」


 俺が言うと、冬木は顔を上げる。 冬木が懸命に抑えていたであろう涙が頬を伝って地面へと染みを作った。


「そんな……そんなの、私だって好きで聞いているわけでは、ありません」


 俺はそう言われ、そこでようやく気付く。 たった一言、返す言葉が見つからずに咄嗟に放ったその一言が、どれだけ冬木の心を抉り取ったのか。 そして今気付いたとしてももう遅い、俺は冬木に言ってしまったのだから。


「……帰ります。 紙送りの件は、全て秋月さんに話しているので、あとは向こうでどうにかすると言っていました。 それでは、さようなら」


 冬木はそう告げ、俺に背中を向けて逃げるように歩き出していった。 俺はその背中をただ見ていることしかできなかった。

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